SAPPORO・DE・SANPO

「ひな工房 八重の衣」で仲間とチクチクお雛様作りやっています♪

資料館deひなめぐり2025


2025.2.26 (水)~ 3.2(日)10~16時(最終日15時まで)
*今年は資料館の休館に合わせて水曜から5日間の日程で開催です。
札幌市資料館
札幌市中央区大通西13丁目
お問合せ:工房 祥       志 摩  祥 子 09095124908
お問合せ:ひな工房八重の衣   ヤマグチヒナコ 09028733959

八重の衣ってこんな感じ♪

ひな工房八重の衣工房紹介 2024.3.31

我家にとっての横浜

2008年01月16日 23時34分09秒 | 環境・ECO・PEACE

先日のラビットFさんの新横浜の風景
とってもステキな夜景でしたね。
本当に美しく、近代的な町並み、誰もが憧れます。



でも我家にとって横浜は違う意味も持っています。

横浜。

それは今日75歳になるチチの出身地でもあるのです。

がやがやのKIMさんことmixiのk猫さんがmixiのブログ
もうひとつのブログ ヒロシマ を 音楽で満たしたい♪
平和について綴っているのですが
そんなのを拝見しているうちに
チチが最近になって語りだした話を伝えたくなりました。

チチは昭和8年生まれ。
12歳まで横浜で生まれ育ちました。
その昭和20年3月。
ちょうど盲腸か何かで入院中だった時に
それは起きたそうです。

東京大空襲。
横浜も紛れもなく一緒に空襲を受けたそうです。

12歳の少年だったチチは
病院から一人で焼け落ちる横浜の街を
火の粉をかぶりながら必死に逃げ回ったそうです。
逃げるのにも疲れて川のふちに腰掛けていたら
通りすがりの情報でどうやら自宅のほうは
幸運にも空襲から免れているらしいときいて
自宅のほうへ逃げたそうです。

炎で焼き尽くされている最中、誰もが右往左往しながら逃げ回り
ほとんどの人たちが横浜の山のほうに逃げたそうですが
そこは格好の空襲のターゲットになったそうで
そちらに逃げた人々は全滅。
山も町並みと一緒に焼け野原になったそうです。

12歳のチチは幸運にも炎に巻かれず
命からがら帰宅でしたことのほうが
奇跡というものだったのでしょうね。

そのときの横浜。

すべて空襲で焼き払われ東京湾が見え、
なおかつその向こう
千葉の房総半島の山並みまで見えたそうです。
きっとその光景は子供心に
痛ましい戦争の傷として残ったのでしょう。

何もかにも焼けつくされ、食料もなく
終戦の1ヶ月前、チチの母、ワタシの祖母の実家道東の町へ
疎開することになったそうです。

その連絡船も青森から3艘出航したのにもかかわらず
チチの乗船した連絡船以外の2艘は空襲を受け沈没。

北海道に上陸しても
ちょうど7月15日の小樽空襲の時期と重なったのにもかかわらず
ちょっとした歯車のズレで小樽でも命拾いをしたとのこと。
当時は函館から道東まで何日もかかったのでしょうからね。

今思うと運があったとしか思えない人生です。
その惨状が目に焼きついて離れないらしく
一昨年、横浜方面に旅行した時も
昔と全く違う町並みとなってしまった横浜に
頑固に降り立とうとしません。

よほど辛い思い出がありすぎて
降り立つ勇気がなかったのかもしれません。

こうして運命の女神に気に入られ
命拾いをしたチチがいるからこそワタシがいるわけで…。
そうして息子達がいるわけで…。

命はこうして繋がるんですよね。
そしてそういう命を戦争は簡単に奪ってしまうのです。

二度とそういう時代にしてはいけません。



1月16日  チチ 75歳の誕生日に…。



画像は友人の大切な記念に戴いたお花。
40日も生き延びてるとか…。
この健気さも運命
コメント (6)
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寒すぎの朝(-_-;)

2008年01月16日 08時35分18秒 | 季節・気候
今朝メッチャ寒いです~

すっごいいい天気なのですけど
今日の最高気温はマイナス5度ですって~~~

画像はたった今のおひさま。
空はこんなに青いのですが…。


まぁこんなことでイラついてもしかたがない…。

風邪で体調を崩されている方も多そうですが
皆様寒い季節頑張って乗り切りましょうね~!

クイズにたくさんの参加ありがとうございます!
どんな答がでてくるか楽しみです!

どうぞ楽しんでいってくださいね
コメント (2)
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