雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

遥かなる友よ   第六回

2010-02-12 08:40:12 | 遥かなる友よ

富沢氏の話は続く


   **


二日後、我々はその集落のようにも見える基地を離れた。


そこで編成された我々の隊ともう一隊とが、軍用トラック一台と十人ほどのソ連兵の監視の下で行軍を始めた。
二百人の日本人捕虜たちは、誰もが不安を抱きながら、口数少なく歩き始めた。


ソ連軍兵士からは行く先について何の説明もなかった。
すでに枯れかけている草原の中を、それでも道らしいものが果てしなく続いていた。ただひたすら歩き、時々休憩を取り、その度に点呼が行われた。


何のために何処へ向かっているのか一切説明がなかったが、この頃は、我々はそう遠くない日に日本に送られるものだと考えていた。

捕虜となった敗戦国の兵士がどのような処遇をされるのか我々には知識がなかったが、すでに戦争は終結しているのだから長くこの地に残されるとは思えなかった。もし処刑するつもりであるならば、あちらこちらと移動させるようなことはしないだろうし、監視下に置いておけば、いくら粗末な物とはいえ食料の手配だけでも大変なはずである。
それらを考え合わすと、いずれ日本本土か、あるいは満州国辺りへ返されるはずだという希望を持っていた。


だが、事はそれほど簡単ではないらしいという不安が、日が経つごとに我々の心の中で広がっていった。


 我々の一隊は、銃口が覗いている軍用トラックと徒歩のソ連軍兵士に監視されながら、三日、四日と歩き続けた。
一日に四十キロメートル程度進んでいたと思われるが、辺りの景色は殆ど変わることがなかった。


さらにただ歩くだけの日が続き、日本兵の中で倒れるものが出始めた。
行軍そのものは、交替しながらだがソ連兵も歩いており、それほど厳しいものではなかった。季節は秋であり気候には恵まれていた。
しかし、食事量の不足からくる栄養不足がひどく、下痢など起こすとたちまち体力を消耗した。


移動中には、時々別のトラックがやってきて、食料などの補給を行ったり、行軍不能となった日本兵を乗せて行ったりしていた。
隊から離れたものが、その後どうなったのか分からないが、再び戻ってくることはなかった。


与えられる食事は、とにかく酷いものであった。
朝食と夕食は、酸味の強い黒いパンとスープ。昼は、ソ連兵がカーシャと呼んでいた、粥というか雑炊というか、それが一杯出るだけであった。


パンは慣れさえすれば結構おいしく食べられたが、他の物はひもじい状態であっても食べられないほど酷い味であった。スープは殆ど塩味だけの湯に、何かの油がわずかに浮いているだけだった。
カーシャなどは、初めて口にしたときには殆どの者が喉を通すことができなかった。燕麦に野菜屑、それに魚の切れ端が少しばかり混ざっていたが、その味といい臭いといい酷いものであった。そして、あらゆる汁類の味は、岩塩だけで味付けされているらしく、とにかく塩辛かった。

移動させられている途中で、脱走できないかという相談もあった。
どこまでも伸びている道の両側は草原だが、決して平地ばかりではないのでトラックが自由に走れるとは思えない。徒歩で監視に当たっているソ連兵の動きは鈍重で、疲れも見えている。


少人数での脱走なら十分可能だと思われたが、行けども行けども草原の中で人家らしいものも全く見当たらない風景は、人間が生きていける土地とは思われなかった。
それに、季節は秋から冬に向かっていた。満州の冬を知っている者には、さらに北にある荒野で生き延びることが不可能なことは考えるまでもなかった。


まだ八月の末であったが、夜は冷え始めていた。
寝るのは全て野営であるが、日中歩いているときは汗ばむほどの陽気が、日没とともに温度が急速に下がった。手持ちの毛布に包まって寝ても、明け方には寒さで身体か震えるほどであった。


やがて、十日程も歩き続けたとき、ようやく建物群が見えてきた。おそらく四百キロメートル以上は北に移動した場所だと思われた。
十棟ばかりの大きな建物を中心にして、他にも幾つかの建物があった。全部が木造建築で、あちらこちらに見張用の高い建物があり、そこには機関銃らしいものが据えられていて、何人かの兵士の姿も見えた。
そして、建物群全体が、太い丸太の柵と有刺鉄線で囲い込まれていた。我々が収容される労働収容所であった。


そこは、ハバロフスクに近い原野の中の労働収容所であった。
広大なシベリアの中では東寄りに位置していたが、海に面しているウラジオストックからは六百キロメートル程も北方の内陸にあり、冬は内陸性の気候が厳しい極寒の地であった。それでも、シベリアに数多く作られていた労働収容所の中では、まだましな方であったかもしれない・・・。


もっとも、私がこれらのことを知るのは、ずっとあとのことである。


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