雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一条天皇 女院を見舞う ・ 望月の宴 ( 93 )

2023-10-28 08:12:01 | 望月の宴 ③

     『 一条天皇 女院を見舞う ・ 望月の宴 ( 93 ) 』


やがて、月末となった。
( 史実としては閏十二月の十六日のこと。)
世の中は何かと騒がしく新年の準備に励む頃であるが、女院(東三条院詮子。一条天皇生母。)のご病状が回復なさらないので、気分は落ち着かず、公も私もご心痛である。
こうした時、東三条院への行幸が行われる。それが今日のこととお聞きになって、女院は今か今かとお待ち申し上げているうちに、午の時(真昼ごろ)ばかりにお成りになる。

帝は、御輿が到着してお下りにになられる間もじれったく思われ、さっそくに女院と御対面なされたが、たいそう苦しげにされているのに、若宮(媄子内親王。母は定子。)は女院の御懐から離れず出たり入ったりされているので、すぐにおいたわしいことだとご覧になられて、中将の乳母(媄子の乳母)をお呼びになって、「この宮を抱いてさしあげよ」と仰せになられると、若宮は「いやいや」と言って御懐にお入りになる。
すっかりおやつれになり、まるで別人のようになられた女院の御姿に、帝は涙も止まらぬほど思われて、「今までお会いしなかったことが悔やまれて」などと、どうすることも出来ず、たいそう悲しくお思いであった。

女院も、特に申されるお言葉もなく、ただつくづくと帝をご覧奉って、お泣きになられるが、御涙をおこぼしにならないのも、これはゆゆしきことと拝されるにつけても、帝はますます涙を押えきれずにお泣きになられる。(泣いて涙が出ないのは不吉とされた。)
これまで何度もお迎えしていた行幸の作法に比べて、様子は異なり忌まわしいばかりの有様は、お伝えのしようもない。
伺候している多くの女房たちも、ただ涙にむせんでいる。
殿(道長)もお見受けする限り気丈に構えていらっしゃるが、すべてにつけて悲しいことなので、御直衣の袖も涙に濡れていて、御部屋を出たり入ったりして看病申し上げている。女院は、さっそく今夜にも他所へお移りのはずなので、転居先の御設備のことなど色々と仰せ付けになるにつけても、ただお一人で涙ながらに出たり入ったりなさっている。
行幸の御供の上達部や殿上人やたくさんの人々も、たいそう悲しくて、どのようにおなりになるのかと、ひたすら心を痛めている。
帝はさらにお悲しみで、御声も惜しむことなく、まるで幼児のようにしゃくり上げてお泣きになる。

日もいつしか暮れてゆき、殿(道長)は、「早く還御なさいませ。今夜の御移りは夜が更けてからになるでしょうから」と、早く早くと急かせられる。(天皇が夜中に、宝剣が置かれている清涼殿を空けることは許されない。)
帝は、「まことに罪深く情けない者は、この私のような者であったのだ。この御有様を見捨て奉ることがどれほど辛いことか。下賤の者でさえ、このような場合これほどつれないことはするまい。何と情けない身の上であるのか。せめてお移りになる所まで」と仰せになられたが、「そのようなことはなさるべきではありません」とて、早々に還御なさるように奏上させなさったので、女院は何も申されないが、もう十分と満足する前に還御なさることになり、悲しく思っていらっしゃる。
帝の御手をお取りになって、御顔にご自分の御顔を近寄せて、お泣きになる有様に、御部屋の内外に伺候している人々は号泣した。
「何と不吉なことか。そんなに泣くものではない」と、立前を口にするような上達部なども、制止なさりながらも、やはり涙を浮かべている。

こうして、「この若宮はどちらへ」と帝がお訊ねになると、中将の命婦が「若宮は姉宮(脩子内親王)兄宮(敦康親王)のいらっしゃる所にと、殿は申されています」と奏上すると、「まことに、そうするのが良いだろう」と仰せられる。
すでに夜になっており、御輿を寄せて度々還御を催促申し上げるので、心を引かれながら還御なさる帝のお気持ちは、まことに推察申すべきである。
無上の御位にあるとは申せ、親子の情愛をご存じないのであればともかく、すべて世の道理のままの御有様は、まことに悲しい限りである。御輿にお乗りになる時のご様子は、まがまがしいほどに思い詰めていらっしゃる。御袖を御顔に押し当てていらっしゃるが、それでも御涙が流れ出ていらっしゃる。
殿は帝の還御にお仕えなさるので、御乳母たちや女房たちが女院のおそばに伺候すべくお命じになって、帝にお供なさるのも気もそぞろで、今頃女院はいかがなっているかと心細くお思いである。
帝はそのまま何も仰せになることなく、夜の御座(オマシ・清涼殿の夜御殿。)にお入りになり、もう何事も念頭になく、女院のお見舞いの御使者ばかりを絶え間なくお遣わしになる。

     ☆   ☆   ☆


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 122人がスタートラインに | トップ | 人道的休戦決議案が採択されたが »

コメントを投稿

望月の宴 ③」カテゴリの最新記事