知る人ぞ知る「ふぐの粕漬け」
近くに手取り川があります。その河口に、知る人ぞ知る「ふぐの粕漬け」をつくっているところがあります。フグは食い足し命は・・・。よくアタルことから、鉄砲の異名をもつフグですが、その毒性にもかかわらず、多くの美食家たちに珍重されてきました。フグにまつわる話も多いですが、曲亭馬琴の覊旅漫録にも「千日寺の前の往来にフグを食べて死んだ四人の墓あり、墓石の下にフグの形を彫刻し・・・」と記されています。東西を問わず落語にも、命をかけて食する場面があります。これほど話のネタになる食材はほかにはありますまい。そのふぐの最も危険な部分を粕漬けにしたものがこれです。
江戸時代末期から明治時代中期まで、5月初旬から10月にかけて手取川河口は常に約20mの水深があり、盛んに北前船が出入りし、本吉港(現在の美川漁港)は当時加賀の国第一の河港でした。本吉町内(現在の白山市美川地区)の持船は百石積みから千二百石積みの船が約140隻程が、北海道から瀬戸内海まで航海し、物資を本吉港へ陸揚げしていました。 天保2年(1831年)藩政時代の取引税として、海産物では六歩口銭の品々として皮落ちふぐ・干しふぐ・塩樽ふぐ、八歩口銭の品として塩ふぐとあり、これらを糠漬けにして北前船中の保存食とした事が始まりとされます。以後、いわし、にしん、さば、ふぐの子、たら等を糠漬けとし、ふぐ粕漬けを加え工夫改良してきました。 明治以降、帆船を中心とした海上交通は衰退し、陸上交通へと推移するにつれて、美川港はかつての面影を失っていきましたが、これら「ふぐの粕漬け」などの珍味は、今も多くの人に愛され、「美川名産」としてつくられています。むろん、ふぐは鍋でも刺身でもいけるのですが、これも手軽で味を知れば止められません。わたしの好物であります・・・。