雅工房 作品集

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歴史散策  女帝輝く世紀 ( 4 )

2017-02-22 11:21:53 | 歴史散策
          『 女帝輝く世紀 ( 4 ) 』

女帝の先駆け

我が国における最初の女性天皇は推古天皇とされる。
もっとも、推古天皇即位の頃には、我が国にはまだ「天皇」という称号は使われていなかったので、おそらく「大王」という称号であったと推察されるが、本稿では、便宜上天皇の称号で書き進める。
さて、推古天皇誕生の背景については後に検討するとして、存在の正否はともかくとして、神武天皇以来三十二代にわたって男性天皇によって引き継がれてきた地位に、突然推古天皇が登場してきたのかといえば、そうではないらしい。推古天皇即位の個別の要因もさることながら、女性天皇を誕生させることを容認するような土壌が、すでに当時のわが国にあったように思われるのである。
つまり、推古天皇に先だった女帝が存在し、少なくとも皇族や有力豪族たちの間では知られていたと考えられるのである。

そもそも、神武天皇を初代天皇とすれば、さらに遡る我が国の初代大王となれば、天照大神(アマテラスオオミカミ)であろう。もちろんここまで遡れば神話の世界であることは承知の上でのことであるが、指導者層は天照大神の存在は知られていたはずである。「古事記」が太安万侶によって撰上されるのは西暦712年のことであるが、「古事記」や「日本書紀」に記されているような故事や登場人物については、断片的であれ指導者層は承知していたと考える方が自然であると思う。
つまり、我が国誕生に関わる重要人物(あるいは神)としては天照大神はよく知られており、この大神は女性神なのである。天照大神については、男性であったとか、あるいは中性であるといった説もあるようだが、女性と考える方が定説と思われる。

次の人物は、歴史フアンであれば誰もが一度はのめり込んだと言っても過言ではないと思われる女性、卑弥呼である。
卑弥呼については「古事記」などには登場しておらず、中国の正史に記されていることから古代のヒロインになったと言えよう。「魏志倭人伝」には、「倭国は、もともと男子が王位に就いていたが、国内が乱れ内乱が続いたため、一人の女子を共立して王とした。名づけて卑弥呼という。鬼道を事とし、よく衆を惑わす」といった内容が記されている。つまり、「共立」とあることから、倭は連合国で、幾つかの国の王たちが相談の上、卑弥呼を倭の王としたのである。卑弥呼を邪馬台国の女王と呼ぶのが一般的であるが、邪馬台国は倭国連合の一国であり、卑弥呼が倭国女王であることは確かだとしても、邪馬台国の女王であったかどうかは魏志倭人伝をみる限りはっきりしない。
なお、卑弥呼が没すると男王を立てたが、再び国内は乱れ、そのため卑弥呼の一族の女子を王位に就けることで内乱は治まったという。この女性は壱与(イヨ)あるいは台与(トヨ)とされている。
卑弥呼に関することを追うのは本稿の趣旨ではないので置くとして、倭国には二人の女王が存在していたことを、当時の指導者たちが全く知らなかったとは考えにくい。また、卑弥呼の存在が、後の女性天皇たちに鬼道(キドウ・一般的には巫女あるいはシャーマンなどを指し、呪術のようなものを指すとされている。個人的には、いわゆる超能力のようなものと考えている)という面を強調する傾向を生んでいるように思われる。
 
「日本書紀」に登場している女帝となれば、まず「神功皇后」である。この人物については、当カテゴリーの『空白の時代』に詳述しているので重複は避けるが、「日本書紀」によれば、実に七十年近く天皇と同様の責務を担っていたのである。一部文献には「神功天皇」との表記があり、明治時代頃までは天皇に列せられていたのである。飛鳥時代の頃、神功皇后をどのように認識していたのかを知ることはなかなか困難なようであるが、たとえ伝承としても朝廷を率いた女性として周知されていたのではないだろうか。

今一人、天皇位にあった可能性のある女性がいる。飯豊皇女(イイトヨノヒメミコ)である。
この人物にも多くの伝承や説があり、それらを追い求めるのも興味深いが、ここではごく簡単に触れておく。
飯豊皇女は、第十七代履中天皇の皇女とも孫ともされている。また、よく似た名前の二人の女性がいたという説もある。履中天皇の孫だとすれば、父は市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)である。
第二十代安康天皇が暗殺された後継をめぐって、跡を継ぐことになる後の雄略天皇(第二十一代)に市辺押磐皇子が射殺されるという事件が起こった。二人は共に第十六代仁徳天皇の孫にあたり、皇位をめぐる争いがあったと考えられる。市辺押磐皇子の幼い二人の息子は丹波国から播磨国赤石に逃れ身を隠した。
それから二十七年後、雄略天皇の皇子であった第二十二代清寧天皇が崩御すると、天皇に皇子がいなかったこともあり、後継者をめぐる争いがあったと考えられ、その中で飯豊皇女が朝廷権力を握ったとされるのである。その期間は十ヶ月程度らしいが崩御したためであるが、二人の弟を次代・次々代の天皇に就けている。

以上、女帝の先駆けと思われる女性を四人紹介させていただいたが、これらの女性の伝承が飛鳥時代の幕開けの時に、推古天皇という女帝を選択するのに少なからぬ影響を与えたとはずだと思うのである。

     ☆   ☆   ☆



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