ウガンダと暮らす  

ウガンダと日本の、日々の暮らし

クリスマスシーズン到来

2009-12-13 06:34:07 | ウガンダ / 日々のこと
「アフリカ=クリスマス」
「ウガンダ=クリスマス」
「ソロティ=クリスマス」

って方程式がどうも成り立たないのですが・・

そうも言ってはいられない!
病院では、クリスマスはどうするの??と話題がちらほら。

ここウガンダはクリスチャンの国。クリスマスは大切な国民の祝日でありますよ。
ドクターやシスターを除き、世間は11連休(プラス3)になる見込みです!

このプラス3というのがウガンダ人の国民性?で連休の前後は休み、か半休という仕組みです。

例えば毎週ある土日=2連休。
金曜日→午前中出勤、午後帰宅
月曜日→一部、当然の如く来ません。一部、午後出勤
火曜日→一週間の始まり~♪

ありえん!!


年一度の大型連休。どこかお出かけしたいけど、交通費が倍になるらしい。
国内旅行したいけど、ただでさえ観光地の少ないウガンダなのにどこも人いっぱいかな?
まったく予定ありません、私。


そんな中、我が家も少しクリスマスモードに飾り付け♪



クリスマスツリーではなく、バナナの葉っぱでできたバオバブの木ですけど・・
普段はネックレスとかをかけているのに加えて紅白もの飾ってみた。
ロウソクはクリスマス用ではなく、毎日のように停電になる我が家の日用必需品です。



小さいバオバブの木には、ピアスとか指輪をかけてます。
ちなみにこのまあるいカーキのピアス。ルワンダから、友人の手作り!



木の下にはゼブラがいるのです。
今から言うなんて気が早いけど、これ絶対日本に持ち帰りたいお土産!


次回は、ソロティの町のクリスマスモードをお届け致します。


会議にも、出席しています。

2009-12-13 02:27:09 | ウガンダ / しごとのこと
REGIONAL WORKSHOP MANAGEMANT COMMITTEE MEETING

に招待??されたので、はるばる隣県クミのAtutur General Hospitalまで出張してきました。

このミーティング、今回で2回目。
前回はソロティでやったのですが、当日にInvitation letterを渡されブツブツ・・。
会議後、うちのエレクトリシャンがのこのこやって来てランチしてアロワランス50,000シル貰って帰ってった・・
そう、「納得いかないっ!!」とブツブツ言っていたあのミーティング。

Anyway,予算がきちんと確保されたミーティングに関しては、計画どおり行われ出席率も高いウガンダです。
普通の平日に、交通費もティーもランチも出て、おまけにアロワランスまで貰えるんですから!

日本じゃあ、考えられません・・・。


さて、この四半期のミーティングに備えて四半期レポートを作成しなきゃならないのはもちろんのこと、
ワークショップのマネージャーの仕事です。

がっ、パソコンが触れないマネージャー。
「マダム・ミチコ!Please assist me. We work together.」
はいはい。なわけで、今週はワークショップにこもってパソコンに向かっておりましたよ・・。

ここ半年ほど、ワークショップとは離れて活動してきた私。
久し振りに7月~12月(半月分)のJOB CARD、修理履歴とやらを見せてもらったところ・・
(前回分レポート作成してなかったらしく今回二半期分合体・・いいのかこれで・・)
なぬっ!こんな大金が動いてたのか!!

お金のことはよく分からないので口を挟みませんが。

日本円にして二百万くらい?!?!

内訳:
●スペアパーツ代
●スタッフのアロワランス(宿泊を伴う出張費等)
●ガソリン代
●会議代
●雑費

ちなみにこれ、うちの病院だけじゃなくて近隣9県の病院、ヘルスセンターを管轄してるんですけどね。


それにしてもこんな大金を見ちゃうと、オブラ氏と私が細々とやってる修理って何??って思えてきても仕方ない。
幸い、うちの病院ではシスターがまずは私宛に言ってきてくれることが多くなってきて
私たちで修理できちゃうものなのか、ワークショップに回すものなのか判断ができるようになってきた。

決して、「ワークショップに回す」=「技術面が優れている」
からではなく、「ワークショップのお金でスペアパーツを買う」
くらいにしか私は思っていない。


ちょっとこれは、他の病院やヘルスセンターも見て回らなきゃ事態を把握できないかなー。




引き続き、活動しています。

2009-12-12 18:26:39 | ウガンダ / しごとのこと
活動しています。前編(後編もあるのかっ!)
は、ソロティ病院に配属されて10ヶ月目にしてようやく定着しつつある私の活動報告でした~。

そして、

引き続き、活動しています。後編(やってきたっ!)
は、ある意味私がいる意味あるのか?と問いたくなるような活動、別名私の技術研修ともいう。

それは、技術顧問オブラ氏との活動です。

うちの病院はね。
前編にあったいろんな機械が入ってくる一方で、いろんな機械が壊れていくわけですよ・・・。
いったいどうやったらそんな壊れ方するの??て思うくらいとにかく機械の扱いが悪い!!

毎度頭にきて、
「こんな壊れ方普通じゃないよ(怒!もっと丁寧に扱ってよ(怒っ!!」

と遠慮なくズバズバ発言できるまでに成長してしまった私ですが・・。


最近の例。Oxygen Concentrator編。



だ~か~ら~・・・。その部品ないんですってばっ(怒!
ソロティタウンの電気やさんはしごして部品探しって努力はした。
でもないから、ワークショップにある機械の残骸?からそれらしきもの拾ってきたけどサイズ合わないし。



最終的には機械の中に無理やり固定、



無理やり封印。終わり。




フローメーター&ツマミ破損。
だ~か~ら~・・・。その部品もないんですよっ(怒!!



せっかく濃縮された酸素がスースーと漏れてしまうため、もう一方のフローメーターも十分な酸素量が保てない。
こうなったら一つ捨て、一つだけ救う作戦。
途中、二股になっていたチューブを無理やりコネクション。終わり。



極めつけはインナーフィルター。
この機械が導入されたのは2006年のはずで、一度もフィルター交換された形跡がない。
ワークショップに何度も言ってるのに部品手に入らないんですけど・・

そんなんで、ぶわーーーんと風で埃吹き飛ばし、

終わったーーー。



活動しています。

2009-12-12 01:56:42 | ウガンダ / しごとのこと
そういえば・・・

このブログ、いつの日からか ”しごとのこと” がなかなか更新されませんね・・・(汗。
協力隊として来ているのだから、もっと活動報告するべきでしょうかねぇ??

如何せん、タイ在住時のブログも日本在住時のブログも
「いつ勉強してるの?」 「いつ仕事してるの?」
って言われるほどのブログだったってことは言うまでもないですが(笑。


そんな中、今となっては特記すべきかどうかさえ分からないようなことを、ひそひそとやっておりました。


例えば??

なんだかうちの病院、恵まれているのかいろんなところからいろんな機械が続々とドネーションされてくるわけですよ。



これはオペ室に持っていったAutoclave(滅菌装置)。
簡易マニュアルを壁に貼り付け、ナーシングアシスタントに使い方を伝授しているところ。

日本だったら、機器導入のときは必ずメーカーがデモンストレーションをして勉強会があって・・・
それだから私たちも新しい機械にどんどん対応していけるわけであって。
高い高いお金を出して買ってるのだから、このサービスは当たり前なのかなぁ。
なんせこちらはドネーションですから。タダですから。中古ですけど。サービスないの当たり前??

サービスないから自力でやるしかないっ!
機械と一緒にくっついてやってきたマニュアルと奮闘すること数日(なんせ苦手な英語・・)
強制的にオブラ氏にも手伝ってもらって、まずは二人でデモンストレーション。

それから簡易マニュアル作成。
肝心のスタッフはマニュアルに目を通す、という観念が残念ながらまったくないっ!!
マニュアルあるんだから読もうよーと誘っても難しすぎるっ、て言い訳?して
簡易マニュアル作ったらこれは分かりやすいっ、て本来のマニュアルは読む気ゼロ。


あと、こちらは例外。



カンパラにある中国人経営の医療機器メーカーが、目新しい機械を持ってきてデモンストレーション。

インフュージョンポンプだなんて、うちの病院初の試みなんですけど・・
出席したドクターやシスターは数名。いったい誰が使えるのかしらねぇ??
最後には、

「ミチコがいるから大丈夫よ!!」

って・・・。あなたたちねぇ~(怒!!とっても残念な事態です。


そしてどこでうわさを聞いたのか??
新しい機械が入ってくると、シスターからお声がかかるように・・
しかもご丁寧に機械とそのマニュアルを持って「ミチコ~」と来ます。

マニュアルを持ってきてくれるところがこの数ヶ月で変わってくれたかな、と思うところ。
どうやらシスターも、マニュアルの有る無しで私の仕事具合が変わると把握したらしい。

そんなんでAutoclave(いろいろなメーカーのがある)とかマニュアル式の体重計とかOxygen Concentratorとか、
作成した簡易マニュアルの最後に自分の名前でも残してやろうかと思うくらい(笑、欲が出てきましたね。

私にできることはこれくらいなのでね。




こちらはAntenatal Clinicに新生児・小児用の体重計とか身長計がドネーションされたわけですが、
このBodymeterだけは私の身長では取り付け不可能だった・・からオブラ氏(身長180センチ超)!

地面でゼロ点校正したにも関わらず、測定誤差1~2センチほどありますけどね。
建物自体が正確じゃないから、気にしないでいいですか??


AFRICAN MUSIC

2009-12-10 03:50:39 | ウガンダ / 日々のこと
相変わらず調子悪いです(←メンタルに)。


でもなぜか体調はすこぶる良く、
3食+ティータイム2回
23時就寝8時起床
どこの小学生だ!って生活なんですけどね。

(↑もはや日本社会に復帰する気なし・・)


今日はお気に入りの音楽をリピートしながら音楽の話。

ソロティの町はいつも音楽が流れている。本当にどこへ行っても。病院でも。
(その反動で、停電になると一気に町が静かになる・・分かりやすい・・)
アフリカン音楽のミックスだったり、教会ソングだったり。
いつでもどこでも音楽が耳に入ってくる環境にあるから
いつの間にか私もお気に入りの歌がいくつかある。ついつい口ずさんでしまう歌がある。

「NUMBER ONE」



ほんとにきれいなメロディーで私の心がどんどん洗浄されていく感じ。
人々が手を胸に当て、それから手を高く上げて「NUMBER ONE~」と歌う。
オティムさんが貸してくれたVCDの中に、偶然にこの歌が入っていてずっと聴いている。

昨日までの私は、あまりにもメロディーが美しすぎて
泣いていた。

今日の私は、一緒になって口ずさむまでに回復した。

明日はきっといいことがあるのだ!
そんなことを予期させる今日の出来事。


愛のある生活っていいものですね。




DECEMBER 2009

2009-12-06 18:59:48 | ウガンダ / 日々のこと
12月(・・も気付けば一週間終わり・・)。

10月11月は何かとバタバタ、ゆっくり考え事をする時間もなく過ぎてきた気がする。
任国外旅行でルワンダに行ってたって私用旅行もあるけれど、
でも何かと週末はカンパラで過ごすことが多く(これでも必要最低限でしか参加していない)、

ついについに病気になりました。


とはいえ、この国日常茶飯事の
「マラリア疑惑か??」

ではありません、念のため。熱ありません。



「でぃす いず あいざっく!!」

この写真、かなりお気に入りでどこの誰かも分からないのに現像までして部屋壁に飾ってる。
同居人の2歳児アイザックがこの写真指してそう言ってた。
もちろんアイザックの写真じゃないけど
私もこの写真アイザックに似てる!って最初から思ってた。

だから本人がそう言ったとき、愛らしくなってきゅぅ~ってアイザックを抱きしめてふたり笑ってた。

今そんなことを思い出して涙が出る。そんな病気。


この間、いつものように週末をカンパラで過ごして家に帰ってきたら
シーン・・・・・・・・

アイザックの笑い声が聞こえない。アイリの甲高い声が聞こえない。
ジョイの妹や弟を呼ぶ声が聞こえない。アンティサラのウェルカムバックが聞こえない。

隣のうちの新・同居人が帰ってきて、
「子供たちは里に帰ったよ。もうここには帰ってこないよ。」

金曜日には「いってらっしゃ~い!」っていつものように送り出してもらって
たった3日でこの現実。
こんなことならカンパラなんか行くんじゃなかった・・
唯一子供だちと遊べる週末なのに、毎週のようにカンパラなんか行くんじゃなかった・・
3月末にこのうちに引っ越してきて八ヶ月。
毎日がホームスティのような感覚で、同居人の子供たちがいることが当たり前になっていて。

勤務時間中に雨が降り出して家に帰れないと洗濯物は取り込んでくれているし、
ある日、私のビーサンが買ってきたばかりのように磨かれていたし。
うちに電気もガスもなく何もできなかったとき
携帯やらパソコンやら充電してくれて、毎夕熱いお湯を持ってきてくれて
私はそれで温かいミルクティーを飲んでいた。
断水が続いたときもジェリカンの水を分けてくれた。

今は電気も水もガスもあって便利な暮らし。
でもこの中で何かひとつでも欠けたら・・ひとりでいったいどうするんだ私??

ニャボが毎日炭を熾して料理していたのに、私いつも見てるだけで
一緒に何かやらせてもらえばよかった。
もうウガンダに来て一年が経とうとしてるのに、炭も熾せないしウガンダ料理も何一つ作れない。


重症だったのはこの間の金曜日。

オティムさんには「ミチコ、今日のあなたはハッピーじゃないね。」
トニーには「ミチコ、いったい何があなたをそんなに悩ませているんだ。」

と今までいろいろと付き合いの長いふたりに同時に言われて、
その日は家に帰ってめそめそと泣いた。
どんなことがあってもせめて人前では笑っていようと決めていたのに、

カンパラに行くたび自分の居場所が見つけられずに募る孤独感と
朝起きても仕事から帰ってきても静まり返った家。
さらに仕事やプライベートでのごたごたが重なって、

直接的な原因はなんなのか分からないけれど、すっかり情緒不安定。


12月。新しい手帳に変えた。
妹に手帳送って、って。しかもアフタヌーンティーのがいい、ってお願いしていたものだけど、
洋服の好みも持ってるブランドも旅行に行く場所も、まったく正反対の妹が
見事に私の心を射とめた手帳を送ってくれて
それが今の救いです。

ウガンダ生活、あと一年あるもんね。
この手帳にはこれから一年ちょいお世話になりますから。
最後までやりたい!と思って日本から戻ってきたのだから・・

少しづつ今後の進路も見つかりつつあったのだから・・

ここが踏ん張りどきのような気がします。


ながながと、いろいろと。
完璧個人的な日記綴ってしまいましたが、大丈夫ですよ!!
クリスマスホリデーに入るまでには100%フル充電して、年一度のクリスマス連休、どこかお出かけします♪



後記。

2009-12-06 16:38:37 | ルワンダ
ソロティの日常に帰ってきて気付けば早一ヶ月。。

この一ヶ月
平日は病院(大して活動してるわけじゃないんだけど・・)
週末は毎週カンパラ上京(決して遊びに行ってるわけじゃないんだけど・・)
それからいろんなことが重なってすっかり身も心も余裕がなくなってきてる。

そういうわけなので今週末はメンタルケアです。

今さらですが、写真整理しながら思いでに耽りながら、旅行記ダダーッとUPしてみました。
とにかく6日間充実濃厚満喫のルワンダ滞在だったな~
というのが感想。

それもこれもあの娘のおかげ♪



(お・・・っと。無断投稿しちゃいましたがこれ、お気に入りの写真♪)

あの娘がどんな場所でどんな人に囲まれてどんな生活をしているのか。
こういう旅はいいと思うし楽しいし、好き!

まだまだ
行きたいとこもあるし、買い忘れたものもあるし、話し足りないこともあるし、、
また行きたい!!


そんな中、オトメゾンのもう一人の住人が再来週ウガンダに来てくれる。



買い忘れたいろいろなものを持って。
ス○バ風バーボンカフェのTシャツも、もうすぐ届くのだ!

ルワンダコーヒーを飲みながら
わくわくしている日曜日の午前中です。

***

メンタルケア成功!半分くらい回復しました~。



憧れの・・

2009-12-05 18:49:57 | ルワンダ
マウンテンゴリラ様に



ついについに、会えました!!!!!


首都キガリから車で3時間、ルヘンゲリの町へ。
さらにコンゴ・ウガンダ国境のVolcanoes National Parkへ。

体力と暑さとの闘い、それから途中からスコールと寒さとの闘い
足元のない国立公園内をレンジャーが木々を伐りかき分けながら進んでいく。
地面のない木や葉っぱの上を歩いたりとか、ぬかるみの中を滑りながら歩いたりとか
刺さると痛すぎる刺のある葉っぱの中を泣きべそかきながら歩いたりとか

それはもう大変で、
もういぃーよぉー。引き返そうよぉー。
なんて心の中では何度泣きべそかいたかは分かりませんが・・



シルバーバックにご対面したときはあまりの感動にウルウルしました。

微動だにせず、私たちに一度も目を合わせることなく、まるでトトロでした。
だからメイちゃんになってトトロごっこをしたくなったけどね(笑。

母親ゴリラは赤ちゃんゴリラをそっと抱き寄せて雨風から守ったりとか
子供ゴリラたちは仲良く遊んでたりとか、体操座りしていたりとか
足元確かめながら両足両手4本使ってバックで降りていく姿とか
手を使って食事するところとか

ひとつひとつの仕草が人間と変わらずで

そんな感動のお話でした。


***つぶやき***

実はこの日は朝3時起き・・。
朝ごはん用にご飯炊いてオニギリ5人分にぎって寝たのが夜中の0時。
睡眠時間3時間。

ただでさえ朝の弱い私に、ウガンダに来て睡眠平均時間9時間の私に、
これはキツすぎた!!
行きの車の中で思いっきり吐きました・・。そのあとスッキリ!!

同行してくれた舞子、くぅちゃん、ひろみさん、ハリーには迷惑かけてしまったけど、
おかげで忘れもしない思いでいっぱいできました。ありがとう☆



The genocide memorial church

2009-12-05 00:41:27 | ルワンダ
キブ湖岬、木々に囲まれた静かな場所に立つ教会へ行った。



1994年に起きたジェノサイド。
「10,000人余りの人がこの教会に逃げ込み、そして4,000人以上の人が殺された」
と友人が教えてくれた。
教会の前にはここで殺された人のお墓があり、それから頭蓋骨も並んでいた。
日本人の友人から当時の情報を話を伝え聞きしてもこれほどの悲劇を感じて、

「ボクのワタシの両親はここで殺されたんだ」
とホームステイ先の家族にそう聞かされた友人はその時どう感じたろう・・
そんなことを考えながら友人の話を聞いていた。



静かで平和な、この場所からは考えられない。
ステンドグラスの美しさがいっそう平穏な心をもたらしてくれているというのに。


ルワンダ行きを決めたとき、『ホテル・ルワンダ』を見ようとしたけれど
途中で怖くなって見れなくなってしまった。
でも、この教会に来て続きを見ようと思った。

キブイエ滞在中に病院で行われていたガチャチャに遭遇した。
ジェノサイドの裁判は今でも続いている。

私は、数日間のこの旅が終わったらウガンダへと帰っていくけれど、
ここで二年間活動する隊員は、少なからずどこかでこの悲しみや苦しみを感じながら生活することになるんだろうな、と思う。

きっと、同じアフリカ、それもお隣の国に暮らしていても
それは私には分からないんだろうな、と思う。



キブ湖畔で朝食を

2009-12-03 05:13:52 | ルワンダ
翌朝はキブ湖をお散歩。
キブイエはとっても小さな町だけど、こんな素敵な湖畔ツーリングコースがあるんだよー
って、キブイエ住民じゃないけど自慢しちゃうなあ。そんなところ。



エメラルドグリーンの湖にうっとりうっとり。



とにかくうっとりの連続で、デタニホテルへと向かう。

そして、
アフリカの、海のない国にこんなところがあったのかと

あっ、と



息をのんだキブイエの朝。

青い空、青い湖、カラフルな花々。まるで南国のビーチリゾートにいるみたいで
「自分が今どこにいるのか見失ってしまいそうだ!」



そんな話をしていると友人が、
「向こうに見えてるのはコンゴ領の島だよ。」
と、教えてくれた。
そうかっ、今私はアフリカの、ルワンダとコンゴ国境の町にいるんだった!





こんな風にアフリカを肌で感じる場所があったなんて知らなかったなぁ。