コメント
 
 
 
決定的な勝敗はつかなかったのでしょうが戦う度に負けていたら… (yukariko)
2016-05-02 12:12:37
海に逃れて陸に攻め上がれない平氏が、あてにしていた田口教能3000騎にも背かれて、船を持たない陸の源氏に勝ちたいと思いながらも決定的な戦いで勝利しないままで再起をするべく長門彦島目指して落ちてゆく…先の見込みもないのがうすうす感じられたら、心中はどんなにかわびしかった事でしょうね。
風にまかせ、潮に引かれて、いづくいともなくゆられ行くこそ悲しけれ」
本当にその通りですね。
 
 
 
その心中は察するに余りあります。 (sakura)
2016-05-03 08:58:54
屋島をいとも簡単に放棄し、瀬戸内海の制海権を失った今、
ほとんどの四国や九州の武士たちは平家を見限るはずです。
田口教能の父、田口重能の動きも気になります。
 
 
 
不比等、房前と海士伝説は面白いですね。 (自閑)
2016-05-08 20:08:00
sakura様
藤原不比等妻の墓、その息子房前と万葉集や懐風藻の世界に伝説は遡るので、大変興味を持ちました。
房前が、藤原北家の繁栄の基礎を築いていくのですね。
平家にとってはこの志度が、滅亡への決定打となってしまうのも、やはり縁です。
 
 
 
やはりそうでしたか。 (sakura)
2016-05-09 13:23:05
私も不比等、房前の名前を見て奈良時代に思いを馳せました。
藤原氏が台頭し、権力闘争がはじまったのですね。
不比等の子、藤原四兄弟は妹の光明子を皇后にしようと画策し、
長屋王を自害に追い込みました。
昔、王が眠る小さなお墓の前で胸を熱くしました。

志度寺にはがっかりしました。志度合戦のことはどこにも書かれていません。
この合戦は小競り合い程度だったようですから、無理もないのですが。

 
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