雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

逢ふことかたき

2022-04-21 08:00:39 | 古今和歌集の歌人たち

     『 逢ふことかたき 』

秋ならで 逢ふことかたき 女郎花
         天の河原に 生ひぬものゆゑ

                作者 藤原定方朝臣 

( 巻第四 秋歌上  NO.231 )
              あきならで あふことかたき おみなえし
                あまのかはらに おひねものゆゑ


* 歌意は、「 秋でなくては 恋人に逢うことが難しい 女郎花さん 年に一度しか逢えないという 天の河原に 生えているわけでもないのにねぇ 」といった、秋歌というより恋歌のように思われます。
女郎花を擬人化した歌でしょうが、「歌合」での作品のようで、真実味より技巧性を感じるような気がします。

* 作者の藤原定方(フジワラサダカタ・( 873 - 932 ) )は、内大臣藤原高藤の次男として誕生しました。醍醐天皇の外叔父に当たるという上流貴族の家柄でした。
892 年に内舎人として任官し、896 年に従五位下に昇り、897 年に甥に当たる敦仁親王が醍醐天皇として即位すると、右近衛少将に任ぜられました。
その後も順調に昇進し、909 年に参議に任ぜられて、公卿と呼ばれる地位に達しました。924 年に右大臣に昇進し、藤原北家嫡流の忠平と左右の大臣に就いています。
最終官位は、従二位右大臣、没後に従一位を追贈されています。

* 和歌や管弦にも秀でた文化人で、勅撰和歌集には全部で17首採録されており、小倉百人一首にも選ばれています。
紀貫之や凡河内躬恒などを後援者であり、娘婿である藤原兼輔(最終官位は従三位権中納言。小倉百人一首にも選ばれている。)と共に、醍醐王朝歌壇を支えた人物といえます。

* 定方は、藤原北家の嫡流ではなかったが、醍醐天皇に近く、恵まれた貴族生活であったと考えられます。
特にその子孫には、娘の一人は、その孫に紫式部を輩出しており、五男朝忠からは、穆子 → 倫子(源。道長の室)→ 彰子(一条天皇の中宮)→ 後一条天皇へと繋がっていて、その血脈は、今上天皇にまで繋がっているとされます。
政界の頂点に立つようなことはありませんでしたが、平安王朝においてもっとも貴族らしい生活を送った人物の一人であったように思われるのです。

     ☆   ☆   ☆
 


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