SAPPORO・DE・SANPO

「ひな工房 八重の衣」で仲間とチクチクお雛様作りやっています♪

我家にとっての横浜

2008年01月16日 23時34分09秒 | 環境・ECO・PEACE

先日のラビットFさんの新横浜の風景
とってもステキな夜景でしたね。
本当に美しく、近代的な町並み、誰もが憧れます。



でも我家にとって横浜は違う意味も持っています。

横浜。

それは今日75歳になるチチの出身地でもあるのです。

がやがやのKIMさんことmixiのk猫さんがmixiのブログ
もうひとつのブログ ヒロシマ を 音楽で満たしたい♪
平和について綴っているのですが
そんなのを拝見しているうちに
チチが最近になって語りだした話を伝えたくなりました。

チチは昭和8年生まれ。
12歳まで横浜で生まれ育ちました。
その昭和20年3月。
ちょうど盲腸か何かで入院中だった時に
それは起きたそうです。

東京大空襲。
横浜も紛れもなく一緒に空襲を受けたそうです。

12歳の少年だったチチは
病院から一人で焼け落ちる横浜の街を
火の粉をかぶりながら必死に逃げ回ったそうです。
逃げるのにも疲れて川のふちに腰掛けていたら
通りすがりの情報でどうやら自宅のほうは
幸運にも空襲から免れているらしいときいて
自宅のほうへ逃げたそうです。

炎で焼き尽くされている最中、誰もが右往左往しながら逃げ回り
ほとんどの人たちが横浜の山のほうに逃げたそうですが
そこは格好の空襲のターゲットになったそうで
そちらに逃げた人々は全滅。
山も町並みと一緒に焼け野原になったそうです。

12歳のチチは幸運にも炎に巻かれず
命からがら帰宅でしたことのほうが
奇跡というものだったのでしょうね。

そのときの横浜。

すべて空襲で焼き払われ東京湾が見え、
なおかつその向こう
千葉の房総半島の山並みまで見えたそうです。
きっとその光景は子供心に
痛ましい戦争の傷として残ったのでしょう。

何もかにも焼けつくされ、食料もなく
終戦の1ヶ月前、チチの母、ワタシの祖母の実家道東の町へ
疎開することになったそうです。

その連絡船も青森から3艘出航したのにもかかわらず
チチの乗船した連絡船以外の2艘は空襲を受け沈没。

北海道に上陸しても
ちょうど7月15日の小樽空襲の時期と重なったのにもかかわらず
ちょっとした歯車のズレで小樽でも命拾いをしたとのこと。
当時は函館から道東まで何日もかかったのでしょうからね。

今思うと運があったとしか思えない人生です。
その惨状が目に焼きついて離れないらしく
一昨年、横浜方面に旅行した時も
昔と全く違う町並みとなってしまった横浜に
頑固に降り立とうとしません。

よほど辛い思い出がありすぎて
降り立つ勇気がなかったのかもしれません。

こうして運命の女神に気に入られ
命拾いをしたチチがいるからこそワタシがいるわけで…。
そうして息子達がいるわけで…。

命はこうして繋がるんですよね。
そしてそういう命を戦争は簡単に奪ってしまうのです。

二度とそういう時代にしてはいけません。



1月16日  チチ 75歳の誕生日に…。



画像は友人の大切な記念に戴いたお花。
40日も生き延びてるとか…。
この健気さも運命
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつまでもお元気でいられますように (boco)
2008-01-17 02:25:10
お父様のお誕生日おめでとうございます。
お父様もお母様もいつまでもお元気でいられますように
私たちの両親の世代って子供の頃にこのような経験をしているのですよね。心が痛みます。二度とこのような戦争が起きないようにと思っていますが、今現在も戦争が進行中です。いつになったら世界中に平和が訪れるのやら。
貴重なお話をありがとう。
個人差があると思うのだけれど、私の両親は、戦争映画を観たがらないし、当時の話もあまりしたがりません。
ところで、お母様の骨折した足はその後いかがですか?
返信する
今ある命に感謝☆ (k猫)
2008-01-17 10:16:40
紹介してくださってありがとう~!
そして、お父様の貴重な体験を書いてくださってありがとう
>そちらに逃げた人々は全滅。
ここを読んでぐっときました。原爆体験のお話と重なります・・・
死ぬか生きるかの差はほんのわずかだったと感じます。
・・生きていること、命があるということは奇跡的なことなんだ、と。
命はみなおなじ、としたら、私たちもそうなんですよね
原爆や戦争の体験を聴くと、生きていること自体が愛しくなります。
(↑なんかうまく表現できないわー)
戦争をくぐりぬけ、命がここまで繋がってきた、って本当に凄いことだと思います。今ある命に感謝☆

お父様のお誕生日、おめでとうございます
返信する
運命? (kuromap)
2008-01-17 10:31:17
人の一生は、運命という空の下で、織り成すペルシャ絨毯のようですね・・・モームさんでしたか、こんなことを言っていましたが、・・・
でも、その運命に、もてあそばれながら、人は懸命に何かに挑戦をしながら生きているんですね。
私は昭和9年生まれですから、貴女のチチ様の1年年下です。生まれは広島です。よく、原爆には?と聞かれますが、県北東の田舎でしたので、全く戦災には会っていません。当時としては、平穏な生活をしていました。運命の違いを感じますね。
貴女のチチ様ご夫妻のこれからの幸運を祈ります。
返信する
ありがとうございます (miy)
2008-01-17 14:15:27
bocoさん☆そうですよね。この世代の方からたくさんお話聞いておくべきなのに聞き逃してしまうことは世界遺産を失ってしまうことに匹敵するのでは?
たくさんのお話子供たちに語り継がなくちゃね。
そんな活動をされているのがbocoさんの次にコメントをくださったk猫さんです。
bocoさんはmixiしていますか?
彼女はそこでも書いてますがmiyブログにブックマークされている「ヒロシマ を 音楽で満たしたい♪」というブログにも綴られています。
まだmixiからの移転作業が終わっていないようですがぼちぼち続いていくと思うのでよかったらお邪魔してみてくださいね。
そうそう、母もだいぶ良くなってきました。
腰の圧迫骨折です。もともと骨粗鬆症があるから弱くなっているのよね!
でもこの階段でこけて靱帯断裂と思っていた人もやはりひびが入ってらしくて…。
何とかしなくちゃです!
返信する
ありがとう! (miy)
2008-01-17 14:20:50
k猫さんのおかげで☆こうして書くことが出来ました。こちらこそ感謝です。
原爆と同じですね。もう逃げようがなかったのだと思います。
よっぽど悪運が強いのかしらね(笑)?
でもこういうことも奇跡と運命(さだめ)のお導き?
いくら無信心のワタシでも神や仏にも感謝したくなります。
そうだよね!これからもこうして命が繋がっているのよね。
平和な世界にしなくちゃね。
返信する
同世代ですものね (miy)
2008-01-17 14:27:04
kuromapさん☆同じ時代、同じ方面に暮していても戦渦にまどわされるかどうかも運命なのかもしれませんね。
疎開してから横浜が恋しかった父が祖母にくってかかると、あのまま横浜にいたら何にも食べるものがなくって餓死するだけだったんだよ!と言われてそれ以上の言葉がなかったそうです。悲しい時代です。
でも運命は自分で切り開くものでもありますよね!
せっかくの人生ですから両親に感謝しながらいい旅にしたいものです。
コメントありがとうございました。
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