雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

おいしい水

2010-04-24 11:02:11 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


実家あたりでの生活用水は、井戸水か山からの水だった。


わたしの家には井戸があったので、主にその水を使っていたが、井戸のない家も少なくなかった。
その人たちは、山から引いている水場から 水を汲んできていた。


西山さんに連なる山の裾野からは、湧水がたくさんあり、そこから竹や木で作った樋で引いてきて、あちこちに水場が作られていた。
さあ、一か所で 十世帯位は使っていたのと違うかな。


わたしの家は どの水場とも離れていたのであまり利用しなかったが、そのまま飲む場合には、井戸水より 遥かにおいしかった。

家の井戸水は まずいなあ、とずっと思っていたけれど、大阪に出てきてからは、「ああ 田舎の井戸水は おいしかったなあ」と、よく思ったもんだよ。

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 きりぎりす

2010-04-23 10:37:04 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


瓜小屋で一人の時は退屈するので、よくいたずらしたなあ。


スイカのあまり大きなものでなく、てて親が覚えていないようなのをちぎって、中を半分ほどくりぬいて、きりぎりすを二、三匹入れてふたをするんよ。


それを、てて親に見つからないように、よその畑の中に隠しておいて、次の日には、きっと きりぎりすは大きくなっているはずだと思って取りに行くと、皮を食い破ってみんな逃げてしまっていた。
まあ、きりぎりすも必死だったんだろうねぇ。

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野菜の虫とり

2010-04-23 10:36:26 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


てて親や はは親について畑へよく行ったが、たいして手伝うことなどなかったなあ。
まだ小さかったから、クワなど使えないし、水くみなどとても無理だった。


まあ、よくした畑の手伝いといえば 野菜の虫とりだった。
青虫や毛虫を取るんだから、そりゃあ気持ち悪いよ。瓶に泥を入れて、竹箸で虫を掴んではその中に入れるんだ。

両親が近くの持ち山に薪を取りに行ったりすると、わたしは 一人で広い畑の虫とりを任されるんだが、それ、こんな仕事はすぐ嫌になってしまう。それで、飽きてくると、畑の隅で 持ってきていた人形を使って一人でままごと遊びのようなものをしたもんだよ。


うちの山からは畑全体がよく見えるんで、わたしが人形で遊び始めると、畑の一角で動かなくなるのが両親に丸分かりなんだよね。
はは親は、「畑のあの辺りには虫がたくさんいたらしく、咲は全然動いていなかったなあ」 と、笑うんよ。


「ああ、あの辺りは虫が固まって ぎょうさんいたわ」と、わたしがこたえると、「そうか、そうか、そんなにたくさんいたのか」 と、てて親も はは親も大笑いしていた。
わたしは、うまくだませたと思っていたんだけれど、そんなことはないわなあ。


 


 

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スイカと大雨

2010-04-23 10:35:03 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


てて親と瓜小屋へ行くのは楽しかった。
家の所帯は兄に譲っていたが、瓜小屋のある一画の畑は てて親が管理していた。ここで作る ウリやスイカやナスなどを一部売って得るものだけが、てて親の小遣いだった。


中でもスイカは一番お金になると言っていたが、ある時、大雨が続き畑全体が水に浸かってしまったことがあった。
ちょうどスイカが収穫する時期になっていて、それが大雨にプカリプカリと浮かび上がり、やがて一列になって畑の向こうへ流れ出ていった。


わたしは それがとてもおかしくて、大雨の怖さも忘れて、手を叩いて大喜びしていたよ。
でも、折角のスイカが台無しになり、てて親は辛かっただろうねぇ。

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ネギの皮むき

2010-04-22 13:46:52 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


小さい時から 家の手伝いはいろいろやらされたよ。
兄嫁さんには よくもそんなに次々と用事を見つけ出せるなあ と思うほど用事を言いつけられた。


もっとも、わたしも ずるをしたり 逃げ出したりして、あまり役には立っていなかったとも思うけれどね。


朝は ご飯が終わると、学校に荷物を置いて来て、そら 家は運動場に ひっついているんだから すぐでしょ。それから 二番目の鐘が鳴るまで 手伝いをしていた。


ああ、いろいろなことをしたが、たいていは野菜の整理だったけれど、ネギの皮をむくことが多かった。里では 白ネギなんか作らないから、いつも大きな青ネギの 白根の部分の土の付いている一番外側の皮をむき、青い部分でも枯れているようなものを取り除くのよ。


そう、いま思いだしてみると、いつもいつも ネギの皮をむいていたように思うなあ。どうして あんなにたくさんネギを作っていたのかなあ。

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猫は大切

2010-04-22 13:46:07 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


子供の頃 里では 猫は大切にされていた。
おカイコなどもいて、ネズミ対策が大切だったから、ね。どこかで子供が生まれるという話が伝わると、あちらこちらから貰い手があり、生まれる前に貰われていく先が決まっていたよ。
何匹生まれてくるか分からないのにねぇ。


兄が、山の方の知り合いから、大きくなった猫を貰ってきて、逃げ出さないようにして紐にくくって家の中で飼っていたのよ。みんなで可愛がり、交替でご飯の残りに汁をかけて食べさせたりして、結構なついていた。
わたしにも、ゴロニャン、ゴロニャンとなついてきて、可愛い猫だった。


かなり日が経って、もう大丈夫だろうと、兄が猫の紐を解いてやると、しばらくキョロキョロとあたりを見回し、部屋の隅を嗅いだりしていたが、突然玄関戸の隙間から表に飛び出し、結局それっきり帰って来なかった。


一、二日は近くを探したりもしたが、きっと山の方の家に帰ってしまったんだろう、ということになってしまった。
大きくなった猫は、新しい飼い主には、なかなか慣れないようだなあ。

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いつでも着物

2010-04-22 07:35:48 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


そりゃあ 子供の頃は いっつも着物だったよ。服なんて、戦争が始まるまで着た覚えがないなあ。


小学校の頃は、下着はお腰だけで いま思うと 冬でも寒い恰好をしていた。
ああ、寒い寒いとは言っていたけれど、そんなものだと思っていたから 別に辛いなどとは思わなかったな。


履き物は下駄。それも てて親が手作りしたもので 今ならとても履けるようなものではなかった。
お祭りやお正月には、買ってきた下駄を履かせてくれたが、そりゃあ うれしかった。


運動会でも着物だよ。まあ下駄では走らなかったわね。運動会の時は草履か裸足。裸足の子が結構多かったように思う。
着物に裸足でかけっこするの おかしいかい。そうかなあ。でも みんながそうだから、別におかしくもなんともないよ。

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子守り

2010-04-22 07:34:47 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


子守りは よくさせられた。
わたしは おとんぼなので、両親には甘やかされていたけれど、長兄夫婦と一緒に生活していたし、家計の実権は長兄に移っていたので、兄嫁さんから いろいろ用事を言いつけられた。


子守りをすることも よくあった。その兄の子供はまだ小さく、甥にあたる子を よくおぶっていた。
甥っ子は あまり泣かないし、わたしに懐いていたから あまり世話はかからなかった。


それでも、友達と遊ぶときなど、わたしだけが子供をおぶっているのが いやだなあと思うことが時々あった。


一度、その子をおぶって 友達と 川に入って貝を取っていたとき、兄に首根っこを捕まえられて、川から引き上げられると同時に、ほっぺたを思いっきり叩かれたことがあった。


いま思えば、危ないから注意してくれたんだろうけれど、あの時は、兄さんの子供を なんで わたしがおぶらないかんのかと、叩かれた痛さより なんだか切ない気持になった。
とても 辛かったなあ。

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山の子

2010-04-22 07:33:45 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


運動会なんかで かけっこをすると、山の子は早かったねぇ。そりゃあ とんでもなく早いし、あの子らは いくら走っても疲れないんよ。


わたしは身体は小さかったが、結構すばしこい方だったけれど、かけっこはあんまり早くなかった。
でも 仕方がないのよ。わたしの家は、学校の運動場に ひっついていたから、学校まですぐで 走り慣れていなかったんだよね、きっと。


その点 山の子は、一里もの距離を通って来るんだよ。毎日毎日、それも山道を 長い時間かけて通って来るんだから、あの子らに かけっこが勝てるはずがないよ。

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にぬき

2010-04-21 14:00:59 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


里では 鶏を飼っていた。
鳥小屋も あるにはあったけれど、いつも開けっ放しで 放し飼いだったな。それでも 卵は ちゃんと鳥小屋にある巣箱の中で産んでいた。
産んだしりから取られて食べられてしまうのに、何で余所で産まなかったのかねぇ。


今と違って、卵はとても貴重品だった。今の鳥みたいに 毎日毎日産むわけでもないから、わたしなんか 病気でもしないと滅多に食べさせてもらえなかった。


いつだったか、兄嫁さんが わたしに隠れて 自分の子供たちだけに「にぬき」を食べさせているのを見たことがある。ああ、ゆで卵のことだよ。わたしも食べたいと それほど思ったわけでもないけれど、あの時は切なかったなあ。


早く大きくなって、自分でお金を稼げるようになったら 腹いっぱい「にぬき」を食べてやる、と思ったものな。
もっとも、未だに「にぬき」を腹いっぱい食べたこともないし、今だと 二つ食べるのも勘弁して欲しいわなあ。

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