
「入りたくなるドア」
「開けたくなるドア」
まるで扉が自ら引力をもっているかのような・・・・・
今日はそんなドアや扉を製作+空間プロデュースをされている
幾何楽堂様を2回にわけてご紹介させていただきます。
幾何楽堂様の哲学はとてもおおらか。
まるで禅僧を思わせる作り手さんです。

私は木を特別だとは思わない
小石であろうと雑草だろうと
必要だからこの世界にあるのだ
パワーの差は感じても
大木と雑草どちらもあってこの自然は成り立っている
自然界に特別なものなんてないと思う
特別扱いしないから・・・
必要な分だけ
必要な時に
木が集まる
大木を見ても私は特別だとは聞こえてこない
むしろ私は高いところから全てを見ているだけ
もっと周りを見なさいと・・・聞こえてくる
木の役割はもしかして・・・
色々な事を気付かしてくれる為に
あるのかもしれない

ほんのちいさな一つ一つの事に対して
つまらなそうにやる人
一方、それが楽しい事だと思いやる人
いつも後者でいたい
なんでも一所懸命やればいいのとは違う気がする
心の問題だと思う
同じ事をやっていても伸びる人 伸びない人
楽しいと思うか つまらないと思うか
奥が深いと考えるか なめてかかるか
そんな小さなひとつひとつが
5年後10年後にはとんでもない差になる。
人のやる事をいつも尊敬して『すごい』と素直に感じられると
物事をなめてかかる事なんて出来はしない。

仕事・・・
生きていく中でとても大切なことである。
だから、つまづくと自分が駄目になったと錯覚するほどである
しかし
生きていることが自分の仕事と考えたら
こんなに楽しい仕事はない
実際なんでも出来る
「わたしには無理」の殻を割らないと見えてこない話。
「天職として仕事をするものは 決して職を失わない」


