雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

五月晴れ ・ 小さな小さな物語 ( 972 )

2017-10-31 15:17:21 | 小さな小さな物語 第十七部
朝の六時前、快晴の実に清々しい朝です。
この記事は一日前の五月二十七日に書いていますが、二、三日ぐずついたお天気の後だけに、特に空の美しさが印象的でした。
当地の日の出は四時五十分頃ですので、朝も六時にもなればすでに日差しは強くなりつつありますが、この朝は平年より気温が低いとのことでしたが、実に清々しい朝で、「すばらしい五月晴れだ」と思わずつぶやいてしまいました。

そこで、この「五月晴れ」という言葉ですが、なかなか使い方が難しい一面を持っています。
本来「五月晴れ」とは、旧暦五月の長雨、つまり梅雨の合間の強い日差しの晴れ間を指すものです。その本来の意味を強調して、ゴールデンウイークなどに「絶好の五月晴れです」と言うのは間違っているとご高説を述べられる方もあるようです。中には、新暦五月の快晴を表現する場合は「ごがつばれ」と発音すべきだという方もいるようです。そして、「さつきばれ」の「さつき」とは旧暦五月を指すので、新暦五月の晴れを「さつきばれ」と発音するのはおかしいというのです。
何だか難しい話ですが、放送局などでは、「新暦五月の『清々しい晴れ間』を『さつきばれ』と表現することを容認しているようです。
旧暦と新暦が入り混じって複雑ですが、その点、今年の場合は、新暦の五月二十六日が旧暦の五月一日にあたりますから、この数日間は大手を振って『五月晴れ(さつきばれ)』を連呼してもいいのではないでしょうか。

ところで、五月、あるいは五月晴れには、何といっても「新緑」という言葉が似合うと思われませんか。今朝(二十七日)あたり、公園などの木々の中には、かなり色が濃くなっているものもありますが、新緑真っ只中という感じでした。
さて、「新緑」という言葉は、実に清々しいものを連想させますが、この「緑」という言葉もなかなか難しい存在と言えます。緑という色は、子供のころ習った記憶が正しいとすれば、青色と黄色を混ぜ合わせると出来るわけですが、その割合によって様々な姿を見せることになります。さらに少しばかり異色の物を加えることによって、無限に近い色が生まれてきます。それは、緑に限ったことではありませんが、特に身近に感じる物が多い気がします。

「緑」という文字が色を表現する言葉として登場したのは平安時代になってからだそうです。
万葉集の中でも、例えば「あおによし」という言葉の表記を、多くは「青丹吉」とされていますが、一部では「緑丹吉」と表記されています。しかし、この場合には、独立した色という感覚で用いられている感じはあまりありません。
しかし、誤解してはならないことは、万葉の時代、さらに古い時代の人々が、「青」と「緑」の識別が出来なかったということではありません。表記という面で、緑の持つすべての色合いを青という文字に委ねていたに過ぎないのです。現在でも、「青野菜」「青葉」と言った言葉が使われていますが、私たちでも、この青という文字から複雑な色合いを連想できます。
古の人々は、青という文字から、青はもちろんのこと私たちの感性を遥かに超えた様々な緑を思い描くことが出来たのではないでしょうか。
折から、絶好の青葉若葉の季節です。古の人々の感性には及ばないまでも、滴るような緑を満喫したいと思っています。

( 2017.05.28 )

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