三木市議 大西ひできの方丈記

日常生活と三木市議会議員の日常記
「人は宝、子どもは希望」
三木市の再生は人材育成から。

『悪の陳腐さ』

2016年02月15日 | 三木市政

役所内部の声から、に頂戴しましたコメントより

ご紹介させて頂きたいと思います。(要約しています)


三木市役所という環境・風土 (市井の人)2016-02-08 12:32:23

三木市役所の中枢部に居る者たちによる反社会的行為の数々が明るみとなり世間を騒がしている。

見聞きした情報をもとに一市民の目から考察していきたい。


 通常、組織は意思決定するためには正規の手続きを踏み、その手順が適正に確保され守られているならば不祥事(不正)は起こりにくいものだ。


不祥事は正規の手続きを踏まず、非公式な談合(密談・打合・根回し等を含む)により事実上の意思決定が成され、

正規の会議(委員会等を含む)を開かないで、形骸化した書類の整備のもとに執行されているのではないのかと。


 この様なやり方では、意思決定が正規の手続き(当然に議会への報告・承認も含む)や権限や法規に則らずに無法状態になるのは明らかであり、

不祥事はこれらの正規の手続きを怠り、事態を隠ぺいし、第三者の合意や検査・監査を空洞化させることによる組織的違反行為の産物と言える。


 特に三木市役所の場合は、上層部の意思決定が正規の会議ではない談合で行われ、かつ組織的隠ぺいが成されており、

非公式なチ-ムワークを伴う組織的違反の結果の不祥事と言える。


 また、三木市の場合は、市議会が機能不全で、本来ならば、市が実施する重要な政策については、

その目的と提案に至るまでの経緯、他の自治体の類似政策との比較検討、政策策定に当たっての市民参画の度合や

内容、総合計画との整合性、財源措置、将来的な効果とコスト計算等を市議会に明らかにさせ、

その審査を経て提案・予算を執行させるのが本筋であるが、市議が市長のチルドレン化となっていることから

政策決定に際しては議会が軽視され、時には重要政策が議会すら経ずに、市側の独断で決定されており、

行政のチェック機関が本来の仕事を成していないことも不祥事を許す大きな要因ともなっている。

 組織として反社会的行為を成すことは組織的違反の中核であるが、その情報を隠ぺいすることも重大な組織的違反であり、

これらが相乗化し頻度が増すごとに悪質さの質・度合も増してくるのである。


 そもそも、組織的違反は構造的な問題に起因しており、形式的な再発防止策やコンプライアンス意識の向上といった掛け声や精神論では、

もはや効果が得られない根が深いものだ。


 個人的違反であれば、手続きやルールの徹底といった命令系統の整備で大抵は解決に至る。
 しかしながら、組織的違反の主な原因は、『属人思考』にあることが近年の調査研究で解明されている。



 『属人思考』とは、事業の意思決定・執行において『人』情報を重視『事柄』情報を軽視する傾向を言い、

そこでは、「誰の提案か」「誰の利益になるのか」「誰が関わっているのか」といった通常の思考では下位に位置する要素が、

大ききウエイトを占めているのである。提案者や関わっている人が誰かによって事業が採用されたりされなかったりするので、

その結果として思考が単純化し、権威主義的思考回路に陥るのである。



 『属人思考』を生む職場の特徴としては、


① <忠誠心重視> 忠誠心が高いこと自体は問題ではないが、それが言語的に強調されるようになると話は別だ。「誰それに恥をかかすな。」「誰それは忠実な人間だ。」「誰それを支援してやれ。」というような言葉は発言者側へ心理的帰属を要求する属人思考の言葉なのである。


② <公私の区分が不明確> 「上司の血縁関係者や知り合いが有利な処遇を受けている。」「上司の私的な手伝いを職場で行う。」等である。


③ <鶴の一声で物事が逆転する> 通常の職場ではボトムアップで決裁され物事が決定されるが、「誰それの言うことが聞けないのか。」という類の言動がある。


 <些細なことでも報告を求める> 通常なら上層部が関心を持たないであろう事柄まで報告を求める。


⑤ <偉業が強調される> 組織において大事業が達成されるのは決して一人の人間の努力によるものではない。

ところが属人思考が強くなると「あの業績は誰それのものだ。」といった個人を称賛する傾向が強くなる。上層部のかつての業績を繰り返して称えたり、

苦労話を延々と語ったりするのも偉業強調の一種である。


⑥ <問題が起こった時に犯人捜しが成される> 問題発生時は、原因究明と再発防止が重要となる。しかしながら属人思考的な組織となれば調査よりも犯人捜しが優先され、犯人の処分で一件落着で終わり根本的な解決が成されなくなる


⑦ <オーバーワークが蔓延する> オーバーワークがある種の忠誠心の表れと評価され、必要性を検討しないで、夜間や休日をも厭わぬ者を称賛するのは属人思考の表れである。

 そして、属人思考が強く蔓延した職場風土では、誰の指示によるものかが重視される権威主義に毒され、細部についての情報収集や評価が甘く疎かになる。

その繰り返しにより組織全体の情報処理や事務能力が低下していくのである。併せて地道に積み重ねるような努力が報われず、

反対意見を出す者は非協力的で忠誠心がないとネガティブな評価をされ、反論が躊躇される度合が増していき、

やがて何の努力もしないイエスマンが取りたてられ、反対意見を述べる者は上層部周辺から追いやられるか、

正義と自己主張を守るため早期退職をしてしまい、気が付けば上層部にはイエスマンだけが残り、

組織に対する否定的な意見がトップの耳に入らなくなり、各組織の能力評価や認識が楽観的となり、意思決定の誤りを生む大きな要素となっていくのである。


 属人思考回路により、現場を無視した上意下達の指示や、形式的な組織編制による権威主義による統治で、

職員を思考停止に追いやる風土を醸成していることが、三木市役所という組織を組織的違反に追いやっているのである。

 



 最後に、元ナチス親衛隊幹部のアドルフ・アイヒマンは、ユダヤ人虐殺の罪を裁く法廷で、『命令に従っただけだ。』と責任逃れをした。


 この裁判を傍聴したユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントはこれを『悪の陳腐さ』と呼び、

怪物のような極悪人ではなく、平凡な人間が考えることを放棄したとき、世紀の犯罪者にもなりうると語った。


 自分を持たず、思考回路を閉ざし、判断の基準を他に依存するような組織人で、組織の方針に忠実に従うことで評価を得、

責任あるポジションに就きながらも、行いの善悪をも理解せずに『思考停止した人間』が無自覚な悪を成すのである。

組織の意向どおりにしか動かない小役人や、

決められた手続きの範囲でしか物事が考えられない小役人の集団が、不正を見逃し、組織的違反に加担するのである。


 いずれにしても、三木市役所という組織が『属人的風土』に染まってしまい、

思考回路が停止したイエスマン集団が上層部に占めていることが最大の問題であり、組織的違反の温床となっていると言わざるを得ない。


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