コメント
地元が出てくるとびっくりします!
(
yukariko
)
2007-09-04 00:51:53
京都から西も鳥羽、水無瀬あたりまでで高槻には平安・鎌倉時代頃のこれといった名跡がないように思っていましたが、知らないだけで沢山あるのですね。
なじみのある地名が出てくると嬉しいです。
でも徒歩や牛車程度しか交通手段のなかった時代も遠くまで祈願をされたのですね。
「男児出生」が一門出世に繋がるから大事ですものね。
お傍付きの女房が承って参拝・参籠したのでしょうか
。
私も嬉しいのですが…
(
sakura
)
2007-09-05 09:01:32
三島鴨神社にお参りしても
ブログの記事にしたような事は
あまり記されていません。
三島鴨神社の由緒と高倉天皇誕生については、
梅原猛先生の「京都発見」(1)の中
”平家と三島神社”に詳しく書かれています。
三島神社(高倉天皇誕生後、三島鴨神社を京に勧請)に参拝した時、いただいた神社由緒略記や
京都市の駒札にも
”摂津三島江村の三島鴨神社”の由緒と
高倉天皇誕生の経緯が記されています。
次回「三島神社」のブログで
ピックアップして見ていただきます。
地元なのに…
他所から教えてもらっている状態です。
三島鴨神社は水害で古い文書を総て紛失したというのを、以前何かの本(何かで申し訳ありません)
で読んだことがあるのですが…
京から摂津までのお参りは少し遠いですが、
平安時代、長谷寺詣が盛んで公家から庶民にいたるまで
参詣していますから信仰すれば少々遠くても…ではないでしょうか。
後に登場する六代、彼の母親も長谷寺観音の熱心な
信者でした。
やはり滋子が高倉天皇を生んだことが平家一門にとっては画期的な出来事でした。
いつも丁寧に読んでいただいてありがとうございます。
私も地元の名前が出ると・・・
(
フーミン
)
2007-09-08 22:24:12
とても興味深く読ませていただきました
三島江は交通の要所であったと、何かの本で読んだ記憶があります。京都からの船が行き来していたのだと想像していました。
そして、瀬戸内海を経て九州から朝鮮半島や南方の島へと海の道が続いていた・・・・ロマンですね
だからなぜか??日本史に興味を持たないで、海の向こうの世界史にばかり興味が行って、身近な日本史がちんぷんかんぷんで、残念に思います
こうして、sakuraさんのブログで身近な歴史をお教えいただけるのがとても新鮮で嬉しいです
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なじみのある地名が出てくると嬉しいです。
でも徒歩や牛車程度しか交通手段のなかった時代も遠くまで祈願をされたのですね。
「男児出生」が一門出世に繋がるから大事ですものね。
お傍付きの女房が承って参拝・参籠したのでしょうか。
ブログの記事にしたような事は
あまり記されていません。
三島鴨神社の由緒と高倉天皇誕生については、
梅原猛先生の「京都発見」(1)の中
”平家と三島神社”に詳しく書かれています。
三島神社(高倉天皇誕生後、三島鴨神社を京に勧請)に参拝した時、いただいた神社由緒略記や
京都市の駒札にも
”摂津三島江村の三島鴨神社”の由緒と
高倉天皇誕生の経緯が記されています。
次回「三島神社」のブログで
ピックアップして見ていただきます。
地元なのに…
他所から教えてもらっている状態です。
三島鴨神社は水害で古い文書を総て紛失したというのを、以前何かの本(何かで申し訳ありません)
で読んだことがあるのですが…
京から摂津までのお参りは少し遠いですが、
平安時代、長谷寺詣が盛んで公家から庶民にいたるまで
参詣していますから信仰すれば少々遠くても…ではないでしょうか。
後に登場する六代、彼の母親も長谷寺観音の熱心な
信者でした。
やはり滋子が高倉天皇を生んだことが平家一門にとっては画期的な出来事でした。
いつも丁寧に読んでいただいてありがとうございます。
三島江は交通の要所であったと、何かの本で読んだ記憶があります。京都からの船が行き来していたのだと想像していました。
そして、瀬戸内海を経て九州から朝鮮半島や南方の島へと海の道が続いていた・・・・ロマンですね
だからなぜか??日本史に興味を持たないで、海の向こうの世界史にばかり興味が行って、身近な日本史がちんぷんかんぷんで、残念に思います
こうして、sakuraさんのブログで身近な歴史をお教えいただけるのがとても新鮮で嬉しいです