雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

壮大なお話 ・ 小さな小さな物語 ( 486 )

2013-08-17 10:41:59 | 小さな小さな物語 第九部
今回も『県立大西はりま天文台からの便り』から引用させていただきました。
『 月のない夜に見ることができる天の川は、太陽のように自分で光を出している恒星が1000億個ほど集まっていると考えられています。このような恒星の大集団は銀河と呼ばれています。恒星の大きさに対する恒星同士の距離と比べると、銀河の大きさに対する銀河同士の距離の方が、はるかに近くにあります。このため、恒星同士が接近・衝突することはほとんどありませんが、銀河同士が接近している場所は、あちこちに見ることができます。
 ( 中略 )
さて、私たちの天の川にも、少し小さいですが近くにある銀河として、大小マゼラン銀河があります。また、秋に肉眼でも見ることができるアンドロメダ銀河は、現在天の川に近づいてきており、やがては衝突し、合体して、何十億年か先には、現在とは全く別の姿になるのではないかと考えられています。 』
 ( 以上は、西はりま天文台・副センター長 石田俊人氏の記事を使わせていただきました。 )

つい先日、ロシアに落下した隕石で大騒ぎしましたが、こちらは何とも壮大なお話です。
太陽のお陰で、何とか宇宙空間をさまようことなく一定の位置に留まっている私たちの地球ですが、小惑星とはいえ岩石の塊程度のものが飛び込んできただけでこの大騒ぎなのですが、いつものことながら、この天文台が毎日新聞に掲載している記事は、何とも壮大なお話ばかりです。今回のものも、1000億個もの恒星が集まっている銀河と銀河が衝突するというのですから、そりゃあ、少々の巨大隕石より激しいものなのでしょうね。

しかも、私たちの銀河系銀河にもアンドロメダ銀河が近づいてきているというのですよ。
アンドロメダ銀河などという言葉は、マンガかSFの世界のことだとばかり思っていたのですが、現に観測できる程度の距離にあるというのです。
隕石が原発に落ちることを心配されている方々にとっては、この銀河の接近も又心配の種になるのではないでしょうかねぇ。まさか、何とか進行方向を変える方法を研究せよ、などとは言わないと思うのですがねぇ。

アンドロメダ銀河が私たちの銀河に突入してくるのは、数十億年先だそうです。
大分先だと言えばその通りですが、地球誕生や宇宙の起源などの時間軸を考えれば、数十億年といってもそれほど長い時間ではなく、しかも、時間は、確実に止まることなく刻み続けるのですから、いつかは実現するわけです。
その壮大な衝突現場を見てみたいような気もしますし、隕石の落下よりはもう少しひどい状態も予想されるので見たくない気もします。
まあ、どちらにしても、多分私は死んでいるでしょうから、そう心配することもないのですが。

( 2013.02.24 )
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『逃げる勇気』を ・ 小さな小さな物語 ( 487 )

2013-08-17 10:40:15 | 小さな小さな物語 第九部
犯罪のない社会など望むべくもないと思うのですが、知恵や努力によって減少させることは可能だと思うのです。
その証拠として、国家によって犯罪に対する危険性に差がありますし、わが国内においても地域格差があることはデーターに示されています。
しかし、犯罪を減少させることは出来ても、完全に無くすことは不可能です。

ただ、犯罪といえば間違いなく犯罪なのですが、何とも悲しく、虚しくなってしまうような犯罪が、このところ数多く報道されています。
体罰、いじめ、パワハラ、セクハラ、ストーカー、家庭内暴力等々、犯罪というにはあまりにも人間臭く、ニュースとして接するだけでも切なくなってしまいます。そして、この種の犯罪は、一般的な犯罪と違って、加害者も被害者も傷を負い、命を失う恐れがあるのです。

上に挙げたいずれの犯罪についても、それほど勉強しているわけではありませんので、あまり不用意な発言は控えるべきだと思うのですが、ただ、その中の幾つかを防げるのではないかと思われる『手段』があります。
それは、『逃げる勇気』を教えていくことだと思うのです。
『逃げる』という言葉は、ややもすると負けを連想させます。
「三十六計逃げるに如かず」という言葉がありますが、「負けるが勝ち」とほぼ同意語に使われます。どちらの言葉も意味としては決して弱者の行動を指しているわけではなく、むしろ知恵者の行動として使われるものです。それでも、「逃げる=負ける」という連想が働きがちで、「弱者の論理」、すなわち「負け惜しみ」として受け取られがちです。

しかし、絶対にそんなはずはありません。
『逃げる』には、とてつもなく大きな勇気が必要なのです。そのことを、私たちは幼い時から子供たちに教えていかなくてはなりません。
子供たちが、指導や養育の能力に欠ける人たちのために、体罰にあい、いじめにあい、虐待を受けています。保護者や指導者を教育することが先決ですが、その教育の成果には時間がかかります。そのためにも、子供はもちろん大人にも、『逃げる勇気』をしっかりと根付かせることが必要です。
「あの時、逃げ出していたら」「あの時、誰かに泣きついていたら」「あの時、子供を育てるのが無理だと訴えていたら」「あの時、学校など行く必要がないことを知っていたら」等々、『逃げだす勇気』を持っていたら、最悪の事態に至らなかったかもしれない事件は数多くあります。事件として表面化しないものは数え切れないほどの数になることでしょう。
私たちは、大きな声をあげて、『逃げる勇気』の大切さを多くの人に知ってもらいましょう。
それと同時に、『逃げる勇気』を素晴らしい行動として定着させるためには、「逃げ込める先」が広くて暖かい門を開けていることが絶対条件なのです。
「逃げ込める先」についてはまた意見を述べさせていただきますが、とりあえず、一人でも多くの人が、周囲の人たちに『逃げ出す』ためにはとても勇気がいるけれど、『逃げる勇気』はとても大切な知恵であることを伝えて欲しいと願っているのです。

( 2013.02.27 )
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八十の手習い ・ 小さな小さな物語 ( 488 )

2013-08-17 10:38:26 | 小さな小さな物語 第九部
ある本で、「八十の手習い」という言葉を見つけました。
いわゆる「ことわざ」の類の言葉ですが、実は、私はこの言葉知らなかったのです。
「六十の手習い」という言い方もありますが、私はこれが正しいもので、例えば「四十の手習い」などといったようにいろいろに応用されているのだと考えていました。その中にも、「八十の手習い」というものは、私の思考の中にはなかったのです。

例によって、広辞苑のお世話になりました。
「八十の手習い」については、「年老いてから字を習うこと。晩学のたとえ。六十の手習い」と説明されています。
「六十の手習い」の項目には、「六十歳になって初めて習字を始める意で、晩学のたとえ」とあります。
この二つを読み比べてみますと、「六十の手習い」の方が本命のようにも思えるのですが、広辞苑には、そのことについては触れておりません。

私がたまたま見かけた本には、「八十の手習い」の方が本家のような書き方をしていました。まあ、向きになって詮索する程の事でもないのですが、「八十の手習い」という言葉は江戸時代には使われていたそうです。
長寿社会といわれる現代ですが、男性の平均寿命は八十歳に僅かに届きません。女性の方はゆうゆう超えていますので、「八十の手習い」という言葉は女性に意味のある言葉でしょうが、男性の場合はそこに辿り着くまでが大変です。
しかも、江戸時代といえば、人生五十年といった時代だったと思うのです。おそらく平均寿命は五十歳に達していないと思うのですが、乳幼児や若くして亡くなる人が多かったためもあり、長命な人も結構いたのかも知れません。
それにしても、「八十の手習い」という言葉を残した江戸時代の人々は凄いと思います。

さて、現代に生きる私たち、「八十の手習い」を実践するだけの心意気はございますでしょうか。
「人間死ぬまで勉強だ」などといった殊勝な言葉も聞きますが、実際に実行するとなれば、なかなかそうもいきません。
私は図書館を利用させてもらうことが多いのですが、時々痛切に感じることがあります。それは、歴史とか地理とかといった知識の大半は十代の頃に身に付けたものが主流で、いまだにその知識をベースとしたものから越えることがなかなかできないということです。図書館で選ぶ書籍も、何かを調べる場合は別ですが、ほとんどが自分が持っている知識の範囲内のもので、これではとても「手習い」にはならないと思うのです。
江戸時代の人々が残した「八十の手習い」を現代に置き換えれば、「百歳の手習い」ぐらいに相当するのではないでしょうか。
そうだとすれば、「『手習い』を始めるのはまだまだ先で良いので、今はもっとのんびりと行きますか」とも思うのですが、この考え、あまり良くないのでしょうね。

( 2013.03.02 )
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絶望の中でも ・ 小さな小さな物語 ( 489 )

2013-08-17 10:37:15 | 小さな小さな物語 第九部
たまたま、懐かしい歌を聞きました。
ラジオから流れてくるその歌は、まだ若くして亡くなった女性歌手の澄んだ声が素晴らしく、メロディーの素晴らしさともあいまって、おそらく多くのファンがいることでしょう。
そして、私の場合は、その歌がある思い出とも重なってしまい、少々辛い気持ちになりました。

取り返しのつかない出来事や、決して取り戻すことのできない大切なものを失ってしまった悲しみは、実在します。
つい最近のことでも、国内外で、事件や事故に巻き込まれた人たちがいます。楽しい計画を実現しようとしている途中に、あるいは、まったく関係のない偶然から命を失ったり大切なものを失ったりした人たちにとって、何に怒りをぶつければよいのか、また、たとえ何かに怨みをぶちつけることが出来たとしても、果たしてそれが虚しさを押さえるためにどれほどの効果があるというのでしょうか。
絶対に取り戻せない虚しさは、結局は絶望とともに肩をすくめている以外に方法はないのでしょうか。

仏教説話に、子供を失った若い母親の話があります。
『 裕福な商人の若い妻は何不自由なく幸せに過ごしていました。さらに、元気な男の子にも恵まれ、幸せの絶頂にありました。
しかし、その子は突然の病で死んでしまいます。若い母親はその死を受け入れることが出来ず、亡骸を抱きかかえて、生き返らせてくれる人を捜し求めて半狂乱の状態となります。
見かねたある人が、祇園精舎にいるお釈迦さまを訪ねれば、苦しみから救ってくれると教えます。若い母親は早速お釈迦さまを訪ね、わが子を生き返らせてくれと泣き叫びます。
哀れに思われたお釈迦さまは、五粒の芥子の実をもってくれば、あなたを苦しみから抜け出させて上げましょう。但し、その五粒の芥子の実は、これまで一度も人が死んだことのない家から貰ってくるように、と条件を付けました。
若い母親は芥子の実を求めて千件もの家を訪ね歩く中で、大切な人との別れを経験しない人はいないことをさとります・・・ 』

「どんなに辛く悲しいことでも、どんなに大きな絶望であっても、やがては時間が解決してくれる」「この世のことでこの世で解決できないものなどない」
などという、ご高説を聞くこともあります。
まあ、ご高説を述べるのはお互い勝手ですが、そんなことで解決できるようなものは「絶望らしいもの」であって、本当に絶望している人には何の役にも立たないような気がします。
しかし、私の拙い経験から申し上げますと、「人はどのよう状態でも生きることが出来るし、失った大切なもののためにも生きねばならない」と、そのようにも思うのです。

( 2013.03.05 )
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二十四時間を生きる ・ 小さな小さな物語 ( 490 )

2013-08-17 10:34:18 | 小さな小さな物語 第九部
私たちは一日を二十四時間として生きています。
学術的に言えば少し違うのでしょうが、およそ二十四時間というものがベースとなって、計画的であれ成り行き任せであれ、毎日生活しているわけです。
二十四時間ですから、睡眠に八時間、労働に八時間、食事や休息や余暇などに残りの八時間、といったように分割することが出来れば、二十四時間というのはなかなか具合の良い時間なのですが、なかなかそういった配分の出来る人は少ないことでしょう。
平均的なサラリーマンの生活を考えてみましても、最近では一日の所定時間が八時間という人は長い方だと思うのですが、実際はなかなか八時間というわけにはいかないのが現実でしょうし、実務より厳しいともいえる通勤時間を加えれば、十二時間ほどになってしまう人が多いと思われます。
三等分など、とても無理な話になってしまいます。

江戸時代の人々は、太陰暦を中心とした生活でしたから、現在とは少し違う時間の配分が行われていたようです。
江戸時代の時刻は、昼間を六刻、夜間を同じく六刻として時間を区切っていました。日の出から日の入りまでを昼間とし、日の入りから日の出までを夜間としていましたから、大まかに二等分していたかといえば、少し違うのです。
朝の始まりである「明け六つ」というのは、日の出ではなく空が少し明るくなり始めた頃であり、「暮れ六つ」は、同じように日の入りではなく、日が沈んでしまって暗くなってきた頃のことですから、一日は昼間の方が三、四十分長く決められていました。
しかも、日の出日の入りは季節によって大きく変わりますから、昼夜の時間も季節によって大きく変わるわけです。つまり、サマータイムとは違いますが、江戸時代の人は常に一日の時間の配分は違っていたわけです。同時に、「一刻」といっても、季節により、昼と夜により、そうとう長さが違うわけです。時代小説などには、「明け六つ(朝六時頃)」などといった表記を見ることがありますが、現代の時間に当てはめる場合は季節によって大いに違うわけです。

「お江戸日本橋、七つ立ち・・・」といった歌がありますが、この「七つ」というのは、明け六つの一刻前のことですから、夏であれば午前三時頃になります。江戸の旅人は、こんな時間に出立したそうですから、現代のサラリーマン以上に働いていたのかもしれません。
現代の私たちからすれば、季節により長さの変わる時間というのは不便なような気もしますが、それはそれで案外自然体に近い生活が出来るのかもしれません。
それに、私たちが持っている「体内時計」は、一日は二十五時間として組み込まれているそうですから、どんな時間の暦を作っても、体内時計とは一致しないわけです。
私たちは、朝の光を浴びることで体内時計を調節していますので、朝は調子が出ないというのは当然なのです。

私たちの地球は自転していますので一日という単位が生じるのですが、この回転、五万年に一秒程度遅くなっているそうです。お気付きの人は少ないと思いますが、一日の長さは僅かずつ長くなっているわけです。
地層や化石などからの研究によれば、九億年前の一年は四百八十五日だったそうですから、一日の長さは十八時間余りということになります。この計算でいけば、九億年後には一日の時間は三十時間ほどになることになります。
昔に戻ることはありませんから、私たちは一日十八時間の生活を考える必要はありませんが、来るべき九億年後に備えて、一日三十時間の生活パターンを研究しておく必要があります。
多分、大分のんびりできることは確かなようです。

( 2013.03.08 )
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バンスターズ彗星 ・ 小さな小さな物語 ( 491 )

2013-08-17 10:33:17 | 小さな小さな物語 第九部
バンスターズ彗星についての報道が増えています。
わが国から見る場合、今夜が最も接近している状態だそうです。太陽が沈んだ直後の西空低くに見えるそうです。肉眼でも見えるようですが、小さなものでも双眼鏡などを使えばさらにはっきり見えるそうですが、日没直後のことなので、くれぐれも慌てて太陽を見てしまわないように、お子様などには注意していただきたいと思います。
この後も四月中旬までは観測可能で、日ごとに西空高くに移って行くそうですが、反対に地球から遠のいて行きますので、この数日が見つけるチャンスのようです。

この彗星は、2011年6月に発見されたもので、その時の明るさは、19.4等星程度の明るさで木星の軌道より遠い所を地球に向かって懸命に進んでいる姿が発見されたそうです。
19.4等星というのがどのくらいの明るさなのか私には全く理解できないのですが、普通肉眼で見える星は6等星程度だと思うのですが、私の目などでは4等星くらいがやっとです。素人の望遠鏡程度ではとても駄目でしょうし、実際に発見されたのは米国のハワイ・マウイ島に設置されているバンスターズ1望遠鏡で発見されており、名前もそれに因んだものです。

彗星は、わが国では「ほうき星」ともいわれますが、古い文献にも時々記録されており、凶事の前兆とされたことが多いようです。
また、時には彗星を流星と混同されることもありますが、これは全く別のものです。流星、つまり流れ星は、先日の隕石騒ぎがありましたが、小惑星や塵のようなものが地球の大気圏に突入して燃え尽きる現象です。彗星は、宇宙空間を尾を引きながら進んでいるもので、地球から見た場合、流星は一瞬の出来事ですが、彗星は尾を引きながらとどまっているように見えます。
彗星とは、太陽系小天体のうち主に氷や塵で出来ているもので、太陽から遠く離れている場合には、小惑星と彗星の見分けはつかないそうです。それが太陽から3AU(AUは天文単位で地球と太陽との平均距離)まで近付くと、その熱の影響を受けて溶け出し、一時的な薄い大気となり(これをコマという)、その大気や塵などが長い尾(テイル)となって彗星の姿のなります。
彗星には、周期を持ったものとそうでないものとがあり、その周期も、最短のものは3.3年、長いものは数百年に及ぶものもあります。彗星は質量が小さいため、遥か遠くにある天体の変化にも影響を受けて軌道を変えるため、周期の有無がはっきりしないこともあり、200年を超えるものは全て非周期彗星と分類されるそうです。
有名な彗星としては、ハレー彗星は76年周期、エンケ彗星が最短の3.3年の周期をもっています。
1965年秋にやってきた池谷・関彗星は、マイナス17等級に達する見事さでしたが、この彗星は非周期彗星で、おそらく二度と人類の前に姿を見せてくれることは無いのでしょう。

今回のバンスターズ彗星も非周期彗星で、私たちにほんの少しばかり姿を見せてくれたあとは、遥か彼方に去って行ってしまうのです。
彗星の中には、太陽やその他の天体に突入して、壮絶な最期を遂げるものも少なくないそうです。
地球にも、40憶年程前にはたくさんの彗星が激突してきているそうです。現在、私たち地球上の生物全ての命の源泉ともいえる水は、それらの彗星によってもたされたものが大部分だとも考えられています。
宇宙空間を小さな体で尾を引きながら懸命に飛んでゆく彗星。自らの意思なのか宇宙の法則なのか、私たちが周期的であるとかないとかいったところで、彗星にすれば知ったことではなく、定められた道を迷うことなく突き進んでいるのでしょうか。
しかし、考えてみれば、私たちも彗星から命を頂いた子孫らしく、毎日毎日迷うことなく家に帰ってきていますよね。彗星より周期は少し短いですが、同じ習性なのかもしれません。それに、時々軌道を遠く離れてしまうものもあるあたりは、全く瓜二つのように思われます。

( 2013.03.11 )
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時は流れて ・ 小さな小さな物語 ( 492 )

2013-08-17 10:32:03 | 小さな小さな物語 第九部

私たちの宇宙の誕生はおよそ百五十億年前と考えられています。そして、私たちが属している銀河系銀河もその直後に誕生したと考えられています。
銀河の中では次々と星が生まれ、それらの星は寿命が尽きる時には大爆発を起こしその輝きは何千億倍の明るさになります。星の中にため込まれていたエネルギーを一気に吐き出し、その後は僅か一年ほどの間に漆黒の闇に戻って行きます。超新星爆発といわれる現象です。そして、この大爆発で飛び散った物質などは、次の新しい星を誕生させる源泉となるのです。
この超新星爆発という現象は、現在の銀河系の中では百年に一度程度しか起こりませんが、銀河系誕生から十億年ほどの頃には今の百倍程の頻度で発生していて、荒々しく、次々と星たちの消滅と誕生を繰り返していたそうです。

銀河系銀河の荒々しい活動は少しずつ落ち着いていきましたが、およそ百億年ほど経った頃、その活動の中から一つの星が誕生しました。太陽です。
そして、太陽が星として整っていく過程で大小無限といえるほどの惑星群が誕生し、その中の一つが地球として育っていったのです。
私たちの地球には、多くの生命体を育むために元素などが存在していますが、その主要なものである炭素・酸素・窒素・鉄といった重い元素が誕生するためには果てしなく繰り返されてきた大爆発が必要だったのです。

今私たちに姿を見せてくれている彗星は、いつ誕生したのでしょうか。
かの彗星もまた、太陽活動の一つとして生まれた天体の一つですから、生まれ年はともかく、私たち地球と極めて近しい関係にある天体だといえるのではないでしょうか。
太陽の惑星といえば、つい「水・金・地・火・・・」などと数え、冥王星は仲間うちであるとかないとかという論議もありましたが、とんでもない話で、小惑星といえども太陽系天体の一つであることに変わりはないのです。彗星もまた惑星の仲間であることに何の疑いもありません。
地球の誕生はおよそ四十六億年前と考えられています。
よく博物館などに地球の歴史をカレンダーにたとえているものがあります。地球の誕生を一月1日の午前零時として、現代を大晦日の年が変わる寸前としたものです。
それによれば、地球上に最初の生命が誕生したのは三月下旬の頃であり、その生命体が水中から陸に上がったのは十一月中旬のことなのです。
ある時期繁栄を誇った恐竜が絶滅したのは十二月二十六日のことであり、私たちの祖先が姿を見せたのは大晦日の午後十一時五十七分の頃であり、電気や火薬や原子力などといったとんでもない力を持ち出したのは、年が変わるつい二秒ほど前のことなのです。
それにしても、かの彗星はいつ頃から宇宙空間を飛び回っているのでしょうか。

東日本大地震から二年が過ぎました。
この二年を、長いか短いか感じるのは、それぞれの方々によるのでしょうが、テレビの特集番組などを見て感じましたのは、傷ついた心を癒すのには、まだまだ短すぎるという気がしました。だって、地球の歴史カレンダーに当てはめれば、二年などというのは、息をのむ間もない時間なのですから。
同時に、各地の復旧に関するレポートなど見ていますと、大変だと思うとともに怒りさえ感じられてきます。「単なる復旧ではなく復興だ」などとは、どの口が言ったのか追及したい思いとともに、わが国の国力というものは、結局この程度だったのかというあきらめの気持ちもしています。
もちろん、地道に、雄々しく、一歩一歩進んでいる人たちのレポートも数多くあり、頭が下がりました。
遠く離れた当地からは、やはり関心が薄れていっていることは確かです。もっともっと関心を持ち続けることが何より大切であることと、どんな理由があろうとも、復興予算をくすねている結果となっている自治体は、少しは恥ずかしいと思って欲しいものです。そこの市民もですよ。

( 2013.03.14 )

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雁供養 ・ 小さな小さな物語 ( 493 )

2013-08-17 10:28:57 | 小さな小さな物語 第九部
『 秋、遥か北の国から雁たちが日本へやってくる時、小さな木片をくちばしにくわえて飛んでくるそうです。長い旅の途中、雁たちは時々その木片を海に浮かべて、疲れた羽を休めるのです。
そうして、ようやく津軽の浜までやってくると、雁たちはその木片を海岸に残して、日本の各地へと飛んで行き厳しい冬を過ごすのです。
やがて春になり、今度は北の国に帰って行くために、海岸においていた木片をそれぞれくちばしにくわえて、遥かな旅へと飛びたって行くのです。海岸には、この冬の間に命を落としてしまった雁たちの数だけ木片が残されます。
冬を越すことができず散っていった雁たちを哀れみながら、村人たちは、残された木片を集め、風呂を焚いて雁たちを供養したというのです。 』

これは、陸奥湾地方に伝わる伝説だそうです。
私がこの話をは初めて知ったのは、ウイスキーのコマーシャルに用いられていたのを見たのが最初なのですが、江戸時代に曲亭馬琴が編纂した「俳諧歳時記栞草」にも書かれているそうですから、ずいぶん古くからある話のようです。
また、私は聞いたことがないのですが、落語でも演じられているそうですし、俳句では「雁風呂」「雁供養」は春の季語になっています。

異常に暖かくなったり厳しい寒さが戻ってきたり、激しい風に風雨、北国では大雪の危険もまだまだ油断ができません。さらに今年は、花粉症に加え大気汚染の問題が、良くない話題を集めています。
しかし、それでも季節は確実に進んでいて、私がよく散歩するあたりの池からは、いつの間にか冬の鳥たちは姿を消してしまっています。すでに北国に向かって旅立ったのか、あるいはどこかの海岸に集まって飛んで行くのかもしれませんが、それぞれ元気に日本の冬を過ごすことが出来たのでしょうか。
この季節の頃、決まってこの伝説といいますか、民話といいますか、何とも切ないこの話を思い出すのです。

わが国の四季が少しずつ崩れていっている、といった話は随分前から耳にすることがあります。
確かな情報ではないのですが、以前は、この種の話の元になるものは、季節外れの野菜などが店先に並ぶことや、冷暖房の部屋で季節感がなくなったなどといった類だったと思うのですが、どうも最近は、天候であるとか、野草や野鳥などの生態などが話題の元になっていて、深刻さが増しているような気がします。
四季のある国に生まれた私たちは、その移り変わりの瑞々しさや、それぞれの季節が持つ優しさや厳しさによって育まれてきたものも少なくないと思うのですが、やがては、そういうものにも影響が出てくるのでしょうか。
やがて、春爛漫の季節になります。それぞれの季節を十分味わいたいものです。

( 2013.03.17 )
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コウモリは鳥か ・ 小さな小さな物語 ( 494 )

2013-08-17 10:27:06 | 小さな小さな物語 第九部
TPP交渉参加表明に関する議論が多発しています。
農業を護れ、国民皆保険制度が壊される、非関税障壁と呼ばれる部分で大きな打撃を受ける、食などの安全基準が犯される・・、等々、反対論が多数展開されています。
首相の正式表明で安心したのか、賛成意見はあまり取り上げられず、何故こんなに悪いことばかりある交渉に、遅れて、頼み込むようにしてまで参加するのかと考えてしまいます。

農業などのある分野は、致命的な打撃を受けて消滅してしまいそうな話も聞きます。
米なども、完全自由化がなされれば70%が輸入米にとって代られるという意見を述べている人もいるそうです。本当にそうなのでしょうか。日本のコメは、外国産のコメに品質と価格を加味した場合、それほど値打ちのないものなのでしょうか。もしそうだとすれば、国民は毎年大変な金額を第二の税金のような形で取られていることになります。

個々の品目や制度については、これから多くの意見が交わされることでしょう。従って、この欄ではその面は少し離れて、何故賛否両論のTPPに参加しようとしているのかについて考えてみます。
TPPに賛成であれ反対であれ、わが国が自由貿易から離れて自立していくことなど出来ないことは承知していると思います。現に、私たちは他国との貿易において関税や輸入制限によって、ある分野を護り、他国への売り込みにも制限を懸けられたりしています。さらには、通貨制度(円安・円高)による束縛がどれほど大きなものであるかということは、この数カ月の変化で身にしみたはずです。
TPPに関わらず、私たちが世界と付き合っていくためには複雑な問題や多くの矛盾があることも覚悟しなくてはならないのです。
そして何より大切なことは、TPPに正式参加できたとしても、それによる経済的利益など大したことではないのです。それでも、なぜ参加するのか。その理由の一つは、世界の動きは多国間による貿易協定を締結する方向に動いていて、TPPに不参加だけで済む話ではないのです。つまり、国家の安全保障とも無関係でないということも考える必要があるのです。

コウモリは鳥か獣か、といった物語を聞いたことがあるような記憶があります。
コウモリのように、ある時は鳥として振る舞い、ある時は獣として振る舞うことが出来ればいいのですが、お前は鳥だ、いやお前は獣だと両方から拒絶される恐れがあります。
わが国の国力からすれば、もはやコウモリのような行動では生き延びることは無理で、どちらかの旗幟を鮮明にする必要があるのです。
鳥になるのも一つの方法ですし、獣になるのも一つの方法だと思います。ただ、コウモリが鳥だといって頑張り抜くのは少々無理があるようにも思うのです。
さて、私たちはどちらを選べば良いのでしょうか。

( 2013.03.20 )
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プラシーボ効果 ・ 小さな小さな物語 ( 495 )

2013-08-17 10:24:06 | 小さな小さな物語 第九部
いろいろと噂されていた日銀の総裁・副総裁人事は意外なほどスムーズに国会の承認が得られ、新しい体制での通貨政策が実施されていくことになりました。
「アベノミクス」という言葉も、すっかり定着してしまい、日銀首脳の交代により首相提言の金融政策が正式にスタートしたわけです。
三本の矢などと、何とも古めかしい喩が首相の経済政策のスローガンになっているわけですが、喩は古くとも新鮮な息吹を吹き込んで強力な経済政策を展開してくれることを期待しています。

次は新年度予算の規模と内容が経済政策の次の柱ともいえます。首相の思惑通りの予算が組めれば、第一と第二の矢は放たれたことになります。
もっとも放たれた矢は、いくら強弓であっても風の影響も受けるでしょうし、障害物にぶち当たれば止まってしまいます。一旦弦を離れれば、後は矢の気の向くままというわけにはいかず、適切で強力なフォローが絶対に必要です。
株高・円安と、新首相就任以来、様変わりの好転を見せていますが、まだまだ株価も円相場もこれからが正念場です。
少し円安に振れたからといって、まだまだ「円」は世界最強ともいえる通貨です。強い商品はどんどん販売すればいいのです。販売すべき「円」は、どんどん発行すればよろしい。国債を発行すればよいのです。
財政規律がどうと難しいことを仰る方が登場してくれることでしょうが、今更五十兆円や百兆円程度の借金が増えたからといって、どうってことはありませんよ。何もしなくじっとしていれば、そのくらいの借金は間違いなく積み上がっていきます。どんと、経済対策につぎ込めば、後から税収がついてきてくれますよ。

「プラシーボ効果」という言葉があります。
「プラシーボ」というのは「偽薬」と訳されるそうですが、つまり「偽物の薬」のことです。
「プラシーボ効果」というのは、信頼される人から、良い薬だといって飲まされると、それが水とか小麦粉であっても、病状に良い効果を与えることがある、ということを指します。
このような話は、日常生活でも時々目にすることがあります。お母さんが幼い子供に、「痛いの痛いの飛んで行け!」と呪文を唱えますと、幼い子供の痛みは本当に軽減されるそうですから、これもこの効果の一つではないでしょうか。

実は、順調に船出をした新政権ですが、経済政策で見た場合、それほど具体的な政策が実行されたわけではありません。
言うならば、「プラシーボ効果」のような状態なのです。「痛いの痛いの飛んで行け!」と同じで、このお母さんの言葉はとても大切で有効なのですが、いついつまでも効果が続くものではありません。
要は、そして最も大切なのは、第三の矢である具体的な経済政策がどのように打ち出され実行されるかということです。
そのためにこんな提案はどうでしょうか。
一つは、キプロスの預金に対する課税のまねではありませんが、わが国を代表するような有力企業の社内保留金の一定割合を強制的に何らかの形で支出させるのです。社員への配分、地域への配分、設備投資など使途は企業に任せればよろしい。
そしてもう一つ、消費税の引き上げを二年ばかり延期させることです。それによる税収の落ち込みなど大したことではありません。むしろ、上向きかけている景気動向の頭を押さえることの方が遥かに経済的な損失ですよ。
当然、こんなことを上回るような施策を考えてくれているのでしょうが、「ブラシーボ効果」が切れた後には、本当に有効な薬が必要だということだけはお忘れなく。

( 2013.03.23 )
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