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 『三十一文字のお菓子』(短歌をはじめるにあたっての決意)

2006-12-10 23:31:38 | Weblog

詠んだ短歌についての解説です。
あくまで私がネタにしたものの覚え書きなので、
これが正しい読み方だ!というものではないです。
読者さまの想像におまかせするために広がりのある言葉を
選んでいる場合もありますし、その想像の方がずっと素敵な情景だと
いうことも多いと思いますので、基本的にはみなさまの感じたままを
味わっていただけると幸いです。
ただ、やっぱり初心者ですし、私の書き方の問題でわからなくて
「何コレ?理解不能でもやもやする~!」と思ってしまう方も
いらっしゃるはずなので、よろしければ参考にどうぞ。
「まだここがわからん!」「こっちの方がいいんじゃない?」
「私はこんな風に解釈しました」などの
質問・アドバイス・コメントがあれば遠慮なく書き込んでください。


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まず、今回のテーマは見てもわかるように『短歌を詠むこと』です。
これは小さな私の中では気楽に決めた大きな決意でありました。

短歌自体はそれほど解説が必要なものはないので
今回は主に『短歌を詠むこと』について語って解説の代わりに
したいと思います。


私は中学時代ロクに勉強もせず、学校でも家でも
吹奏楽部の練習時間以外は友達と手紙、日記、エッセイのような
ものを毎日10枚以上も書きなぐっては交換していました。
思春期病というべきものでしょうが、そのころはいくらでも言葉が
出てきて、それが良いモノなのか悪いモノなのかもわからずに
ただただあふれ出るものを紙の上やワープロの画面の上に
叩きつけていました。

ちなみに今はパソコンが当たり前の時代になりましたが
当時はワープロが主流。しかも一太郎で、私は高校1年生まで
カナ入力をしていたなんて信じられません。
ワープロで書く、という作業が楽しくてたまらず、家ではワープロで
友達への手紙を書いては印刷していました。
もちろん、目新しさもありますが、自筆でないということは
私にとって意味がありました。
私の字が子供っぽくて悪筆なせいもあるのですが、
もっと大きな意味があったのです。
パソコンで打った字は、私のものだとわからないのです。
つまり、その活字たちは私の手を離れていくのです。
自分の書いたものが無機質になってゆき、だからこそ中にある意味が
いっそうはっきり見えます。
その感覚が好きで、当時はワープロをよく使っていました。

そんな書くことが好きだった私が、書くことをやめてしまったのは
高校生の頃でした。
当時の友達と喧嘩というか、関係がこじれたときに言われた
ひとことがきっかけでした。
喧嘩の原因自体は今考えれば圧倒的に私が悪いので
私に何か言う権利はないのですが、当時は若かったので
引くことも知らず、ひたすら手紙やメールで自分の辛さや
わかってくれない相手への不満を書き連ねては渡していました。
私は感情を表情や言動に出すのが苦手で、だからこそ文章という形で
すべてを出していました。
当時、精神状態も不安定だったので、かなり病んでいる文章を
書いていたことでしょう。
そんな私にその友達は「深月の文章は、人の気を引くのが上手すぎて
信用できない」と言いました。
今思えばまったくおっしゃる通りです。
手紙では心配になるようなことを書いておきながら
顔を合わせたときにはヘラヘラ笑って、何もなかったかのように
振舞っている私はさぞかしおかしかったことでしょう。
そりゃあ信用もできないと思います。
友達はまったく悪くありません。そんなの当たり前のことです。
でも、子供だった私はそれを聞いてこれ以上ないくらいの
ショックを受けてしまいました。

実際私が彼女にしたことを考えると、自分の人間性や人生全てを
否定されても文句は言えなかったと思います。
でも。文章だけは否定されたくなかった。
書くことがすべてで、他の表現方法なんて何も覚えてこなくて、
それなのに文章を否定されたら私は何もできなかったのです。

それから少しの間、本当に何も(テストの名前さえも)書くことが
できませんでした。書くことだけでなく読むことすら怖かったです。
もちろん時間とともにショックは薄れていきますし、
書かない生活というのはいろいろ不都合がありますので
すぐに「書く」ことは私の生活に戻ってきましたが
前のように文章で感情を表現するのはやっぱり長い間
できないままでした。

それから私は文章から逃げ続けました。
「書かない」ことでヘラヘラ笑っている自分が「自分」になり
どんどん外交的に、行動的になりました。
その間、大学生になり、R&Bにハマり、旅行し、フランスに留学し、
日本に帰ってきて、過労で倒れ、精神を病み、
ありえないぶっとんだ恋に悩み、破れ、廃人のようになり、
三国志にハマリ、酒飲みになり、就職が決まり……と
私の人生は驚くようなスピードで流れてゆきました。

たくさん辛いこともありました。
それでも私は生きていて、家族がいて、友達がいて、
音楽があって、本があって、すごく恵まれているじゃあないか、
と思いました。

でも私には悩みがありました。
自分を表現する術がない。
私はテンションも高く、どう見ても「言いたいけど言えない」タイプでは
ありません。でも、表現力がないのです。
涙を流すことも、怒りに我を忘れることもありません。
感動はよくしますが、その感動を表現できません。
悩みを相談するときですら、何かを説明するときのような
淡々とした話し方なのです。
そうやって積もり積もった私の感情は、どんどん私の中で
大きくなっていって、ときどき自分が狂ってしまうのではないだろうかと
思うような強い何かを感じるようになりました。
それを友達のchicaちゃん(私の短歌を見て連想歌を書いてくれています)
に話したときに「そういうのって何かで吐き出した方がいいよ。
表現方法は何でもいいけど、短歌とか」と言われたのです。
そこでなんとなく、短歌を詠みたいと思いました。

もう一度書きはじめるのはは怖かったです。
また否定されたら。実はもう何も書けないんじゃないか。
でも、それでも私はリハビリとして書くことを決めました。
挫折しても、側にいてくれる人たちがいることを知っているから。
下手な短歌をよんでくれる人がいるから。

うまく説明できませんでしたが、こんな経緯があって
今こうやって『詠む』ことをはじめています。
自分の短歌、そして解説は自己分析のようなものですね。

短歌を詠むのときは意味をこめてつくった、というよりは、
それはもともと自分の中にあってでも言葉で表現することが
できなかったものなんです。
それが五七五七七のリズムの力をかりると、
それが考えることなしにするっとでてきて、ひとつの歌ができます。
あとからその歌を見ると、やっぱり自分のカラーや感性が出ていて
適当に選んだ言葉だけど「この言葉でなきゃいけなかった理由」が
自分の中に見えてくるのです。
批評なんかだとその人を知ってるわけじゃないし、
決め付けるのも悪いなと思って遠慮しますが、
自分の作品なのでどこまでも突き詰めることができるのが面白いです。


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■名前負け?体を表す?『詠』の字とにらめっこして今日も引き分け

私の本名は「詠子」といいます。
ここにも本名で登録しようと思ったのですが、
同名の方がいらっしゃったので普段使っているハンドルネームを
登録したのですが、『麻生』さんも『深月』さんもいらっしゃるようですね。
かぶってしまって申し訳ありません。

昔は硬く冷たい感じのする自分の名前が嫌いでした。
『子』の付く名前が古く感じたし、名前の響きが硬いのも
可愛くないので嫌でした。
友達の間でもペンネームを使っていたくらいに嫌いでした。
学校やアルバイト先では名字で呼ばれるので、自分の名前を
自分のものと感じていませんでした。

そんな私ですが、外国語を専攻し、海外に住む経験をすると
やっぱりファーストネームで呼ばれることは避けられなくなり
大好きなホストファミリーや友達に呼ばれるうちに慣れていきました。
そして、日本語や漢字のわからない外国人には
よく「Eikoってどんな意味なの?」と聞かれるのです。
その都度、私は「詩をつくるって意味だよ」と言うので
否応がなしに『詠む』ことを意識させられます。

そんなわけで本名の『詠』という字は、やっぱり私に『詠むこと』への
興味とプレッシャーをずっと私に感じさせています。
小さい頃から本が好きだったり、何か文を書くと「名は体を表すだね」と
言われますし。その分、下手なことは書けない!という
プレッシャーもあります。
短歌を詠みはじめて、やっと自分の名前と向き合えた気がします。

でもあくまで「にらめっこ」なので負けたところで笑えるのです。
短歌は私にとってそんなもの。
評価とか、勝ち負けじゃなくて、詠むことは楽しくて自分にとって
価値のあるものだと思っていれば、それでいいのです。


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『乱世に《恋ゆる》』でも書いた蒼天航路の曹植についてです。
私が短歌をはじめようと思った理由のひとつには、
確実に彼に出会ったことがあるでしょう。
もちろん好きなキャラクターへの憧れや、実際彼の作品を読み
詩歌の素晴らしさを感じたというのもありますが
私はこの彼の台詞を読んで、詠わずにはいられなかったのです。

 僕は乱世にあえぐ窮民の間で言葉を発し詩(うた)をうたい
 人の心から乱世を終わらせようと思う
 それが僕の身の内に渦巻く言葉を生かす道であり
 天下人の血を引いて生まれてきた僕の使命なんだ

 言葉はひとりの人間の恣(ほしいまま)になどなるものか!
 言葉は自由で強靭だ! 矛にも勝れば盾にも勝ろう!
 檄文で乱を起こすことができるなら 詩歌で乱世を
 終わらせることも可能だ!人の心から乱世を終わらせるんだ!

 なぜいつも誰もが同じ主題を詩う!?
 いずれも陛下から民草まで誰もが抱くあたりまえの心象じゃないか!
 いくら巧みに高雅な言葉で詩い上げようとも
 切ない涙の素にしかならない!

私は「楽隊は礼楽ばかりを奏でさせられ、画工は孔子の肖像
ばかりを描かされてきた」この時代に儒から独立した建安文学に
とても心惹かれるのです。

詩を詠む理由は人それぞれだと思いますが、私はこういう思いを
もった「言葉を愛する」歌人でありたいと思います。
私はまだ短歌を始めてから1週間ですし技巧的にも表現力も稚拙で
『歌人』を名乗れるほどのものなど持ち合わせてはいませんが
言葉を愛する気持ちがあり、だからこそ詠い始めたのです。


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長くなりましたが、短歌を詠みはじめるにあたっての自分の決意を
書いてみました。
言葉が私を愛してくれるぶん、私も言葉を愛し、これから短歌を
詠んでいきたいと思います。

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