ダメでもともと!

面白いドラマを書いて、「一声」かけていただく。だめでもともと。

本日の「花子とアン」から見るシナリオ講座

2014-08-22 19:49:46 | みや文明の創作思考
万年一次落ちの俺が書くのもなんだが、本日の「花子とアン」はシナリオライターを目指している人、かじっている人は、

おそらく、気がついたかも知れない。

俺は学校に行ってから、シナリオで一番、よろしくないのは、ナレーションでも回想でもモノローグでもないと現役の連ドラを書く先生に聞いた。

一番、あかんのは、「説明セリフ」だ!

これは、日テレの番組、「先輩ロックユー」に鴻上しょうじさんがゲストで出たときも、役者がツイッターで、「また説明セリフだ~」とぼやくほど。

俺は、学校に行くまで説明セリフがあかんというのをさほど気にしなかった。

けど、本日の「花子とアン」は、ほとんど説明セリフで終わった。

本日のドラマの内容は、北海道に嫁いだ花子の妹、ももが北海道で悲惨な生活を送っていた。

という内容を、説明セリフで吐露するという内容だ!

勿論、そうならないように、ももの兄である吉太郎が、ももに、

吉太郎「全部、はいちまえよ!」

としゃべってしまえ!といい、

ももが、自分の北海道での暮らしを説明し、

また、姉のかよも、

「どうしてくらしていた?」

と聞くと、

もも「馬小屋で」

と、説明セリフが長くならないように、ワンテンポ入れたけど、


でも、普通の視聴者、読者なら、別になんにも思わない。

ただいつものように楽しんで見れるいつもの回

しかし、シナリオをかじると、そうはいかない

でも、説明セリフは必要なのだ!

なぜなら、ももが北海道でどんな暮らしをして、そして、東京にやってきた!

その経緯というものが、人には存在するのだ!

そう、人には必ず「経緯」というものがある。

それは、ケースによっては動機ともいうが、←ミステリーなど、

ここでは、人間模様なので経緯である。

それは、俺がシナリオを目指した経緯があるし、学校に行くにもいくことを決めた経緯がある。

その経緯というのは説明しないと、伝わらないのだ!

それをドラマで見せればいい、という人もいるが、そんな短絡的なものではない。

本日の「花子とアン」のももの北海道での苦労をドラマで見せると、テンポ、スピード感が失われるし、

なんでも感でも、ドラマにしてみせればいいというものではない。

もし見せるとすると、経緯は未来ではない。

過去であるから、当然、回想になる。

回想は悪しきものではないが、あまり挟むとくどく感じることはあるだろう。


この微妙なバランスというのが、見える人と見えない人がいるのも事実かな

杓子定規だと融通、ケースバイケースになれないから見えないかな

でも、本日の「花子とアン」は、ももの北海道での生活を話す、説明する、だけど全然OK。


ここが、シナリオをやっている人に聞くのと、シナリオをやってない人に聞くのでは、指摘箇所が違ってくるだろう。

少なくとも、本日の「花子とアン」を見て、説明セリフをうまくやったなぁ~と思うのは、

シナリオをかじっている人か役者さんぐらいだろう。

99%の視聴者には全く感じないことだ。

しかし、コンクールだと、審査員は、説明セリフを気にするだろう。

かといって、ドラマ仕立てにするために、回想にしたら、くどくなる。

このさじ加減が難しいのかな・・・


そういう設定のないネタを書けば、おそらく、ノープロブレムだと思うけど、

いつもいつも、そういう設定のネタにはいかない。

なぜなら、どんな人間にも、必ず「経緯」が存在するから・・・

その「経緯」がキーになるなら、なおさらだ


どうでしょう?



「楽しいものを楽しくみるのが、正しい見方」

あんまし、シナリオのセオリーとか杓子定規に囚われると、面白味が消える・・・

もっと純粋に、面白さだけを追求すべきだと思うんだよなぁ~


それをやると、27年敗を食らう、いや、一生負け続ける


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さて、本日はクールダウン

2014-08-02 10:39:29 | みや文明の創作思考


といっても、ジムにいけない以上、オンとオフの使い分けが今週は出来ない

ので、クールダウンを念頭に、ちょっと50ページのドラマのはじめだけでも書けたらいいかな。

そして、WOWOWの概要をどうしても見たい。

勿論、二時間と長いだけに、まずい飯ではとても食べられず、途中で断念する。

色々、創作思考を考えてきたが、二年前ぐらいかな、「寂しがりやのドール」のころやな、

俺の中にドラマの考え方として、〇〇という考えが全面に出ていた。

その〇〇なくして、人は存在しない←〇〇は感じ二文字、はじめの仮名は「け」

この考えに囚われていた。

というかこれなくしてはありえないのだ。

それが、ト書きにも、セリフにもセリフ以外にも、というか全ての考えの根幹となっていた

それぐらい、〇〇の存在は大きかった

今思っても、くだらんことを考えていたようにも思える。

しかし、美味い飯にはそれなりにレシピというものがある。

TBSの日曜13時からやじまる番組で、「やってTRY」がある。

それは道行く女の子に、今日のテーマである料理を作ってもらう番組だが、誰でもそれは知っていて、食ったこともある。

しかし、それを作れとなると、みな作れず、とんでもないものを作る。

番組としては中々酷な番組だ!

食べることは幼児でも出来るが、作るとなると、最低一度でも作ってなければ作れないのだ。


シナリオも感想をいただき、まずト書きをなくしてみる、と思ってはいるが、その盲点として、ト書きが説明くさかったのが、

今度はセリフが説明くさいということになりがちになる可能性はある。

どんなドラマにも、昨日、高橋克美さんの刑事ドラマ?みたいのがやっていたが、女性に事件の概要、平たく言えばお説教、悪意を入れれば、説明、

をいっていた。

人は聞かれれば、答える。

その答えが長くなると、一般視聴者はなんとも思わないが、ドラマをかじっている人、役者も全て、

そういう人が見ると、答えてることが、説明に聞こえてしまうのかな、

似て非なるものだと思うけど、

シナリオの個性もこれも中々難しい。

たとえば、小説でもショートで俺が傑作と思っている、O・ヘンリーの「よみがえった改心」と「最後の一葉」

このキャラに個性があるか?といえば、個性とはなんぞや?とも思える。

「よみがえった改心」は、金庫破りの主人公とその主人公を追う刑事のドラマだが、主人公は、金庫破りをやめて全うに生きようとする人物であり、

それを追う刑事は、「いつかボロを出す」と執拗に追い回す人。

となると、金庫破りはあくまでも職業であり、まっとうに生きる、普通の気質になる。

とそこを個性というのか?

刑事の執拗に追うも、それは、見方によっては、ねちっこい性格、職業病といえば職業病、

「最後の一葉」は、病気のヒロインであって、病気は個性ではない。

そこから来る人としての自然の動き

すると個性を出すのに必然的に、〇〇の存在は欠かせない、と俺は思う。←小説ならこれを思う存分書けれるのかな、



個性がはっきりしているものとしては、お笑いのコントだな。←これは思いっきり見た目、外見の作り込みはコントならではのまさに鬼に金棒の個性作り、

それに近いものとして、コメディ、


しかし、普通のドラマとしての個性はそうはいかない。

綺麗、太っているという外見は出来る、個性派俳優という言葉があるくらいだし、見るからに個性的な役者はいる

じゃ、それがなければ個性は出来ないのか、といえば、そうではない。

個性を増す道具として、モノローグにまさるものはないかなぁ

なんてったってその人間の胸中を知ることが出来るのだから・・・

胸中が個性を語る←人には十人十色の考えがあるってことだ、イコール、これも個性になる。


と、個性ばかり考えていては個性は出来ない。

おそらく、シナリオで出来る個性は登場人物との描きわけ、人物対比ぐらいなものかもしれない。

A「私、辛いもの好き」

B「私、辛いもの嫌い」

という、単純だがそれぐらいのものになる。

しかし、これでは読み物としては読めない。

掴まれないから、当然、胸中も描く小説には読み物として負ける。

第一、シナリオは読み物ではなく、おそらく、見る(映像)ものだろう。

建築の設計図と同じ、紙面に書かれてはいるが、あれは建築士はあの紙面から建物を見ている。

職業がら、そういう風になっていると思う。

映画監督も同じ、

シナリオを読むより、絵を見ていると思う。

どういうドラマが繰り広げられているのか、



ラジオドラマ育ちの俺は、逢坂剛さんの「カディスの赤い星」の主人公、漆田亮にせよ、ダニエルキイスの「五番目のサリー」のサリーポーターにせよ、

ラジオドラマの性質上なのかな、独り言、これはテレビにするならモノローグ、今、登場人物が考えていることを吐露する。

胸中を吐露することで、個性は見える。

「この人はこういう考えの持ち主なんだな」と、

まぁ、それは、このブログでもわかる、より個性が見える。



なぜ?


それは胸中を吐露している、いわば独り言だから、←プロファイリング出来るって事だね、程度もわかってしまう


シナリオっていうのは、わからんね。

俺がシナリオの本を、ドラマを買っても読み切れなかった一つに、シナリオでは心が掴まれない

そう胸中がないのだ。

そうか、そのとき、俺は読み物として、読んでいたから掴まれなかったんだ。

あれは見るものだったのに



一昨年学校にいったが、ほんとまちまちで、ナレ、回想、モノローグを毛嫌いする先生もいれば、

そんなの気にしたことがない、という現役の先生もいた


まぁ、わかっていることは、27年落ちても未だ、そこを彷徨っているということだ。

おそらく一生・・・


ほんと、ドラマっていうのも「やってTRY!」だな


本日の「花子とアン」をみて、かよ役は難しかったろうなぁ~と思った。

何もかも喪失した人を演じるというのは、こりゃ、難しいね

役者さんはどうおもっているか知らんが、セリフもなくて、雰囲気で喪失感を表す←目の置き所とか、かな、ちょっとした仕草、たとえば、解れたたたみを意味もなく、呆然としながらむしる、とか、

個性をいうなら、いつもハキハキ元気なかよちゃんが、喪失したかよを演じる。

見ていて、喪失感を演じさせるというのは難しいなぁ~と思ったし、

そういえば、そんなシナリオ書いたな

演じるのが難しいんだから、書く方も難しいだろうな

ああ、でも、喪失感を絵で表現するには、解れたたたみを意味もなく(←この表現が絵じゃないんだろうな)むしるっていうのは、


と、だらだらと、またなんの生産性のないことを書いてしまった


まぁ、本日はクールダウン、どうやら鼻風邪になってきているなぁ~





ああ、個性を考えていたら、モノローグ多投論が再浮上してきた


頭が痛い!

自分で自分がうっとうしくなってきた

今日はクールダウンだっていうの


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創作テレビドラマ大賞、一次も通らず、に見るで見えた自己分析

2012-08-18 16:56:19 | みや文明の創作思考
「ん~」

ドラマ的には、小説で書くにはおもしろみがなく、書く気が起こらんが、頭の中で映像としてドラマは見れるから、シナリオにした作品

なんか、わからんね・・・

いつも名前が良くのっている人は名前がのっていたなぁ

でも、その結果を見に行くのと、ドラマの三月号が「カーネーション」のシナリオがのっているということで、「カーネーション」は面白く見ていたし、また、この人も主人公の心の声、即ち、ナレーションが多投するからどういう風に書いているのか?
それが知りたかったので見に行った。

けっこう勉強になった。

このドラマ三月号の「カーネーション」とあと中古本で、これを買った。

『JIN―仁―』完全シナリオ&ドキュメントブック (TOKYO NEWS MOOK 232号)
クリエーター情報なし
東京ニュース通信社


この二つの本は大変参考になった。

JINは見てはいないのだが、番宣で現代からタイムスリップして、という主人公だけに、心の声、即ち、ナレーションや語りに映像をかぶせるシーンは多いだろうと思って買ったら、案の定、あった。

けど、JINのシナリオを見て、けっこう驚く気があった。

そして、本日見た「カーネーション」でもさらなる驚きがあった。

自分の作品はナレーションが多い、しかし、ナレーションは心の声、いうなら、このブログを読んで、たとえば電車の中で読んで、

読んでる人「あいつ、またなんか言ってるよ」と声に出してはいわないだろう。

すると、シナリオでは

読んだ人N「あいつ、またなんか言ってるよ」
彼女「何見てるの?」
読んでる人「なんでもない」
 携帯電話を切る。

となるわけだ。
「カーネーション」の渡辺あやさんは、学校にはいってないみたいだが、たとえば、愛子N「~」と書く、が「JIN」を書いた森下佳子さんは、愛子のNA「~」と書く。
ここらへんも統一はない。
また、台詞の中に、動作も書いている。

JINで、
A「(見て)・・・・・・」とか、

カーネーションの渡辺さんは主に台詞には台詞しか書かない、「(大声で)~」とかは書くみたいだが、

でも、そんなことはシナリオ本を見て、いつも思い、別段何も思わないが、この「JIN」と「カーネーション」のシナリオを見たとき、ある種のカルチャーショックというか、目から鱗というか、シナリオを見て感じたことのないものを感じた。

それは、俺は今までシナリオを書いてきたと思ったが、この二作品を見て思ったのは、
俺のシナリオは、シナリオ風に作ったドラマの企画書に近い、ってことかな、

それがどういうことなのか、ほんとにそうなのかはわからないが、今まで第一稿を書いて、誤字脱字を見て出していたが、それでは、シナリオ風のドラマの企画書の誤字脱字を見たに過ぎないかもしれないということ。

俺は審査員じゃないから、それが正しいかどうかわからんが、いうなれば、落ちた作品も映像にしたら、見れないことはない、と思う。
受賞作と同じぐらいみれると思う。

けど、シナリオを見たとき、「シナリオ」と「シナリオ風のドラマの企画書」という差があるかもしれない。

今まで、ナレが多いとか、長い台詞とか、そういうのもあるのかなぁ~とは思っていたが、そうではないような気がする。

しゃべりなんて、ガールズトークをする人なら、男子でもサンマさんのようにおしゃべりなら、いつまでもべらべらしゃべる。
橋田壽賀子さんの長い台詞は有名だし、三谷幸喜さんの「古畑~」だって、台詞は長いと思う、推理を述べるのだから、

しかし、この「JIN」と「カーネーション」は自分のやり方、心の声を書きたい、というものにかなり近い作家さんだと思い買ったのだが、たとえば、愛子「この世に、救いの神はいないのか」という台詞一つとっても、おそらく「カーネーション」の渡辺さんなら、

  愛子は、虚空を見上げて、
愛子N「この世に」
  愛子は、そのまま目をつぶって、下唇をかんで、
愛子N「救いの神はいないのか」
  そして、愛子はうなだれる。

と書くだろう。

俺なら、ただ
愛子N「この世に、救いの神はいないのか」
の一行、いや、ト書きを書かないという大石静さんなら一行かもしれない。
しかし、上記のように詳細にト書きを書くと五行にもなる。

ほんと、何が正しいかわからない世界ではある。

しかし、この「JIN」と「カーネーション」を見て、まず繊細なんだよね。

それに比べて俺のはおおざっぱ、といっていい、おおざっぱに書いた作品の誤字脱字をしてもシナリオではない。
シナリオ風のドラマの企画書という段階で終わっている。

兎に角、この「JIN」と「カーネーション」の二作を見て思ったのは、俺なら、バッバッと書いてしまうのを、事細かに書いているということ、それと比べるとまさに俺のは「シナリオ風のドラマの企画書」といっていい。

ナレーションが多いとか、そういう問題ではない。
ようは、繊細かおおざっぱかの違いに見えた。

だいたい、小説、原稿用紙に換算すると30枚だけど、それでもシナリオにするとおそらく50枚は行く、ということ自体おかしいのかもしれない。

二時間ドラマなんて、300枚、400枚の小説を二時間におさめている。
そりゃ、「あ、ここ削ったな!」とか、わかるけど、

でも、この創作テレビドラマに落ちた作品は手直しして、というかシナリオ風ドラマなのか、シナリオとして落ちたのか、わからないので、ほかに出してみようと思う。

そういうの、改稿したらいいと書いてあった本もあったが、ヤンシナのように他団体に応募したものはあかん、という規定もある。
けど、個人情報が叫ばれる中、それが他団体に出したかどうかなんて審査する人が同じでなければわからないのも、盲点ではある。

それに、ドラマは沢山書けなければプロになってドラマを書いて食っていくことなんて到底ムリだろう

でも、俺には繊細に書く、ということは学ぶべきことだと思う。

この30枚の小説も、小説書きなら50枚は行くだろう。


まぁ、やっぱり、作品は自己満足ほど面白くないものはない。

多くの人に見られてこそ、そこで視聴率一桁でもいいじゃないか、兎に角、しのぎを削ってこそ、楽しいのだから、

たしかに今まで面白いドラマを書くことをしこたま独学で勉強してきたが、書いているシナリオや小説は、シナリオ風、小説風のドラマの企画書の段階でしかないということ

あとは、監督志望だけに、自己で映像で撮れば、全ては文句はないということなのかな、

嵐の番組で、北野武監督作品に良く出る年配の俳優さん、ゲゲゲの女房で父役をやっていた人が、台詞は、武さんからメモをもらう、と言っていた。
まぁ、ほんと人それぞれだよなぁ~
黒沢明監督は、本が面白ければ三流の監督がとってもそれなりのものにはなるが、本がつまらなければ一流の監督がとってもつまらん、と、

人の受け売りは創作家としては、あんまし好きではないが、言っていることはたしかだ。

まずいメシは、小学生でもわかる。

食材がうまければ、火でやいて、醤油で食べてもおそらく美味しいだろう。
漁師メシは凝ったことはしない、シェフではないのだから、
でも美味しい

ほんと、なにが正しいのか俺には全くわからんが、この「JIN」と「カーネーション」を見て思ったのは、繊細だなぁ~とは思った。

この繊細さを次ぎ応募する作品には取り入れていきたい。

そのためには、早めに仕上げて、一枚一枚、繊細に磨きをかけるということ、第一稿の誤字脱字をしても、それは俺にとっておそらく、シナリオ風のドラマの企画書の誤字脱字をしただけであって、シナリオのブラッシングではない、企画書を読みやすくしてるだけだ、といってもいいのかな、

でも、それをやると、俺のドラマは、一時間の枠を軽く超えるだろう

テンポを生むために、削ることも必要になる、ということだな

ほんと何が正しいのかわからないな、日テレ学院に行こうかな、と思っていたけど、どうやら家庭教師でもついてやらないとムリな気がする

でも、創作テレビドラマへ応募したのは、そんなに面白いものではないんだよなぁ~
でも、一次ぐらいいってもべつに悪くはないと思うんだけどなぁ~

あ、頭がイタイ


Q10シナリオBOOK
クリエーター情報なし
双葉社


夫婦でやっている木皿泉さんも、台詞のところを動作のみを入れて使っているなぁ~←アマゾンの、なか見を見ればわかるゾ

これ、というものがどうもシナリオにはないんだね・・・
昔の漁師と同じで、日本国憲法、いや、船舶免許が出来る前から船で漁師をしている人にとって、

漁師「免許なんて、いらねぇよ」
公務員「いやいや、船舶免許が出来たので、説明だけでも受けて取得してください」
漁師「説明受ければいいんだな、しょうがねぇなぁ~」

的なものなんだろうか・・・

シェイクスピアがシナリオ学校にいったなんて聞いたことないからなぁ

ただ、このままではどうにもならんので、第一稿をブラッシングしてみよう。
少なくとも、シナリオ風、小説風、ドラマの企画書からの脱却かなぁ~

その線引きがきわめて曖昧だけに難しいんだけど、

ブラッシングするにも、ドラマは書かんとな

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創作テレビドラマ大賞、とりに行きます

2012-05-20 00:51:32 | みや文明の創作思考


まぁ、応募する人は誰だって、「俺がとる!」「あたしがとる!」と思っているもの

でも、今の俺には、やはり、去年のヤンシナ全滅がかなりこたえたのか、いや、創作思考はあがってきている、ドラマもこうすればいいのに、とプラスαをつけることぐらい簡単になった

けど、どうも、どんどん遠くになっていく。



でも、もう、自信を持っても良いと思う

兎に角、受かる気でやらんとあかん

若い頃の根拠のない自信とは違うんだ

創作テレビドラマ大賞の受賞者に40代、50代がいるかどうかはわからんが、でも、年齢はともかく、募集要項を見ていたら、何となく、これだけは、的なハードルは見えた

今、書いているのは、ちょっと引っかかるかもしれないが、その後に小説を書くやつはハードルはクリア出来ると思う。

兎に角、今回か次、自分がとるつもりで行くゾ

こんな弱気虫じゃあかん


負けた気がしない、でもあかん

兎に角、次は俺がいただく

その気概が必要なんだ


気概とは、困難にくじけない強い意志、だそうな

そう、気概だよ、気概

ライバルはみんな、「自分が大河を救ってやる!」ぐらい思ってるぞ


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「三」

2012-04-27 18:49:24 | みや文明の創作思考
わ~い三連休だ

とりあえず、まぁ、町(池袋)に行くのと、スタジオエクササイズと、あとは帰省して母のお見舞いかな
まぁ、いつものことだけど、それでも母にとっては、うれしいのかどうかわからんが、きっとうれしいと思っている、それにそんなことぐらいしか俺には出来ないから25年間、ずっとお見舞いをしている

本当はプロになって、ちゃんと結婚して、孫でも抱かすことが出来たら、少しは笑ってくれるのではないのかなぁ~と思うのだが、そうならないのが現実なのかな、まぁ、ドラマのようには行きません
能なしで申し訳ない

でも、まぁ、帰省はゴールデンウィークの後半ですが、前半は、ちょっと創作メモとドラマメモをパソコンに写してないのでそれをやらんと
どうも、新作を考えてしまうし、もう行き着いたと思う創作法、創作思考も、どうも長編を考えると、いかんせん脆さが見える

どうも、短気ではないが、せっかちな性格、白黒はっきりつけたい性格が災いしてしまうのかな

まぁ、でも、もう今、とりあえず三連休の休みですわ

ちなみに、今日は昨日に、ちょっと「家族のうた」は盗作?について書いてから寝たが、その余韻がどうも頭をよぎり、ちょっと眠れず、ふと考えていた。

「三」というものを、

「パパは~」も「家族のうた」も、主人公のところに、酒の勢いで抱いた女の子が三人やってきた。
もし、三人というのが、盗作ではないのか?と引っかかるなら、もしかしたらちょっと違うのではないか?と思った。

というのは、「三」というのは、創作しているとよく出てくる数字だし、「三」というのは日本人にとっては身近なものな気がする。

なぜ、創作に「三」が関わるのか?
それは、俺の作品でも←「小さな手」と「彼女のチャンピオンベルト」もそうじゃないかな、
主人公の災難をはじめに描いている←語りでだけど、
その際、災難を1回だけで、主人公はほんと災難が降りかかりついてない人ですとは書いてない。
まず、1回目の災難、「小さな手」でいうならヒロインはバレーのエースでありながら試合当日に自転車衝突事故に遭い、骨折、しかし、控えが活躍するも主人公はベッドの上。

それで主人公はついてない人です、では、「たった一回で何を言うか!」となるので、
二回目の災難は、大学時代のミスコンで、スポンサーとのスキャンダル疑惑をかけられ辞退するはめとなるヒロイン。
しかし、二回では、もう一押し欲しい!
そこで、三回目の災難は、高校時代からヒロインのことを応援していた友人に彼氏をとられてしまったという災難、

というように、三回続くとさすがに、このヒロインは災難続きの人なんだな、と表す、キャラ設定が出来る

これは「彼女のチャンピオンベルト」も主人公の男が、学食でお盆を落とすシーンがあるが、俺はそれを三回書いたと思う。
というのは、やはり、三回やると、ああ、この人はついてない人なんだな、となるから、

このブログにのせた、テレ朝落選作「SF小説じゃない」も、ヒロインに友人が父と会うシーンないし、あっていると思わせるのを三つ仕込んだ←三度目でラストにしたけど、

やはり、1押し、2押し、そして、3押しだとほんとにいいんだよね。

そう考えていたら、金田一耕助シリーズの「獄門島」も娘が殺されていくんだよね、それも三姉妹で順々に、

この「三」は、ほんと定番ともいえる数字である。

古くは「欽どこ」も「良い子、悪い子、普通の子」と三人、姉妹も三姉妹、
言葉でも「三度目の正直」「三度の飯より、××が好き」「三年寝太郎」「三年殺し」←大山まさたつ奥義

やはり、主人公のもとに、自分の子供と名乗る子が現れるのなら、昔、恋人がいたという設定なら、別れた後に恋人が身ごもっていて生まれた子ということで、一人になる。
しかし、若い頃、やんちゃな頃で、いろいろな女性と浮き名を流したのなら、三人でいいと思う。

なら、このドラマは三人で進んで、主人公も娘たちも三人だけだと思っていた、主人公と三人でいろいろな困難を乗り越え、やっていこうと思ったとき、また、一人(三人なら三人でもいいや)、新しい子供と名乗る娘が現れ、あきれて終わる、など

やはり、「三」というのは、ドラマの展開でも、登場人物でも、定番なんじゃないかな、


べつに応援しているわけではない、ただ、主人公と三人の子というのが盗作では

それにドラマは奥が深いから、それだけでは安易というか、安いドラマだよ。
中身が一緒だったら、だな。

世の中、三人似た人がいるっていうもんだし、←お、ここでも「三」が出てくるか

さて、明日からの三連休の前に、創作メモを書いて、そして、温水浴で会社の疲れをとるか
でも、その前に、やっぱ夜寝かな

もう寝ないと動けないだよね、というか、単純労働はほんと眠い


そうだ
四月の善し悪しは、この三連休がすべてだ!
三連休、創作もしっかりうまくやれば、四月は良い月になるんだ!
がんばろ

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家族のうた、騒動に一石を投じてみた

2012-04-26 22:52:33 | みや文明の創作思考
なんか、「家族のうた」というドラマが、盗作ではないか?
というのが、なにやらネットの中でさわいでいるとか

家族のうたの設定が、主人公が酒によった勢いで抱いた女たちの子供が主人公のところのやってきて、それを秘密にして生活するとか、
それが、「パパはニュースキャスター」というのとその人間設定が同じだ、とか、

これって盗作かな

別にあるといえばあるんじゃないかなぁ
普通、愛人の子が現れたら、家族に内緒にするんじゃないかなぁ
やがては、告白するか?
娘がそれをもとに揺すってくるとかそういう風にしていくとか、

まぁ、両方とも見たことないからわからないけど、人物設定って、似たものというか、定番というのがあると思う。
たとえば、未亡人が管理人としてやってきたら、浪人生が一目惚れをした。
これは高橋留美子さんの傑作漫画「めぞん一刻」だけど、まぁ、アパートの管理人でなくても、家政婦でもいいや、未亡人で美人だったら、男は普通、恋をするんじゃないかなぁ~
というか、未亡人に恋をする男たちのドラマが、まさか「めぞん一刻」の模造品だ!とはならないと思う。

ドラマとして、よく使われる設定というのはある、いわゆる、定番ってやつだ
たとえば、息子に家庭教師をつけたら、それが美人家庭教師だった、そして、一目惚れしてしまった。
もうこれだけで、ある程度、ドラマは見えるね。
三人の息子がいる家に、一人が受験生だから家庭教師を呼んだら、その家庭教師が美人で、主人公の高校生のほか、大学に行っている次男、お見合い連敗中の長男、果ては妻に先立たれた父まで、混ざってきて、美人の家庭教師を奪い合う、そんなドラマ。
まぁ、見たことないけど、いずれ出てくるでしょう。
なぜなら、もう定番だから
どれぐらい定番というと、子供は、精子と卵子が受精して生まれる。
そりゃ、今の時代、クローンとかあるけど、定番は精子と卵子でしょ。
ドラマにも定番はある。
それは、今、見たことなくても、男が女に恋をする、または、女が男に恋をする、その手のたぐいならなんぼでもある。

だから俺的には、主人公の男に三人の一夜をともにした子供が現れるぐらいなら、いいんじゃないかなぁ
なら主人公がタンカーでもいいし、パイロットでもいいや、それが、港港に愛人を作り、パイロットの会社が倒産して、過ごしているところに、港港で愛した女たちの子供が主人公を頼ってやってきた。
という設定だったら、ワ~ワ~騒がれなかったのかな
こっちの方が設定としては面白そう←子供たちの国や習慣を主人公の生活に入れることが出来て
でも、人物設定の形は、主人公に突然三人の子がやってきたという形は同じ。
ただ、三人の子が日本人の主人公と外国人のハーフだったということになる。
それなら盗作と言われないのかな
それとも、主人公と子供が四人だったら、四人じゃ少ないから六人ぐらいに、いや、全10話なら、1話は自己紹介で使うから、子供9人やってきて一話完結ならいいのかなぁ
それだと、やってきた子供の数が問題なわけ

盗作って、難しいよね。
タイムマシーンを使ったドラマは、「タイムマシーン」をはじめて書いたHGウェルズの模造品だ!というには乱暴だし、
たしか、野島さんの「高校教師」も外国のドラマをネタにとか、聞いたことがあるが、生徒と先生の恋なんて、そんなドラマなんぼでもある。
よく、ドラマで第二次大戦で恋人が戦地に行き、そこが全滅にあい、日本で待つヒロインに戦死の知らせがくるも、戦後帰ってくるというのもある。
そういうネタは沢山あるし、大和和紀さんの傑作漫画「はいからさんが通る」もそういうエピソード、回もあるし、
「マトリックス」は、たしか監督が、「俺はこれを作りたいのだ!」といって、「攻殻機動隊」←全米でアニメがNO1とった、
を見せたとか、

まぁ、展開も内容もまるっきり同じなら、盗作か模索、拝借、はあるのかもしれんが、ただ、人物設定で、男のところに子供がやってきた程度なら俺はいいと思うけどな、
中身が違えば
それとも、似てるのに視聴率3%しかとれてないことに怒ってるのかなぁ

ドラマって、定番というものはあるんだよね。
たとえば、学園もので、学園きっての美少女がいて、そこにハンサムがいるも、ハンサムは美少女ではなく、学園でいちばん飾り気のない少女が気になりやがて恋に落ちる。
すると、美少女が、その女に嫌がらせをしてくるも、最後はハンサムな彼が守ってくれる、的なものとか
ある意味、童話のシンデレラ、醜いアヒルの子、だって似たようなものだ。

さすがに竹取物語に似ているのはないなぁ

まぁ、「家族のうた」は「パパはニュースキャスター」のリメイクです。
で売り出すか、まぁ、今から内容を変えるなら、そんなの変えられるでしょ。
なぜなら、定番だから。
定番だから、あんまり大きくは変わらないのかな

変えるとしたら、主人公と、三人の子供たちの母との間に、何か秘密かドラマを持たせ、三人の子が現れたのは、それを果たすために、現れた、という感じにするかなぁ~

まぁ、なにぶん、どっちも見てないんで、なんとも言えないし、見てないやつがいうなって、ことなんだろうけど

ちなみに、俺は盗作されたら、許さないな
貧乏人や苦労人のネタを盗むなんて、最低でしょ

少なくとも、薄幸のおっちゃんからとっちゃあかんよ
まぁ、盗作されるほどおもろいものは作ってないか

そうだなぁ、盗作は、基本、ほぼ丸写し、それか、アイデアが同じ、
「タイムマシーン」は、これはいいとしても、ただ、HGウェルズの書いたものと同じならもう確信犯でしょう。
たとえば、シャーロックホームズの冒険で、アイデアを使ったものがある。
馬に牛の蹄鉄をつけて、略奪したという、面白いアイデアがあった。
これをミステリーで使ったら、もう盗作に近い、ただ、実体験とか自分の先祖がそれをやったのを聞いたとか言われれば、盗作ではないと思うけど、あまりにも世間に知られていると、そういっても盗作に見られるでしょう。
まぁ、世間に知られる、知られないの差ではない。

行き着く先は、ようは、それをやった当事者の良心の問題だと思う。
胸に手を当て、やっちまったのか、やってないのか、だと思うなぁ

よく見かけるアイデアもある。
水戸黄門でも見たことがある。
O・ヘンリーの「よみがえった改心」という、俺がO・ヘンリーで最高傑作はこの二つと思っているうちの一つだ!
もう一つは、「最後の一葉」
この「よみがえった改心」は、金庫破りの主人公とそいつを追う刑事の物語で、金庫破りの主人公は、全うに生きるために、金庫破りから足を洗い、銀行に勤めるようになる。
それを刑事が追ってきて、刑事は「あいつは必ず金庫破りをする、そこを捕まえる」と、執拗に追ってくる。
しかし、主人公は、そこで恋をして、銀行員として全う暮らしているも、ある日、子供だったかな、遊んでいて、金庫の中に閉じこめられてしまう。
そして、その金庫は開けることが出来ず、途方に暮れる人たち。
主人公を追っている刑事もそこにいる。
それを、主人公が、金庫破りの時に使っていた七つ道具を駆使して、金庫を破り、子供を助ける。
そして、主人公は、自分を追ってきた刑事のところに行き、自分が金庫破りですと、名前をいうだっけかな、すると、刑事は、主人公を捕まえるために追ってきたのに「私はあたなを知らない、ほら、フィアンセがあなたを呼んでますよ」といって、刑事は去っていく。
という、もう、読んだら思わず、感涙してしまう短編がある。
このドラマは、けっこういろんなドラマに、もろ使われている

まぁ、盗作されるっていうのは、その人が有名人、実力者の証拠なのかもしれませんね
それに「パパは~」の人は成功者なんだから、ちょっと見逃してやっても・・・
お金に困ってるのかな
それとも愛着かな、

でも、葛飾北斎なんて、ヨーロッパでルネサンスともてはやされて、浮世絵はいろんな画家はまねているからな

まぁ、俺がまねるとしたら、「モンテクリスト伯」かな
「皇帝の密使」は、時代設定でまず無理だ

まぁ、人物設定だけなら、定番の設定、定番故に、定番の展開をする。
というのは、どうしてもあるし、第一、定番故に書きやすい

主人公に、昔、一夜をともにした女が、その後に生んだ子供が主人公のもとにやってきた←一人で、小さい子が主人公を訪ねてくるなら、おそらく、なんぼでもそんなドラマ、あるじゃないかな
という人物設定、
ある意味、定番な設定
それを、1話だけで盗作という判断?

未亡人だって、美人家庭教師、うちの高校に教職試験にやってきた美人大学生、の恋のドラマ
「ん~、定番だねぇ~」

この盗作問題、どうでしょう

まだ一話(自己紹介でしょう)だけで・・・
三人でなく一人だったら良かったのかな←逆に一人ならなんぼでもある。
やっぱ、ロックミュージシャンでなく、行く先々の港、ないしエアポートに彼女がいるパイロットか船乗りにすれば、ハーフの子がやってきたで、娘役に、ベッキーさんとか、ドリントルさんとか、ローラさんとか、沢尻えりかさんとか、宮沢りえさんとか、
なんかこっちの方が面白そう

まぁでも、ちょっと盗作騒ぎは早計な気もしないではない・・・

まぁ、でも、もし俺がやられたら気持ちのいいものではないだろうな・・・

その設定で展開内容もすべてまる似だったら、限りなくクロに近いですね
ただ、定番だと、誰もが思いつく展開、誰もがそう考える展開、いわゆる、範疇、想定内になる。




ちなみに、

田中防衛大臣とゆるキャラのくまモンって似てませんか?

あんまし、田中防衛大臣をいじめちゃダメだよ



コメント

創作ドラマシナリオ大賞「夜明けのララバイ」を参考に

2012-03-28 01:15:17 | みや文明の創作思考
ちょっと、ボディコンバットで一汗かいてきました

コンバットをやると体力値が0になるので、もう寝るつもりでいたが、風呂に入っていて、前に述べた感想では何となくただくだを巻いただけで、自分もドラマをつぐむ人間として、もう少し書いてみよう、と思ったので書いてから寝ることにした←その方がすっきり眠れそうだ

「夜明けのララバイ」
登場人物は、名前は忘れたので、とりあえず、登場人物設定を書いてみる。

金髪の少女:手首に無数のリストカットの後があり、今も尚、手首を切りたくなる衝動に駆られることがある。
そして、未成年のときにクスリに手を出し、少年院に入り、今は保護観察中。

余命いくばくもない少女:死期が近く、悲しみでいっぱい、なのかな?

あとは、金髪の少女と寝るサラリーマンの男と保護観察の人、余命いくばくもない少女の母

ってところでしょう。

おそらく、作者は登場人物設定をこんなもんぐらいにしか思ってないかもしれない。

あとは、この人物でガールズトーク中心に書いただけで、ドラマに山もなければ谷もない、人物に親近感もなければ情も生まれない、苦悩も感受性が乏しい俺には伝わらなかった。

たしかに、上記で書いたのは登場人物設定といわれるものかもしれない。
しかし、ドラマにはいろいろなことが抜けていた。

まず、金髪の少女は、なぜリストカットをするのか?
よく知った男と寝るのか?

俺がドラマをちゃんとみてなかったから、倍速で見たから見逃しただけかもしれないが、視聴者にこの金髪の少女をわかってほしい、身近に感じてほしい←それを感情移入という人もいるかもしれんが、別に移入なんてしなくていい、ただ親近感を持ってくれればそれでいい

ここで、俺だと、まずこの金髪の少女が今日に至る経緯をおそらく、語り、イコール、ナレーションでつづると思う。
この作者がどういう意図で、リストカットの少女にしたのか?
男と寝るのか?
わからんが←ドラマでそこんとこ、しっかり放送していたら、俺が見逃しただけ、すまん

金髪の少女の設定は、生きるということに嫌気がさした少女は、自暴自棄になり、自分をいじめるかのごとく、リストカットをするようになった。そして、それだけでは足らず、現実から逃避したくクスリにも手を出し、やがてクスリを買う金ほしさに、出会い系サイトで出会った男と援助交際をするようになった。
そして、金髪の少女はクスリでつかまり、初犯ということで、少年院から早く出てきて保護観察の身におかれた。
それでも、彼女は、自分の中にある生きることに意味を見いだせず、現実から逃避したがっていた。
そして、少年院を出ても、出会った男と寝ては金をもらっていた。
しかし、男に「まだクスリ買ってるのか?」と聞かれ、首を振る。
クスリは買ってないが、お金は持っている。
使う当てもないお金だ・・・

とこんな感じなら、リストカットは現実逃避の代償、男と寝るのもはじめはクスリを買うためにはじまった関係もわかると思う。
フジの大賞作でたしか、俺は登場人物を掌握する力がある、とたたえたと思う。
それは、すべての物事が登場人物から出ているところにある。
ゆえに、エピソードを作らずとも人物からすべてまかなえるところが、二十代でそれが出来るとは、たいしたものだと思ったゆえんである

しかし、「夜明けのララバイ」にはそれはない。

金髪の少女は、その虚無感を保護観察の人に話すと、そういう人たちが更正するサークルを紹介させられる←ある意味、精神の鍛錬、精神論かな
金は男と寝て得た金があるから、とヨットスクール、海がみたいとかなんでもいいや、そこへ行く。
そのヨットスクールで出会ったのが余命いくばくもない先生だった。
その先生と会話するうちに自分と同世代、出来れば年下の方がいいかも
それが、どうにも金髪の少女にはなっとくがいかない←教官ゆえに、いろいろと命令してくるので、
そして、あるとき少女は金髪の少女の手首を見て、ずけずけと聞いてくる、金髪の少女は突っ張って見せ、自分は怖い人間なんだよ的に話すも少女は、「そんなことしたらきっと手首が泣いてるよ」「イタイ、イタイといってるよ」「赤い血は、血じゃないよ、きっと涙だよ」とか←ちょっとこれじゃ不思議ちゃん系はいっちゃうかもしれんが、
けど、金髪の少女は何となく、そんな屈託のない先生、普通にしていれば同年代の少女としたしくなるも、ある日の訓練中に、先生が意識を失い(めまいでもいい)海に落ちる。
そして、周りの人がすくい上げる。
金髪の少女には、わけがわからないが、周りの人は、少女の仲間で知っていたのだ、彼女の余命が短いことを、なら、最後は好きなことを、今までやってきたヨットを、人生の最後までやりたいという少女の願い、そして、そうしてやってほしいという母の願いから、病床から海にもどしてやったのだ。

そして、病院で、その事実を金髪の少女は知り、「手首をいじめちゃだめだよ」と言われ、それでも平静でいる少女に、金髪の少女は、「死ぬことが怖くないの」と感情むき出しにいうも、彼女は平静←ここは考えないとな
まずは、少女に、あれもやりたかったなぁ、これもやりたかったなぁ(ごくごく平凡のこと、恋とか結婚とか、ヨットで世界一周とかも)、とか生きていれば出来ることを言わせるかな、そして、「あなたには、それが出来るんだからうらやましい」「生きるって苦しいこともあるけど、愉しいこともあるわよ」
でも、笑顔の中、一筋の涙が流れる少女。
そして、死期が近くなると、母に泣きながら、「死にたくない」と、取り乱す少女、そして泣く母、←死を前に、母の前では強がれない、母の前で見せてしまう二十歳の少女の正直な姿、けど、「ごめん、ママを困らせるようなことを言って。だからママ、泣かないで。ママまで泣かれると、辛い・・・」とあやまる少女
それをドアのところから見てしまう金髪の少女。
そして、少女は死に、海に散骨するとき、金髪の少女も彼女の遺灰を手に、強く生きる、少なくとも自分をいじめない、安易に死ぬことを選択しないことを誓い、手を開くと、手のひらにある遺灰が、風に乗って海に向かって飛んでいく。
「生きたいと強く思う人が死んで、生を粗末にしている自分が生きる・・・」
そして、金髪の少女はリストカットの手首を見て、首を振り、強く生きると誓う

って、こんな感じかな、

いったい何を書きたかったのか、わからなくなってしまったが
正直、シナリオなんて読まずとも、人物設定から、ドラマを捻出したメモを書いて提出しなさい程度で、その人の創作力、想像力、人物掌握力など自ずと見えてくるんだよね。

料理でいうなら、作らずとも、下ごしらえでその料理がうまそうかどうかわかる。

あとは、ただ鍋に入れて仕上げるだけだから、へたな失敗をしない限り、間違うことはない。

だから、雑談やエピソードを、どっからひっぱってくるのかわからんけど、そんな必要はいらんねん
置きに行くようなドラマにもならんねん

だって、おいしいエキスは人物からにじみ出るんだから

あとは、ドラマでメッセージなら、「夜明けのララバイ」でいうなら、生きたくても生きられない、人は自分を粗末にしちゃいけない、自暴自棄になって自分を捨てちゃいけない
そんなメッセージなり、勇気をドラマで見せることが出来れば←説教じみずに、だから、少女が金髪の少女を突き放すかのように、「そうね、死んじゃいたいのなら、別にいいんじゃない」的なことを言わせてもいいかも、でも、最後に見せる生への思い


と、即興だけど、こんな感じかな

この作者はせっかくチャンスをつかんだのだから、そのチャンスを生かすも殺すも、この人次第
小説原作とか漫画原作の脚色、モデルありきのドラマならやっていけるかもしれんが、オリジナル勝負となると、今のままでは浅い
それはフジの人にも言えることだけどね←清々しくえん罪で終わっちゃいかんよ、負けたと思えない負けでさえ生き地獄なのに、えん罪なんて、悔しすぎて正気ではいられないよ、それに父親が捕まって娘がそれを笑顔で見上げるなんて、あり得ない

でも、登場人物をしっかりとらえる力はあるから、あとはなんだろうなぁ~
いい人なり、ブレインをもつことかな、
いい漫画家には自分の能力を引き出す編集者がいるっていうからね

ただ、「夜明けのララバイ」
あのドラマでは、負けたと思えない負けを味あわされるかな、生き地獄ですわ

さて、寝よう。



「夜明けのララバイ」や、フジの大賞作を見た方の感想もぜひ聞きたいかな

そういえば、俺のオーソドックスな凡作「SF小説じゃない!」の感想もあればほしいかな
あまりに普通すぎて何もないか

コメント (2)

創作テレビドラマ大賞「夜明けのララバイ」の感想

2012-03-27 18:32:27 | みや文明の創作思考
今、見ました。

まず、感想というか、DVDプレーヤーというのが凄い!
二倍速でドラマを見ることが出来る。
そのおかげで、二倍速ではあるが最後まで見ました

作品への感想としては、
まず、エンターティメント作品ではないだけに、俺とはまさに真逆なドラマゆえに、どう感想を書いたらいいのかわからん

まず、何を見せたいのか?
エンターティメント作とはいえないだけに何を売りにしているのか?

そういうものが全く見えない。
また、登場人物設定も、設定上の存在でしかなく、生きてはいない。
ただ、私はもう死ぬ、とかそんなもんでしかない。
では、売りもないからメッセージ性があるのか、といえばそれもない。
あるのはただ、今風にいえば、リストカットをして過去に影のある少女と、死を間近にしている人の二人のガールズトーク、その果てに、「私、死ぬの」

とってつけたようなガールズトークが延々と続く・・・

これで役者もよく泣けたなぁ~と感心しました

そうだなぁ、まぁ、何を見せたいかという軸もなく、また登場人物も二人の少女メインだけというのもドラマが単なるガールズトークで終わったドラマになった要因だなぁ~

ただ、万年一次も通らない凡作しか書けない俺に言われるのは心外かもしれんが、何一つ、何も伝わらなかった。
とってつけたような会話が淡々と進む。
出会って、はじめは普通の二人でのガールズトーク、そして、病気なの・・・でのガールズトーク・・・

ただ、さすがNHKと感じたのは音楽をSENSがやっているところと竹下景子さんが良く出てくれたなぁ~

ほんと、売りはなんだったのか?
人物を見ても魅力なしに見えた。
メッセージがあるわけでもない・・・

ただあったのはガールズトークだけ・・・


でも、審査委員はこの作品を受賞作にした

俺にはわからんな

やはり、シナリオはわからん。

天と地がひっくり返らない限り、視聴率が限りなく0にならない限り、チャンスはないな


俺は、俺が面白いと思うドラマを書いていきます。

ちなみに、もし俺がこのネタでドラマを書くなら、


廃案です


書く以前の問題だ!
いじったとしても、主人公二人はいるとしても、全くドラマとしては原型をとどめることはないかな

ドラマはないな

起承転結信奉者なら、
起は二人の出会い
じゃ、承は、元気な二人のガールズトーク
転、旅行先で倒れて、実は死んじゃうの、でのガールズトーク
結、忘れないでね、の思い出

この良さがわからないと、俺みたいに負けたと思えない負けを味わう生き地獄を見るかもしれない

これを見て、それを味わった人はいるんじゃないかなぁ

がんばってください


コメント

感情移入の盲点

2011-11-26 12:45:58 | みや文明の創作思考
いやぁ、いい汗かいてきました
ちょっと難易度が高くて、うまく仕上げることが出来なかったなぁ
でも、おもろかった

そして、ふと思った。

俺はドラマに感情移入はあまり気にしない、というか、葛藤があるドラマにはそれなりに感情があるから、別にこだわることはない。
しかし、こないだ書いた小説は文体が感情移入しやすい文体だけに、俺は読んでいて、心をつかまれた。
しかし、ここが曲者なのだ

この「俺は」というところが、

というのは、価値観や考え方、性格や信念は、当然、登場人物にもある。
そんなに奥深く書かなくとも、考え方ぐらいはかいま見えるだろう。
その登場人物、主人公の考え方と読み手の考え方が同調、共感、共鳴しなければ、感情なんて入るわけがないのだ。
心がつかめれることなんてないのだ。

そうなれば、どんなに面白い作品でも人は百人いれば百人の考え方があるのだから、合う人、合わない人がいるのは当然なのだ。

「この作品、感情移入出来ます」

といっても、合わない人にとってはムリなことなのだ。

ようは、ただの、

「それは書き手のひとりよがりだよ」

と言われても致し方ないのだ。

って、ことは、先に述べた「俺は」になる。

「俺は」感情移入して読んで直していたけど、その登場人物と合わなければ、ほかの人は感情移入なんて出来ないのだ。
ほかの人にとっては、それは単なるひとりよがりの作品にしか見えないのだ。

ということは、この小説は俺しか読んでいないから、感情移入も危ういものになる。

なるほど、ゆえに作品は多くの人に読んでもらうのがベストということになるのか

推測
感情移入とひとりよがりは表と裏のようなものなのかもしれない

まぁ、同調しなくても読み手の心をつかむ作品はある。
見たら、止まらなくなるってやつだ。
「ドラゴンボール」とか、「龍馬伝」とか、今なら俺は「カーネーション」かな


ほんと、ドラマって奥深いなぁ~
掘っても掘ってもどんどんいろんなものが出てくるわ

まぁ、人の数だけドラマがあるのだから、当たり前といえば当たり前か


でも、いい汗かいたなぁ
なんか気持ちが良い

コメント

「カーネーション」に学ぶ

2011-11-05 10:43:05 | みや文明の創作思考
ちょっと、朝のエアロビまで時間があるので

今週の「カーネーション」は、ドラマを作る人には大変勉強になった、というか、自分の「カーネーション」の次の展開の想像と、「カーネーション」の作者の渡辺あやさんの想像、思考、見ているドラマの差を感じることが出来た、そんな週だったと思う。

ドラマは、主人公の糸子が、東京で起きたデパート火災の記事をラジオニュースで知り、その後、新聞でも社説に店員の服は着物ではなく洋服であるべき、という意見が出てきていると、そこに目をつけた糸子が心斎橋に行き、まだ着物で接客している心斎橋百貨店に行き、店員の服を洋服に、その服を私に作らせてくださいというも相手にされず、再びデザイン画を持って行くも、「普通すぎる」と一蹴される。
そして、糸子は百貨店の服は百貨店の顔という支配人から言われた言葉から、わくわくするようなデザイン画を書く。
それを父が見せてみ、といって父に見せると、父が「デザイン画なんかもってかんと見本作って見てもらった方が手っ取り早くておもろい」という。
そこで糸子は見本を作って、それを着て百貨店に行き、採用されるが、一週間で20着も作らんといかん仕事を受けてしまう。
そして、家族の力を借りて、なんとか作り上げ、納品する。←ここがポイント(あとで解説1で)

そして、百貨店の初売りにお披露目、みな満足げで終わる。

まず、ここまでで俺は思ったのは、毎日15分だから、次の15分はこれだな、これを見せて終わりかな、と思いきや、非常に展開が早い、どんどんたたみかけるように見せていく。
そして、思ったのは、今週は、百貨店に初売りで糸子の服が店員に着られ、満足げで今週は終わると思っていた。←これが置きに行く書き方をする人の弱点(解説2で)
しかし、そうではなかった。百貨店で見せたのは金曜日でしかもはじめでそれは終わった。

連ドラは月~土の六日間、
そして本日は、金曜日に妹が糸子の手伝いをしたい、といって糸子に叱責され、「手伝いたいなら仕事とってこい」と言われて、とってきた仕事が、明日までに百枚のパッチを作るという無茶な仕事!
しかし、生活のことを考えると断れないと思い、糸子は引き受けるが、父に、商売はそんなんやない、と叱責され、百貨店の服を納めるのに家族全員手伝ったから出来たんだ、今度はお前一人でやれ!と言われる。←ここが解説1の答え。
そして、結局、糸子は一人でパッチ百枚作るも、父に見せ、といわれて、失敗を指摘されて結局寝ている家族をたたき起こしてみんなで直す。
そして、無事に仕事を終える。
糸子は仕事の厳しさを改めて学ぶ。
これが、解説1でいうなら、俺は今週は、百貨店に納めて、読後感がいいというか、良い感じで終わると思っていた。
しかし、解説1で家族全員手伝って出来たというのを、金、土で改めて糸子は知り、商売の厳しさを知るで今週は終わった。
商売というのはそんなもんやないと

ドラマを置きに行く。
置きに行くとは、一つのシーン(特にラストに近いところのシーン、気に入ったシーンだな)が思い浮かぶと、そこにドラマを置きに行くために、自己紹介はもちろん入れるが、他愛ない雑談、それを会話劇ともいうが、俺は非常に暇を感じる。
間延び、薄めるともいうのかな、

しかし、作者の渡辺あやさんは違っていた、確かに、百貨店の店員が着るという服で田丸さん演じる友人と話すが、それはほんと主旨を話して、ムダはない。
そして、要点だけで終わる。
ここでも、シナリオ的に良かったのは←見てない人はわからんけど
糸子が百貨店に行ったときのことで回想が入る。
店員が良い処に連れて行ってくれるようなわくわく感はなかった、という回想が、
そして、回想のあと、すぐ次のドラマに展開していた。
俺のテレ朝応募作や過去に作ったものもそうだが、回想が入ると、

〇回想・会社
ホニャララ~

〇回想戻る・××

と、ここで戻るということをするが、別に回想を入れて戻らなくてもいいのなら、ドラマが展開するのなら、次へ行って良い、いや行った方がスピード感がある、テンポがそこなわれない。

確かに友人(田丸さん)が家にやってくるところは必要、そして、会話の中からモノローグに移行し、回想へ、そして回想が終わると元に戻らず次の展開へ、と非常に見せるテンポが良かった。
「うまい!」
と思った。

そして、解説1で思ったのは、渡辺あやさんの見ているドラマと俺の渡辺あやさんが今週はこれを見せて終わりかなというのが全く違っていた、渡辺さんの方が、展開も早く、見せたいものを惜しみなく見せる、くだらぬ雑談や間延びは一切なし。
次の展開を考える想像力比べですな
答えは次の日の渡辺あやさんが見せるドラマでわかる

この段階で、

「ああ、俺はどうも、帳尻合わせのドラマばかり書いていたから、無意識のうちに間延びしている、くだらぬ雑談を入れてる、つまらないドラマ(その場凌ぎの帳尻合わせのエピソード)を想像している」

と痛感しました。

15分のドラマは、1話見ると、次の展開を想像出来るんだよね。
そして、想像通りなら、思考は同じだけど、違っていれば、まさにその作り手が上を行っているのか下なのかよく分かる。
想像力合戦、ストーリーテラー合戦が出来る。
今週は、糸子が仕事を自ら百貨店に取りに行って、なんとかとって大団円。
それが俺の思考だったが、渡辺さんは違っていた、それも見せ場だけど、仕事というものの厳しさを見せた、糸子がとってきた百貨店の仕事は家族の協力があって、出来たけれど、仕事というのはそんなもんとちゃう、というのを同時に見せた。

百貨店で糸子の服が華やかにデビューする、で終わりをみたそれで、そこまでドラマを今週は書こうと思ったら、ようは置きに行くドラマになっていた。
解説2になるのかな、それだけ、時間を埋めないといけんから、間延びする。
間延びは、イコール、さめてふやけたラーメンのようなもの。
いくら量が少ないからって、ふやけされて膨らましたラーメンなんておいしくないでしょ。

ほんと素晴らしい創作家が一人大きな舞台にデビューしたんだなぁ~
と思った。
トップランナーに出ていたんだよね、主婦で、岩井しゅうじさんの脚本賞みたいのでデビューして、NHK広島で「火の魚」だったかな、ドラマという雑誌にもあったし、テレビでもやっていた。
糸子演じる尾野さんが主人公だったと思った←尾野さんは土曜ドラマ「外事警察」で知った。

シナリオ的にみるとモノローグが多い。
うわさでは、ナレ、語り、モノローグは悪いというのがうわさではあるが、これを悪しとして、ドラマは感情移入が大切というのは、限りなく矛盾の産物に近い。
というのは、感情を移入したければ、その移入する対象者の胸中、心の声、が聞こえなければ、感情なんて寄り添うことは出来ないと俺は思う。
そんな口先三寸で心中お察し出来たらたいしたもの、雑談(会話劇)で察したらほんと凄いよ、それに人は大切な思いは口にはしないし、無口な人もいる。
無口な人はなにも考えてないわけではない、多くを考えている。
そんな台詞だけで、キャラの全てが把握できて、感情が移入したら、将来、振り込め詐欺にひっかかるぞ
それか良い詐欺師になれる←芸達者ってことやな

心の声を聞き、人物を理解するからこそ、その人に寄り添うことが出来る、またはそれを感情が移入しやすくなる、しいては、キャラをつかむことが出来る。

描き手ならキャラをつかんでおきたい。
キャラがつかめればドラマなんてなんぼでもどうにでもなる。

確かに、「カーネーション」を見てると、民放九時代とかにやるドラマではないのかもしれない。
でも、俺は面白く見てます
もう暇さえあれば、テレビをつければ、録画した「カーネーション」をもう何度見たことか、主人公のモノローグ、胸中が伝わるから、キャラがつかめるんだよね。

まぁ、余談ですが、感情移入というのはそういうもんとちゃうかな。
人の心知らずして、その人に寄り添えるか?
その人に寄り添うことが出来ずして感情が移入されるか?


一応、「カーネーション」は、コシノ三姉妹の母がモデルだけど、この渡辺あやさんは色々なドラマを見てみたいと思わせる脚本家である。


来週も楽しみですわ

今週から、ちょっと本を読むのをストップして、まずはテレ朝応募作のシナリオの直しをする。
「カーネーション」を見たあとだけに、

「くだらぬ雑談で、姑息なページかせぎしやがって」

と思う箇所があるだけに

まぁ、でも、応募はする。

でも、賞をとるために応募するわけではないという気持ちで応募をするのは、はじめてだなぁ


この連休でまずあらすじだけでも書いておきたいかな。
オーソドックスなドラマだけに・・・

さて、そろそろエアロビの時間なので、ひと踊りしてきます

やっぱスポーツはいいね

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