雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

天空に舞う   第十九回

2010-09-12 10:25:58 | 天空に舞う

   第三章  予期せぬ運命 ( 3 )


その年の暮れ、啓介は帰郷しなかった。


母親からはたとえ一日でもいいから帰ってくるように何度も催促されたが、友達と旅行に行く予定になっていると謝った。早知子のいない西宮にどうしても帰る気持ちにならなかった。


友達と旅行に行くというのは嘘だったが、年末近くの三日間で房総半島を一周した。
一人で民宿に泊まり、海ばかり見ていた。三日とも天候に恵まれず、太平洋に続いているはずの海も、啓介が知っている冬の日本海と同じ鈍い色でしかなかった。


自分の心が映っているように思われなぜか苦い笑いが浮かんできたが、そのあと突然のように早知子のことが思いだされた。
打ち捨てられたような海水浴客相手のポート小屋で雨を避け、早知子のことを思い続けた。


「いつまでも、一緒よね」という早知子の声が聞こえた。
「死んだ後も、ずっと一緒よね」と言った時の、眩しいばかりに輝いていた早知子の姿が切なく胸に迫ってきたが、啓介には抱きしめる術が分からなかった。


「ずっと一緒だよ」と、あれほど堅い約束を交わしたのに、どのようにしても、今も一緒だと確認することができなかった。


  **


年が明けた五日に、俊介と希美が東京に出てきた。一泊の予定だったが、二人が啓介のことを心配しての上京であることは確かだった。


希美がグループの親しい仲間とはいえ男友達と一泊するなど祖父たちがよく許したと思われたが、事情を承知していて、希美の父親が宿泊先を提供してくれたのである。
品川にある立派なホテルの部屋を三つ用意してくれていて、啓介も一緒に泊まることになった。


二人は啓介の身をとても心配していたが、希美の落ち込みようも激しかった。
中学三年の時、希美が一番苦しい時に早知子と巡り逢ったのである。それは、巡り逢ったというよりも早知子が手を差し伸べてくれたのである。希美はずっとそう思ってきた。

その後も早知子の好意は変わることなく、、友達が少なかった希美にとって特別な存在になっていった。
大学に入ってからは、ずっと一緒に行動していたといえるほどだ。それだけに、早知子の突然の死は肉親を失った以上のものだったかもしれなかった。


三人は一つの部屋に集まって、夜遅くまで話し合った。
あの時早知子はこう言ったとか、あんな悪戯をしたとか、わたしを助けてくれたとか、そんな話ばかりだった。
次々と話が続いている間はよかったが、話が途切れると、突然のように淋しさが三人を襲った。
淋しさが言葉数を少なくし、会話が少なくなることが淋しさを増した。


「啓介さんは、早知子と結婚する気だったの?」
突然話題を変えて、希美が尋ねた。大学生になってから二人は、早知子、希美という言い方で呼び合っていた。


「うん、そのつもりだった」
「お二人で、結婚について話し合ったことあったの?」


「いや、それはなかった。まだ、結婚について具体的に考えたことはなかったけれど、いつか結婚するものだと考えていたよ」
「早知子にも、その意思は伝わっていたの?」


「伝わっていたと思う」
「本当に?」


「うん、それは間違いなくはっきりと伝わっていたと思う。でも、どうして?」
いつにない希美の強い口調に圧倒されながら、啓介は逆に質問した。早知子が東京まで来たことを希美が知っているのかどうか分からなかった。また、詳しいことまで話すのは、さすがに憚られた。


「早知子、すごく不安に思っていたみたい・・・」
「ぼくたちのことが?」


「そう。啓介さんが東京に行ってから、だんだん離れていくのではないかと心配していたみたい」
「そんなはずないよ。早っちゃんとは、ずっと一緒だと約束していたし、そのことは、よく分かっていたと思う。亡くなる直前にも、ぼくたちは、その約束を確認しあったんだ・・・。早っちゃんの温かい手を通して、はっきりと確認しあったよ」


「そう・・・。そんなことがあったの・・・。ごめんなさい・・・、きついことを言ってしまって・・・。でも、良かったわ。早知子、約束できていたんだ・・・」
希美は、うっすらと涙を浮かべて、視線をそらした。


「そうだよ。啓介と早知子さんは特別なんだよ。啓介が東京へ行ったことぐらいで、何も変わらないよ。希美さんの考えすぎだよ」
短い沈黙の後、俊介が啓介を弁護するかのように口をはさんだ。来る時の列車の中で話題になったことのようだった。


「早っちゃんが、心配だって言ってたの?」
「ううん、そうじゃないの。啓介さんのことを、どうこう話したことは一度もなかったわ。ただね、何だか不安なんだって、言ってたわ」
啓介の問い掛けに、希美はいつもの口調に戻って答えた。


「ぼくたち、どういう関係だろうって話し合ったことがあるんだ」
「最近のこと?」


「昨年・・・、いや、一昨年の暮れだった。ぼくたちは、家族みたいにいつも一緒だった。ぼくは、早っちゃんのこと大好きだったし、早っちゃんも好きだと言ってくれたよ。でも、本当は二人がどういう関係なのかって話し合ったんだ。結婚とか、そういうことまで話さなかったけれど、恋人同士だって、はっきりと確認しあったよ。
早っちゃんの不安って、何だったんだろう・・・」


啓介は話しながら、あの日のことを思い浮かべていた。
「とっても不安なの」と言った早知子の言葉は、何を伝えようとしていたのだろうか。
いくら子供の頃から一緒だったとはいえ、男にすべてを委ねようとすることへの不安なのだと思っていたが、希美にも話していたのであれば、そうではなかったのかもしれない。
やはり、やがて訪れる運命を感じていたのではないだろうか・・・。


「お二人は、恋人同士だって確認し合っていたのね・・・。早知子、啓介さんのことを恋人だと心に刻んで死んでいったのね・・・。よかったわ・・・」


再び、言葉が途切れた。
耐えかねたように俊介が立ち上がり、冷蔵庫からビールを取りだしてきた。それから部屋を出て行き、自分の部屋からもビールとグラスと湯呑茶碗を持ってきた。そして、グラス二つと湯呑茶碗二つにビールを注いだ。


「早知子さんも、一緒に飲もうな」
と俊介が必要以上に大きな声で言った。
希美が、声をあげて泣いた。


「なんで、死んでしまったんだよ・・・」
俊介も湯呑茶碗のビールを一口飲むと、顔を歪めて呻くように呟いた。


三人はたった二本のビールを長い時間をかけて飲んだ。そして、話し続けた。
死ぬということがどういうことなのか。生きているということがどういうことなのか。死んだ者と生きている者とは、どのように関わっていけるのか・・・。
そのようなことを、繰り返し繰り返し話し合った。


僅かなビールに酔いのようなものを感じながら、啓介は一つの結論に近付こうとしていた。
それは、早知子と自分は結婚したのだという結論だった。
「わたしを啓介さんのものにして」という早知子の言葉に応えたのだから、あの日のことが、二人の結婚の儀式だったのだと考えたのだ。


固い友情で結ばれた四人だった。死んだことぐらいで四人の友情が変わることなどない、というのがこの夜の結論だった。
そして啓介は、全く同じことを自分自身に誓っていた。それは、深く結ばれた二人の愛は、ひとりが死んだことなどで変わることなどないという思いだった。


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