雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

歴史散策  神武登場

2015-09-01 11:00:05 | 歴史散策
          歴史散策

               神武登場


天上の神々の意志により、天照大御神の子孫が統治することになった芦原中国に、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト・神武天皇)が登場してくるまでを、『古事記』に基づき、10回に分けて紹介しています。
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歴史散策  神武登場 ( 1 )

2015-09-01 09:30:13 | 歴史散策
          神武登場 ( 1 )

芦原中国の統治

天上の神々の意志によって、芦原中国は天照大御神の子孫が統治することになり、やがて、神武天皇の登場につながって行くのであるが、そのあたりについて「古事記」に従って辿ってみよう。

天照大御神は、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)に、
「豊芦原千秋長五百秋水穂国(トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミズホノクニ)は、我が御子、正勝吾勝々速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)の統治する国である」 
と命じられて、天降りさせた。
ふつうは芦原中国(アシハラノナカツクニ)と呼ばれているが、この大げさな呼び名は、「いつまでも豊かな収穫の続く、みずみずしい稲穂が出来る国」だと強調したものである。同様に、天忍穂耳命の名前についても、天照大御神と須佐之男命が争った際に、須佐之男命が天照大御神の髪飾りの玉を噛み砕いて吐き出した息の霧から生まれた時に付けられた名前を使っているのは、由緒ある天上の神であることを示すためと思われる。

さて、命令を受けた天忍穂耳命が天の浮橋(アメノウキハシ・天空に浮かんだ橋で、天降って行く通路ではない)に立って、芦原中国の様子を窺うと、たいへん騒がしい状況であることが感じられた。そのため、再び天上に戻り、天照大御神にその旨を申し上げた。
そこで、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ・天地の初めに高天原に最初に成った三神のうちの一人)と天照大御神の命により、天の安の河の河原に八百万の神々を集め、思金神(オモイカネノカミ・予見の神)に、
「芦原中国は、我が御子に統治させる国である。だが、この国には勢い激しい荒ぶる国つ神が大勢いるという。どの神を遣わして服属させるのが良いだろうか」
と思案させた。
思金神と数多の神々は相談し、「天菩比神(アメノホヒノカミ・稲穂を神格化した名前)を行かせましょう」ということになった。

それにより、天菩比神が芦原中国に派遣されたが、たちまちのうちに大国主神になびいてしまって、三年経っても何の報告もしてこなかったのである。

     ☆   ☆   ☆

二人目の神

このため、高御産巣日神と天照大御神は神々を集めて、
「芦原中国に遣わした天菩比神は、長い間報告をしてこない。今度は、どの神を派遣すればよいだろうか」
と尋ねた。
それに対して、思金神は、「天津国玉神(アマツクニタマノカミ・高天原という世界の国魂の神)の子である天若日子(アメワカヒコ・天上界の若者という意味)を遣わすのがよろしいでしょう」と答えた。

そこで、天のまかこ弓・天のはは矢(意味が今一つ分からないが、霊力のある弓矢であろう)を天若日子に授け、芦原中国に遣わした。
ところが、天若日子は、芦原中国に降り着くと、たちまちのうちに大国主神の娘である下照比売(シタテルヒメ)の虜となり娶ると、その国を手に入れようとの野望もあって、八年経っても天上に復命しようとしなかったのである。

     ☆   ☆   ☆

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歴史散策  神武登場 ( 2 )

2015-09-01 09:29:12 | 歴史散策
          神武登場 ( 2 )

哀れなり鳴女

芦原中国に遣わした二人の神は、いずれも大国主神に魅せられてか、何の復命もしてこなかった。
そこで、高御産巣日神と天照大御神は、また諸々の神に、
「二人目の天若日子も八年も経つのに復命してこない。どういうわけがあってのことか、どの神を遣わして問いただせばよいか」
と尋ねた。
これに対して諸々の神々と思金神とが答えた。
「雉(キジ)の、鳴女(ナキメ)という者を遣わすのがよろしいでしょう」

高御産巣日神と天照大御神は、その雉を呼び寄せて、
「お前は芦原中国へ行き、天若日子に『お前を芦原中国に遣わしたのは、その国の荒ぶる神々を帰順させるためである。いったいどうして八年もの間復命しないのか』と問いただすのだ」
と仰せつけになった。
その命令により、雉の鳴女は天上より芦原中国に降りついて、天若日子の住処の入り口の神聖な桂の木の上にとまり、天つ神から命じられた通りに漏らすことなく伝えた。

すると、天佐具売(アメノサグメ・探偵役の従者)がこの鳥の声を聞いて、
「この鳥は、鳴き声がひどく悪い。射殺してしまうべきです」
と、天若日子に進言した。
すると天若日子は、直ちに天つ神から与えられていた天のはじ弓・天のかく矢を持って、その雉を射殺してしまったのである。
その矢は、雉の胸を貫通して、天上にまで射上げられ、天の安の河の河原にいらっしゃる天照大御神・高木神(タカギノカミ・高御産巣日神の別名)のもとにまで届いた。

☆   ☆   ☆

天つ神の裁許

高木神が飛んできた矢を取って見たところ、その矢の羽に血がついていた。
「この矢は、天若日子に授けた矢である」
と仰せられると、諸々の神々を集めてその矢を示し、
「もしも天若日子が、命令に背かず悪い神を射ようとした矢がここに届いたのであれば天若日子に中(アタ)るな。もしも悪しき心があるならば、天若日子よ、この矢によって災いを受けよ」
と宣せられると、その矢を取って、その矢があけた穴から突き返して下したところ、天若日子が朝方まだ寝ている所に飛んで行き、その胸に中って天若日子は死んでしまった。

これが、還矢(カエリヤ)の起こりである。(「神を射ようとした矢は、その射手に向かう」といった意味で、当時そのような考え方があったらしい)
また、今の諺に、「雉の頓使(キジノヒタツカイ)」とあるのは、これが始めである。(「行ったきり帰って来ない使者のたとえ」で、これもすでに諺として使われていたらしい)

     ☆   ☆   ☆
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歴史散策  神武登場 ( 3 )

2015-09-01 09:28:03 | 歴史散策
          神武登場 ( 3 )

天若日子の死

さて、天上から放たれた矢によって天若日子(アメワカヒコ)は殺されたが、それを知った妻の下照比売(シタテルヒメ)の泣く声は、風にのって響き渡り、天上まで届いた。
これを、天上にいる天若日子の父天津国玉神(アマツクニタマノカミ)と天若日子の妻が聞いて、芦原中国に天降って来て、泣き悲しんで、直ちに喪屋(モヤ)を作り、河雁(カワカリ・雁の一種か?)をきさり持(キサリモチ・意味不祥。鎮魂の儀式の一種か?)とし、鷺を掃持(ハハキモチ・喪屋を清める箒を持つ役)とし、かわせみを御食人(ミケビト・死者のための調理人)とし、雀を碓女(ウスメ・米をつく女)とし、雉を哭女(ナキメ・葬送儀式での泣き役の女)とし、このように担当を決めて、八日八夜の間、歌舞音曲を奏し続けた。
(葬送儀式の各役割に鳥をあてているのは、死者の魂は鳥となるという考え方があったらしい)

この時、阿遅志貴高日子根神(アジシキタカヒコネノカミ・下照比売の兄)がやって来て、天若日子の喪を弔った。
すると、天降ってきていた天若日子の父と天若日子の妻は泣きながら、「我が子は、死なずにいた」「わが夫は死なずにいらっしゃった」と言いながら、阿遅志貴高日子根神の手足にすがりついて泣き悲しんだ。それは、この神の容姿が天若日子ととてもよく似ていたからである。
阿遅志貴高日子根神は、大いに怒って、
「私は、親しい友人であったから弔いに来ただけである。いったいどういうわけで、私を汚らわしい死者になぞらえるのか」
と言うと、腰に帯びていた十掬の剣(トツカノツルギ・大刀)を抜き、その喪屋を切り倒し、足で蹴り飛ばしてしまった。
これが、美濃国の藍見河(アイミカワ・長良川の中流か?)の河上にある喪山である。また、喪屋を切り倒した大刀の名は、大量(オオハカリ)といい、またの名を神度剣(カミドノツルギ)という。

そして、阿遅志貴高日子根神が怒って飛び去ってしまった時、その同母の妹である高比売命(タカヒメノミコト・下照比売の別名。わざわざ別名を用いたのは、阿遅志貴高日子根神と同系であことを示すためか?)は、名乗らずに去って行った兄がこのまま死者と同一視されてはならないと思い、次のように歌った。
『 天なるや 弟棚機(オトタナバタ)の 項(ウナ)がせる 玉の御統(ミスマル) 御統に 足玉(アナダマ)はや 二渡(フタワタ)らす 阿遅志貴高日子根神の 神そ 』
( 天上の 機織り姫が 首にかけている 玉の御統(緒で連ねたもの。首飾りのようなものか?) 御統よ 足玉(手に巻く物、足に巻く物があったらしい)よ その玉のように二つの谷を渡って輝くような 阿遅志貴高日子根神でありますぞ この神は )
この歌は、夷振(ヒナブリ)である。
( 夷振の意味が今一つ分からないが、歌の性質により「なになに振り」といった区分けがされていたのかもしれない。)

     ☆   ☆   ☆

建御雷神

天照大御神は、またも神々に「いずれの神を遣わせばよいか」と尋ねられた。
それに対して、思金神と諸々の神々は、
「天の安の河の河上の天の石屋(イワヤ)においでになる伊都之尾羽張神(イツノオハバリノカミ・伊邪那岐命が迦具土神を切った時の刀の名前が伊都之尾羽張なので、それに関して成った神と考えられる)を遣わすのがよろしいでしょう。あるいは、その神の子である建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ・建御雷神と同一)を遣わすのがよろしいでしょう。また、その天尾羽張神(伊都之尾羽張神の別名)は、天の安の河の水を逆に塞(セ)き上げて道をふさいでいるので、他の神は行くことができません。それゆえ、特別に天迦久神(アメノカクノカミ・船頭に関係する神か?)を遣わして、返答を聞くのがよろしいでしょう」と、申し上げた。

そこで、天迦久神を遣わして天尾羽張神に命令を受けるか否か尋ねると、
「恐れ多いことでございます。ご命令をお受けしましょう。しかし、この使いの任務には、私の子である建御雷神を遣わすのがよろしいでしょう」と言って、ただちに建御雷神を差し出した。

天照大御神は、天鳥船神(アマノトリフネノカミ・伊邪那岐、伊邪那美からな生まれた神の一人か?)を建御雷神の副使にして芦原中国へ遣わした。

     ☆   ☆   ☆







 

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歴史散策  神武登場 ( 4 )

2015-09-01 09:27:21 | 歴史散策
          神武登場 ( 4 )

天つ神の宣言

さて、建御雷神(タケミカヅチノカミ)と天鳥船神(アメノトリフネノカミ)の二柱の神は、出雲国の伊耶佐(イザサ)の小浜(オハマ)に降り着いて、十掬の剣(トツカノツルギ・大刀)を抜き、波頭に逆さまに刺し立て、その剣の切っ先に胡坐(アグラ)を組んで座り、芦原中国の大国主神に問いただした。
「天照大御神、高木神の仰せで、お前に問いただすために我らを遣わされた。お前が領有している芦原中国は、我が御子の支配する国であると委任された。そこで、お前の心はどうなのか」と尋ねた。

これに対して大国主神は、
「私には申し上げることが出来ません。我が子である八重言代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)がお答えするでしょう。ところが、鳥の猟、魚の漁の為に御大之前(ミホノサキ)に行っていて、まだ帰ってきていません」と答えた。
そこで、天鳥船神を遣わして八重事代主神を連れ戻してきて問いただしたところ、八重事代主神は父の大神に語りかけ、
「恐れ多いことです。この国は、天つ神の御子に差し上げましょう」と言うと、直ちに乗ってきた船を踏んで傾け、天の逆手(アメノサカテ・逆の柏手、つまり手の甲と甲を打つことか? いずれにしても、呪術的な意味を持っている)を打って、船を青柴垣(アオフシガキ・漁に用いる垣か?)に変えて、身を隠した。

そこで、建御雷神は大国主神に、
「今、お前の子である事代主神は、このように申し終えた。他にも申すべき子はいるのか」と尋ねた。
「もう一人、建御名方神(タケミナカタノカミ)という子がいます。これ以外にはおりません」と大国主神は答えた。
このような問答の間に、その建御名方神が、千引の石(チビキノイワ・千人かかってようやく引けるような大岩)を手先で差し上げながら来て、
「誰なのか、我が国に来て密やかにものを言っているのは。それならば、力比べをしたいものだ。私が、まずそちらの手を取ろうと思う」と言った。
建御雷神がその手を取らせたが、たちまちのうちに相手の手を氷柱に変え、また剣の刃に変えた。建御名方神は恐れて退き下がった。

今度は建御雷神が建御名方神の手を取ろうとして、求めて引き寄せて手を取ったところ、若い芦を取るようにやすやすとひねり上げ投げ飛ばしたので、建御名方神はたちまち逃げ出してしまった。
建御雷神は追って行き、信濃国の諏訪湖にまで追いつめて殺そうとした時に、建御名方神は、
「恐れ入りました。私を殺さないでください。この場所以外、他の所には行きません。また、我が父大国主神の仰せに背きません。八重事代主神の言葉にも背きません。この芦原中国は、天津神の御子の仰せのままに献上いたします」と誓った。

     ☆   ☆   ☆

国譲り

そこで、建御雷神は再び帰ってきて、大国主神に、
「お前の子どもたち、事代主神・建御名方神の二柱の神は、天つ神の御子の仰せに従って背くことはないと誓った。お前の心は、如何に」と尋ねた。
これに対して、大国主神は、
「私の子である二柱の神が申し上げたことに従い、私は背きません。この芦原中国は、仰せのままにすっかり献上いたしましょう。ただ、私の住処だけは、天つ神の御子が天津日継(アマツヒツギ・天つ神が血統を伝える表現)を伝える天上の御住居のように、大磐石の上に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて祀って下されば、私は多くの道が曲がりくねった果てにあるこの出雲に隠れておりましょう。また、私の子どもたちである多くの神々は、八重事代主神が諸神の先頭に立ち、また後尾に立ってお仕え奉るので、背く神はありますまい」と、こう申して、出雲国の多芸志(タギシ)の小浜に天つ神の為に殿舎を造り、水戸神の孫の櫛八玉神を調理人として天つ神に御食事を奉った時に、祝福の言葉を唱え、櫛八玉神は鵜となって海の底に入り、海底の粘土をくわえてきて、天つ神のために土器をたくさん作り、海藻の茎を刈り取って火をおこすための臼を作り、海藻の茎で火をおこすための杵を作り、火をおこした。

そして、さらに言うには、
「この、私のおこした火は、高天原に向かっては、神産巣日御祖命(カムスヒノミオヤノミコト・この神は芦原中国の側に立っている天つ神らしい)の、満ち足りて立派な天の新しい住居に、煤が長く垂れるほどに焼き上げ、地の下に向かっては、地底の大磐石に至るまで焼き固めて、栲縄(タクナワ・楮で作った縄)の千尋の縄を張り伸ばし、釣りする海人が、口の大きな尾ひれの張った鱸(スズキ)を、ざわざわと音を立てて寄せ上げて、載せる台がたわむほどに天の魚料理を差し上げます」

やがて、建御雷神は高天原に返り上り、芦原中国を説き伏せて、帰順させ平定したことを復命した。

     ☆   ☆   ☆


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歴史散策  神武登場 ( 5 )

2015-09-01 09:26:33 | 歴史散策
          神武登場 ( 5 )

天孫降臨

こうして、天照大御神・高木神は、太子(オオヒコ・読み方には諸説ある)の正勝吾勝々速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト・天照大御神が須佐之男命と争った時になった神)に、
「今や、芦原中国は平定し終わったと申している。それゆえ、詔(ミコトノリ)に従って、天降りかの国を統治せよ」と命じられた。
これに対して、その太子正勝吾勝々速日天忍穂耳命は答えた。
「私が天降ろうとして身支度をしている間に、子が生まれました。名は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々芸命(アメニキシクニニキシアマツヒタカヒコホノニニギノミコト・高天原にも芦原中国にも縁があるという意味が加えられた名前らしい)と申しますが、この子を降らすのがよろしいでしょう」と。

この御子は、高木神の娘である万幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)と結婚して生んだ子であり、その御子は、天火明命(アメノホアカリノミコト)と日子番能邇々芸命(ヒコホノニニギノミコト)の二柱である。
そこで、正勝吾勝々速日天忍穂耳命が申すままに、日子番能邇々芸命に命じられることになり、
「この豊芦原水穂国(トヨアシハラミズホノクニ)は、お前が治める国であると定められた。詔に従って天降りなさい」と仰せられた。

こうして、日子番能邇々芸命が天降ろうとした時、天の分かれ道にいて、上は高天原を照らし、下は芦原中国を照らす神がいた。そこで、天照大御神・高木神は天宇受売神(アノウズメノカミ)に、「お前は、か弱い女だとはいえ、手向かう神に睨み勝つ神である。それゆえ、お前が一人で行って、『我が御子が天降ろうとしている道に、誰がそのようにしているのか』と問いただせ」と仰せられた。
それで、天宇受売神が行って問いただしたところ、「私は国つ神で、名は、猿田毘古神(サルタビコノカミ)と言います。天つ神である御子が天降ると聞いたので、先頭に立ってお仕えしようとお迎えに来ているのです」と答えた。

そこで、天児屋命(アメノコヤノミコト)・布刀玉命(フトタマノミコト)・天宇受売命(アメノウズメノミコト)・伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)・玉祖命(タマノオヤノミコト)の合わせて五人の部族の長を供にして天降った。
そして、あの天の石屋(アメノイワヤ)から天照大御神を招き出した八尺の勾玉(ヤサカノマガタマ)と鏡と草薙ぎの剣と、また、常世思金神(トコヨノオモイカネノカミ)・手力男神(タヂカラオノカミ)・天石門別神(アメノイワドワケノカミ)を供に加えられ、「この鏡は専ら私の御魂として、私を祭ると同じように祭りなさい」と仰せになられた。
続いて、「思金神はこのことを受け持って、私の祭り事を執り行いなさい」と仰せになった。
そこで、日子番能邇々芸命と常世思金神の二柱の神は、五十鈴の宮をあがめ祭った。
次に、登由宇気神(トユウケノカミ)、この神は外宮(トツミヤ・伊勢神宮の外宮)の渡相(ワタライ・地名)に鎮座なさる神である。
次に、天石戸別神、またの名は櫛石窓神(クシイワマドノカミ)といい、またの名を豊石窓神(トヨイワマドノカミ)という。この神は、御門の神である。
次に、手力男神は、佐那々県(サナナアガタ・三重県内の地名)に鎮座されている。
そして、天児屋命は中臣連(ナカトミノムラジ)らの祖先である。布刀玉命は忌部首(イミベノオビト)らの祖先である。天宇受売命は猿女君(サルメノキミ)らの祖先である。伊斯許理度売命は作鏡連(カガミツクリノムラジ)らの祖先である。玉祖命は玉祖連(タマノオヤノムラジ)らの祖先である。

     ☆   ☆   ☆


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歴史散策  神武登場 ( 6 )

2015-09-01 08:38:09 | 歴史散策
          神武登場 ( 6 )

高千穂の峰

天照大御神と高木神は、御子が天降るための準備を整えて、日子番能邇々芸命(ヒコホノニニギノミコト)に詔を発した。
邇々芸命は、高天原(タカアマノハラ)の天の石位(アメノイワクラ・天上にある堅牢な神座)を離れて、天空に八重にたなびく雲を押し分けて、威風堂々と道を選び、途中、天の浮橋に背を伸ばして立ち、そこから筑紫の日向(ヒムカ)の高千穂の霊峰に天降ったのである。

そこで、天忍日命(アメノオシヒノミコト)と天津久米命(アマツクメノミコト)との二人が、頑丈な靫(ユキ・矢を入れる武具)を背負い、頭椎(カブツチ・柄の頭が握り拳のようになっている)の大刀を腰に下げて、はぜの木で作った天の弓を手に持ち、天の輝く矢を手挟んで、天上からの御子の御前に立って先導申し上げた。この、天忍日命は大伴連らの祖先であり、天津久米命は久米直(クメノアタイ)らの祖先である。

そこで、邇々芸命は、「ここは、韓国(カラクニ・古代朝鮮)に向かい、笠沙(カササ)の岬を真直ぐ通ってきて、朝日が直接射す国であり、夕日が照らす国である。それゆえ、たいへん良い土地である」と仰せられ、底津岩根(ソコツイワネ・盤石の土台。宮殿を建てる時の定型的な表現)に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて座所とした。

     ☆   ☆   ☆

猿女君

邇々芸命は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)に、「この、先導して仕えてくれた猿田毘古大神(サルタビコノオオカミ)は、素性を顕かにしたお前がお送りせよ。また、その神の御名は、お前がもらい受けて御奉仕せよ」と仰せになった。
それで、その猿田毘古神の名前をいただいて、子孫の女たちは猿女君(サルメノキミ)と名乗って、宮廷に仕えているのである。

ところで、その猿田毘古神が阿耶訶(アザカ・伊勢国内の地名)にいらっしゃったときに、漁をして、ひらぶ貝(どのような貝かは不明)に手を食い挟まれて、海中に沈み溺れた。それで、海底に沈んでいた時の名は底度久御魂(ソコドクミタマ)といい、海水が泡立った時の名は都夫多都御魂(ツブタツミタマ)といい、その泡がはじけた時の名は阿和佐久御魂(アワサクミタマ)という。
そして、天宇受売命が猿田毘古神を送って、再び日向に帰り着くと、ただちに全ての鰭の広物・鰭の狭物(ハタノヒロモノ・ハタノサモノ・・大きな魚・小さな魚。鰭はひれのことで、その広い狭いで魚の大小を計ったらしい)を追い集めて、「お前たちは、天つ神の御子にお仕えするか」と問いただした。
すべての魚は「お仕えします」と答えたが、海鼠(コ・なまこ)だけは何も答えなかった。そこで、
天宇受売命は海鼠に、「この口は、返事をしない口だ」と言って、紐付の小刀でその口を裂いた。そのため、今も海鼠の口は裂けているのである。
また、このことによって、代々志摩から新鮮な海産物が献上されてきた時には、猿女君らにお下げ渡しになるのである。

     ☆   ☆   ☆
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歴史散策  神武登場 ( 7 )

2015-09-01 08:37:20 | 歴史散策
          神武登場 ( 7 )

邇々芸命の結婚

さて、邇々芸命(ニニギノミコト)は笠沙の岬で、麗しい乙女に出会った。
邇々芸命は、「お前は、誰の娘か」と尋ねた。
娘は、「大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で、名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)と申します」と答えた。
命はさらに尋ねた。「お前には兄弟がいるか」と。
娘は、「我が姉、石長比売(イシナガヒメ)がいます」と答えた。
そして、邇々芸命が、「私はお前と結婚したいと思う。いかがか」と申されると、
「私は、お答えすることが出来ません。私の父、大山津見神にお尋ねください」と、娘は答えた。 

そこで、邇々芸命は、大山津見神に使者を送り結婚の申し出をした。
大山津見神はたいへん喜んで、その姉である石長比売をそえて、多くの品々を台に載せて持たせて、差し出した。
そうしたところ、その姉はたいへん醜かったので、邇々芸命は見て恐ろしくなり、その姉を送り返し、木花之佐久夜毘売だけを留めて、一夜の交わりを持った。

これに対して、大山津見神はたいへんな屈辱を感じ、苦情を申し送った。
「わが娘を二人とも差し上げたのは、石長比売を召し使いなされば、天つ神の御子の命(イノチ)は、雪が降り風が吹いても、常に岩の如くにして、いつまでも堅く動かずにいらっしゃるであろう、また、木花之佐久夜毘売を召し使いなされば、木の花の咲き誇るようにお栄えになると願って奉ったのです。それを、このように、石長比売を帰らせて、木花之佐久夜毘売ひとりだけを留めた故に、天つ神の御子の御寿命は、桜の花のように儚いものとなるでしょう」と伝えた。
このため、天皇命(すめらみこと)たちの御命は長くないのである。

さて、この後に、木花之佐久夜毘売が邇々芸命のもとに参上し、「私は妊娠しました。今、産もうとする時に臨み、この天つ神の御子は、ひそかに産むべきではないと思いますので、申し上げます」と打ち明けた。
すると、邇々芸命は、「佐久夜毘売よ、たった一夜の契りで懐妊したというのか。これは、わが子ではあるまい。きっと国つ神の子であろう」と言う。
これに対して、木花之佐久夜毘売は答えて、「私が懐妊している子が、もし国つ神の子ならば、産む時に無事でありますまい。もし天つ神の皇子ならば、無事でしょう」と申し上げた。
そして、直ちに戸口のない高い神聖な建物を作り、その建物の内に入り、土を以って塗り塞ぎ、今まさに産まんとする時に、その建物に火をつけて産んだのである。

そうして、その燃え盛る火の中で生んだ子の名は、火照命(ホデリノミコト)、この方は隼人の阿多君の祖先である。次に生んだ子の名は、火須勢理命(ホスセリノミコト)。次に生んだ子の御名は、天津日高日子穂々手見命(アマツヒタカヒコホホデミノミコト)。この三柱の御子である。

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歴史散策  神武登場 ( 8 )

2015-09-01 08:36:19 | 歴史散策
          神武登場 ( 8 )

海さち山さち

さて、燃え盛る炎の中、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)から誕生した御子たちのうち、火照命(ホデリノミコト)は海佐知毘古(ウミサチビコ・海の獲物を得る男の意味)として、大きな魚や小さな魚を取り、火遠理命(ホオリノミコト)は山佐知毘古(ヤマサチビコ)として、毛の粗い獣や毛の柔らかい獣を取っていた。

そうしたある日、火遠理命が兄の火照命に、「それぞれの道具を取り替えて使ってみたい」と言い、三度頼んだが火照命は承知しなかった。しかし、最後にはとうとう取り替えることになった。
そこで、火遠理命は海の獲物を取る道具を使って魚を釣ろうとしたが、全く一匹の魚も釣ることが出来なかった。その上、釣り針を海中に失くしてしまった。
そこへ、兄の火照命が海の道具の返却を求めて、「山の獲物も、海の獲物も、それぞれ自分の得手の道具でなくてはうまくいかない。もう、お互いの道具を返すことにしよう」と言った。

弟の火遠理命は答えた。
「あなたの釣り針は、魚を釣ろうとしたところ、一匹の魚も釣ることが出来ず、海中に失くしてしまいました」と。
すると、兄は弟の弁解を許さず返却を強く求めた。
そこで、弟は腰に帯びていた十拳の剣(トツカノツルギ・大刀)を折り、五百もの釣り針を作って償おうとしたが、兄は受け取ろうとしなかった。
弟は、さらに一千の釣り針を作って償おうとしたが、兄は受け取ろうとはせず、「何としても、もとの本物の釣り針を返してほしい」と言う。

どうすることも出来ず、弟は泣き悲しんで海辺にいると、塩椎神(シオツチカミ・塩路を司る神)がやって来て尋ねた。
「どうしたわけで、虚空津日高(ソラツヒタカ・日を仰ぎ見るように尊い神の意。火遠理命の別名は、天津日高日子穂々手見命(アマツヒタカヒコホホデミノミコト)である)が泣き悲しんでいるのか」と。
火遠理命は、「私は、兄と釣り針を取り替えましたが、そり釣り針を失くしてしまいました。兄に返却を求められ、多くの釣り針で償おうとしましたが、兄はそれを受け取らず、『もとの釣り針が欲しい』と言います。それで困って泣いていたのです」と答えた。
すると、塩椎神は、「私があなたの為に良い策を建てましょう」と言って、たちまちのうちに、隙間が全くない竹の籠を作って小船とし、火遠理命をその船に乗せて、教えた。
「私がこの船を押し流したら、しばらくそのまま行きなさい。良い潮路があるでしょう。その潮路にのって行けば、鱗のように建物が立ち並んだ宮殿がある。それが綿津見神(ワタツミノカミ)の宮殿です。その神の宮殿の入り口に着くと、そばの井戸の近くに湯津香木(ユツカツラ・神聖な桂)があるはずです。そして、その木の上にいらっしゃれば、その海の神の娘が、あなたを見つけて相談に乗ってくれるでしょう」と。

そこで、火遠理命は教えられた通り少し行くと、その言葉通りに宮殿に着き、桂の木に登った。
しばらくすると、海の神の娘である豊玉毘売(トヨタマビメ)の下女が、美しい器を持って水を汲もうとした時に、井戸の中に光が見えた。下女が上を仰ぎ見たところ、立派な青年がいた。
たいへん不思議なことだと下女が思っていると、火遠理命も下女を見て、「水が欲しい」と願った。
下女は、すぐに水を汲んで器に入れて差し上げた。
これに対して、火遠理命は、その水を飲まないで、首に掛けていた玉飾りをほどいて口に含んでその器に吐き入れた。すると、その玉は器にくっついてしまって、下女は玉を外すことが出来なかった。
それで、その下女は、玉をつけたまま豊玉毘売に器を差し上げた。

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歴史散策  神武登場 ( 9 )

2015-09-01 08:35:27 | 歴史散策
          神武登場 ( 9 )

豊玉毘売

さて、器についている玉を見ると豊玉毘売は下女に尋ねた。
「もしか、誰か外にいるのですか」
「人がいて、私どもの井戸の辺りにある桂の木の上にいらっしゃいます。たいへん立派な青年です。我が王にもまして、たいへん高貴な方と思われます。それで、そのお方が水を求めたので差し上げますと、その水を飲まずに、この玉を吐き入れたのです。これは、離すことが出来ません。それで入ったままにして持ってきて差し上げたのです」と、下女が答えた。

豊玉毘売命は不思議なことだと思い、外に出てその姿を見ると、たちまち惹きつけられて、目くばせをして、その父に申し上げた。
「わが家の入り口に立派な人がいます」と。
娘の言葉に、海の神は自ら出て行って、火遠理命(ホオリノミコト)を見ると、「この人は、天津日高の御子、虚空津日高(ソラツヒタカ)だ」と言って、すぐに家の内に連れて入り、アシカの皮の敷物を幾重にも重ねて敷き、さらにその上に絹の敷物を幾重にも重ねて敷き、その上に座らせて、たくさんの台を並べてご馳走し、すぐに娘の豊玉毘売と結婚させた。
火遠理命は、三年になるまでその国に住んだ。

やがて、火遠理命は、その国にやって来た最初の目的を思い出して、大きなため息を一つついた。
すると、豊玉毘売命はそのため息を聞いて、父に言った。
「火遠理命は、この国に三年住んでいますが、その間は一度もため息をつくことなどなかったのですが、昨夜は大きなため息を一つしました。もしかすると、何かわけがあるあるのでしょうか」と。
そこで、父である海の神は、婿となっている火遠理命に尋ねた。
「今朝、私の娘が言うのを聞くと、『あなたは、三年いらっしゃって、いつもはため息などついたことがないのに、昨夜は大きなため息をつきました」とのことです。もしかすると、何かわけがあるのでしょうか。また、あなたがこの国にやって来たのは、何かわけがあってのことではなかったのでしょうか」と。
火遠理命は、兄の釣り針を失くし、そのことで兄に責められていることを詳しく話した。

それを聞いて、海の神は海にいる大小さまざまな魚をことごとく集めて尋ねた。
「この中に、その釣り針を取った魚はいないか」と。
すると、多くの魚が、「最近、鯛が『のどに骨が刺さって、物が食べられない』と嘆いています。きっと、その釣り針を取ったのでしょう」と答えた。
そこで、鯛ののどを探ると、釣り針があった。すぐに取り出して洗い清め、火遠理命に差し上げたが、その時、海の神である綿津見大神(ワタツミノオオカミ)は火遠理命に、
「この釣り針をその兄にお渡しになる時、「この釣り針は、ぼんやりの釣り針・怒り狂う釣り針・貧しい釣り針・愚かな釣り針(いずれも呪いの言葉らしい)』と言って、後ろ手に与えなさい。そして、その兄が高地に田を作ったら、あなたは低地に田を作りなさい。その兄が低地に田を作ったら、あなたは高地に田を作りなさい。私は水を支配しますから、きっとその兄の方は収穫が少なくて貧しくなるでしょう。
そして、そのような状態を恨んで戦を仕掛けてくれば、塩盈球(シオミチノタマ)を取り出して溺れさせなさい。もしも、そのような状態を嘆いて赦しを求めてくれば、塩乾珠(シオヒノタマ)を取り出して生かしなさい。このようにして、困らせ苦しめなさい」
と言って、塩盈珠・塩乾珠の二つを授けた。

そして、すべてのワニを集めて、「今、天津日高の御子、虚空津日高が、上つ国においでになろうとしている。誰が幾日でお送りし復命することが出来るか」と尋ねると、めいめいがそれぞれの身の丈に応じて日数を申す中で、一尋(ヒトヒロ)ワニが、「私は、一日で送って帰ってくることが出来ます」と申し出た。
そこで、海の神は一尋ワニに、「それならば、お前がお送り申し上げよ。もし海原の真ん中を渡る時には、恐ろしい思いをさせないようにせよ」と命じられ、すぐにそのワニの背中に火遠理命を乗せて送り出した。
一尋ワニは、約束通り一日の内に送り届けた。そして、そのワニが帰ろうとした時、火遠理命は身に帯びていた紐付きの小刀をほどいて、ワニの背中に結び付けて帰した。
そのようなことから、その一尋ワニは、今、佐比持神(サヒモチノカミ・佐比は刀の意。)というのである。

火遠理命は、海の神に教えられた通りにして、その釣り針を兄の火照命(ホデリノミコト)に返した。
それから後、火照命はどんどん貧しくなり、さらに荒々しい心を持つようになり、火遠理命を攻めようとした。そして、まさに攻めかかろうとした時に、火遠理命は塩盈珠を取り出して溺れさせた。そして、火照命が嘆いて赦しを請うと、塩乾珠を取り出して救った。
このように、困らせ苦しめたところ、火照命はぬかずいて、「私は、今から後は、あなたの昼夜の守護人(マモリビト)としてお仕えします」と申し上げた。
それで、今に至るまで、その溺れた時の様々なことを伝えて、お仕えしているのである。
( 前に、火照命は隼人の阿多君の祖先である、と記されている。)

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