令和は楽しく、それは神様の思し召し。

シナリオ載せてます。視聴率低迷の昨今。制作会社の方、映像化しませんか?視聴率?どうなるか?それを実験企画で!ぜひ!

自分の立ち位置。

2019-03-08 22:55:27 | 今日という日をメモしておこう

銭湯にいって、自分の立ち位置、ポジション?

それは第二の人生なのか、これからどういう思いをもって生きていけばいいのか、考えた。

年齢的にも50過ぎればいつ死んでもおかしくない年齢なのかもしれない。

もともと物欲はさほどなく、50過ぎるとさらになるなく。

全て、灰になるだけ。

今更、仕事を変えても、覚えても、というか、自分はそこなのかなぁ?という疑問がよぎった。

コンクールに応募し、プロを目指すというスタンスというか立場が、ある意味、司法試験を目指して落ち続ける、大学受験を目指して落ち続ける。

そういうものに似た感覚をもっていたのかもしれない。

けど、テストは答えがあるも、創作や芸術には正確な答えはない。

詩人の石川啄木は売れずに死んだ。

文学を読む人で太宰治が好きな人は多いが、太宰治は芥川賞をとれなかった。

芥川賞を受賞した誰よりも今や有名なのに、

そりゃ、そんな人とは比べられない。

でも、答えのない世界でプロを目指すのは、せめて、視聴率という多くの人の目に見られない限り、戦う場所さえ与えられないという現実、

チャンス一つ、声一つかからないという現実・・・

有名タレントやそれなりにコネでもあれば、日常を綴った文を宣伝し人の目に触れるも文章は触れない。

ましてシナリオなんて、書店でもシナリオの置き場に人が行くか?いやシナリオなんて目に入らない。

自分は一体、何者なのだろうか?と湯につかりながら考えていた。

落選モンスター、無名戦士なら、さしずめシナリオはその無名戦士の墓、竜宮城のツアーコンダクター、

一体何者なのか、考えたら、売れない芸術家、

それがピンときた。

その売れないドラマ書き、

インスタ、ツイッター時代で派生して有名になれる、チャンスのある時代ではあるが、シナリオではノーチャンスだ。

なんせ、シナリオはただの設計図。

映像にもなってない。

一級建築士が建築の設計図、間取りを書いたからって、わからんよ。

売れないドラマ書きなら、もうほんと文章を書かなくてはいけない。

そこで、また、考えた。

今まで、背伸びして小説を書こうとするから辛くなるのかなぁ~とも考えた。

そもそも小説を読むのが苦手というか、活字が読めないと思う。

というか、読む活字が俺には合わない。

だから、読む活字を書く作家、文学は全く頭に入ってこない。

ほんとガキの頃、国語が苦手でドラマを書くようになって、そのとき本を読むのではなく、自分はビデオデッキで本はビデオテープと思って、頭の中で映像を見る。

即ち、活字を見る、ということをした。

すると、ドラマや訴えているものがよく見えて成績が上がった。

逆に、どんだけ読んでも絵が見えない、思いがいまいちの小説はだめだった。

また映像的にもたんぱくなのもダメだった。

そこで、思った。

俺は、読む活字ではなく見る活字を書けばいい。

それが俺の個性であり、それはおそらく小説でもコンクールでは勝てないと思う。

というか、実際、自分のドラマが面白いのかつまらないのか、全くわからん。

自分の映像ドラマと世間の見ているドラマとの間に、そんなに娯楽度の隔たりがあるとは思えないのだが、あるのかなぁ~

たまたま、WOWOW大賞の受賞作が地下アイドルを題材にしたネタでそれが新鮮と有名な脚本家がいっていたが、そんな地下アイドルのドラマのシナリオ、書いたし、契約結婚に至っては幸福論という作品が確か契約結婚都市を舞台にした話だったと思う。

なんか違うなぁ~

でも、なんか辛く感じるのは、やはり自分の立ち位置なんだろう。

落ちるのに理由なんてない。

というかいくらでも付けられる。

年齢がいってるから、とか、なんとなく落ちてもいいかな、とか、他の人でいいや、とか、別に誰が書いても、何を書いても視聴率10%、8%以上だろうから、それでいいよ、とか、

まだ、どこかにチャンスが、一声かかるのでは、という希望が持つから苦しいのかなぁ~と、

でも、ヤンシナに応募した作品がいったいどんな理由で落とされるのか、それは知りたいけど、

落とすのは簡単。

名前もタイトルも書かず、シラーと落とせば、それでおしまい。

まぁ、ブログで公開して、人に読まれることもなく、チャンス一つ、声一つかかることなく、灰となるだけなのかなぁ~

でも、自信はある。

なら、その自信は、売れないお話づくり屋さんになればいい。

小説というか、俺の書きたいように、活字を見る小説を書けばいい。

俺でも見れるのだから、敷居は低い。

けど、個性は受け入れられないと思うなぁ~

ほんといろいろ思うことがある。

あのゴッホも名声を陽の目を見ずに人生を終えた。

もし、ゴッホが名声を得て、人生が豊かになったら、果たしてどんな絵を描いたか?

一番思うのは、俺はゴッホの女性の肖像がを知らない。

というのかあるのかどうか知らない。

ゴッホが日本の浮世絵に影響を受けて、見返り美人のような絵を、←当時は、浮世絵とか、陶器を包む紙として、海外に渡ったとか、といっても日本は鎖国時代だからオランダからフランス?にいったのかな?

もしゴッホが愛する人と出会い、その人をモデルに絵を書いたら、いったいどんな絵になるのか?

もしかしたら、原宿を歩いているギャルのような色使いをするのか、

ゴッホの女性の肖像が、

あったらどんな絵を描くのか、興味がある。

ダヴィンチのモナリザ、フェルメールのあの少女、ピカソの泣く女、もしゴッホが、それともゴッホは男性好きなのかな?

売れない作家は、見る活字で、ドラマを書いて、書けたら応募して、ダメなら小説サイトで公開すれば、誰かしら読んでくれるかもしれない。

そこで楽しみにしてくれる人がいたら、それでいいのかな、

ただ、創作環境がほんとよくなると、

なんでもドラマが見れるからと言ってみるのはやめよう。

それをやるから、節操がなくなる。

けど、ライフワークでテレ朝がテーマという一石を投じれば、俺の中で波紋が広がり、ドラマは見える。

なかなかいい方向に物事が進まないというか、進んだためしがないなぁ。

俺の書く小説は、読む小説ではない。

読んでいて、全く頭に入ってこない、イメージできないでは意味がない。

ステーキで言うなら、いきなりステーキのように、いきなり映像ドラマ的な見る活字。

究極の自画自賛の表現の形はそれでいいのかな、と、湯につかりながら考えていた。

でも、あのヤンシナ応募作が、どんな理由で落とされるのか、それは不思議だ。

けど、俺のドラマの頂上ではない。

おそらく、あれが今では最低ラインというか、それぐらいはやる的なのかも、

と、今日は、落選作を公開しなかったんだね。

朝、眠くて、パソコンをやる時間がなかった。

今更のせても、まぁ、基本、シナリオというか、こんな駄文のガス抜きのブログだって読まれん

まぁ、負け犬の遠吠えついでのガス抜きです。

 

ボディコンバットも期待していたインストラクターに、そこらのインストラクターがやるような選曲されると、萎える・・・

それが二週も続いた・・・

二週とも一曲目で人の心をつかめず、ほぼ飽き飽きした新曲で・・・←今、新曲リリースされると同じコリオが一か月続くから飽きるんだよね。それをミックス月間で飽きた新曲、こすられた新曲をやると萎える・・・

インストラクターさんにもプライドがあるし、あんまし、投稿するのは・・・

でも、やっぱ、ドラマもそうだけど、次が見たい。

来週も来たい!というコンバットの選曲をしてほしかった。

俺はお酒は飲めないけど、私の格言「酒とコンバットは古いのに限る」

さて、究極の自画自賛も一発目で決まるわけではない。

そろそろ作る気になって作り始めないと、究極の自画自賛には出会えない。

書くのは、見る活字の「いきなりドラマ」

それが俺のカラーでいい。

売れない、読まれない、知られないドラマ書きでも、小説投稿サイトという、見てもらえるかもしれない、読んでもらえるかも

しれない場所はあるんだから、

売れない芸術家、役者、

沢山いるんだから、そんなにめげることはない。

それでも俺に影響を与えたジュールベルヌの「皇帝の密使」、そして、もう一つの雷鳴作品、

ここと激突できるドラマを書こう。

文章は無理だけど、頭の中で見る映像で勝負すればいい。

そうこうしているうちに灰になる。

30年もあっという間だった。

人生って、そんなもの。

せめて、一矢。

作る気になって作り始めよう。

究極の自画自賛を、

 

追伸、

「カメラを止めるな」やってるけど、やっぱあれは映像で楽しむドラマだね。

リピートは二回ぐらいかな。

やっぱ、何度もみる作品って、リピートしたいシーンがあると思う。

それはお笑いでも、見て笑いたいシーンがあると何度も見るよね。

「カメとめ」にはそれがないかな。

でも、よくできた作品で、映像に携わりたい人は、「うらやましい」と思ってしまう作品ではある。