あの朝も厳しい寒さだったと改めて思います、島岡美延です。阪神淡路大震災から16年がたちました。夜が明けて人々が目にした光景はどれほど恐ろしいものだったでしょう。
震災から何年かたった頃、関西で「花の仕事」をしている女性をラジオ番組に迎えたことがありました。仕事の転機となった出来事として、阪神淡路大震災について語り始めた彼女。なんと震災直後に身内の方を亡くされていたのです。
災害のあと、時間がたつにつれて、避難所で必要なものが変わってくる。今でこそ、そんな教訓が語られるのもすべてあの震災の経験から人々が学び取ってきたことです。
当時、フラワーアレンジメントの講師をしていた彼女は、しばらくして避難所に花を飾ることを始めました。「この非常時に花なんて」と心配する声もあったそうですが、多くの被災者から「癒された」という感想が寄せられたそうです。
「お腹は一杯にならない」、そういわれるものが人々の支え、気力につながっていきました。花、化粧品、音楽、演劇・・・。やはり人間には「心の栄養」が必要です!
震災から何年かたった頃、関西で「花の仕事」をしている女性をラジオ番組に迎えたことがありました。仕事の転機となった出来事として、阪神淡路大震災について語り始めた彼女。なんと震災直後に身内の方を亡くされていたのです。
災害のあと、時間がたつにつれて、避難所で必要なものが変わってくる。今でこそ、そんな教訓が語られるのもすべてあの震災の経験から人々が学び取ってきたことです。
当時、フラワーアレンジメントの講師をしていた彼女は、しばらくして避難所に花を飾ることを始めました。「この非常時に花なんて」と心配する声もあったそうですが、多くの被災者から「癒された」という感想が寄せられたそうです。
「お腹は一杯にならない」、そういわれるものが人々の支え、気力につながっていきました。花、化粧品、音楽、演劇・・・。やはり人間には「心の栄養」が必要です!