コメント
 
 
 
平 経正公 (揚羽蝶)
2017-01-21 23:07:26
 宇佐八幡宮は、お参りしたことはありませんが、造りは、石清水八幡宮と似ていますね。住んでいる近くにも八幡様があり夏祭りや秋祭りには、おみこしや夜店も出て賑わいます。
17歳の若さで経正公は、宇佐八幡宮の奉幣の勅使を仰せつかって青山の琵琶を賜り参詣したのですね。そして青海波の秘曲を弾かれたが宇佐の神は、反応されなかったのは、残念です。
その後、平家都落ちの時、仁和寺に青山の琵琶をお返ししたのですね。きっちりとした方だったと思います。
 
 
 
八幡様はいたるところに祀られていますね。 (sakura)
2017-01-22 09:06:59
ご指摘くださったように、宇佐神宮の勅使門(楼門)は
石清水八幡宮の総門とよく似ています。

「巻7・青山の沙汰」に記されている経正の宇佐使(うさづかい)は、
史実では確認することができませんが、
新潮社の「平家物語(中)」の頭注には、「高倉天皇の即位は平家にとって、
大きな喜びごとであり、大宰府・宇佐神宮に縁の深い平氏が
宇佐使の中に一門の誰かを加えるのは当然であり、
私的にでも子弟を同行させたかと思われる。」と書かれています。

平家は大宮司公通とは密接につながっていましたが、
神様はそうではなかったようです。

宇佐使は神託を受けることが任務ですが、経正の名演奏にも
宇佐の神様は、平家を拒否し沈黙していましたね。

 
 
 
宇佐八幡宮はかなり昔にお参りしたのですが… (yukariko)
2017-01-23 10:15:18
訪ねた昔は和気清麻呂がわざわざ神託を受けに行ったお宮とはどんな所かしらと、娘の頃から数年毎に初詣する石清水八幡宮の総本社だという知識だけでした。
今お宮の写真を改めて見せて頂くと確かに石清水八幡宮のお社と同じですね。

奉納された歌舞音曲を喜んで姿を表わしたり、瑞兆を示されるのは神様の豊かな感応力でしょうが、神が授ける
「神託」は神の意志とは全く違う処から下される、もっと厳かな物なのでしょう。
神にしても『言いたくはないけれど…参籠祈願して聞かれたからには、吉兆でなくても仕方がない!』と思いながら下されたのではないかしら(笑)
源氏の氏神となって、今も全国に八幡宮は一杯ありますものね。
 
 
 
参拝されたそうですね。 (sakura)
2017-01-23 17:26:57
宇佐神宮は東大寺大仏造営の際の託宣や、古代の日本の皇統を揺るがした道鏡事件など、
日本史の教科書にも載るほど重要な歴史の舞台となり、
歴史好きには興味津々のお社です。

本殿の建築様式は八幡造りといって独特の造りとなっているのですが、
残念なことに拝観できません。

八幡様は源氏にあつく信仰された事から武門の神様として有名ですが、
一方、オールマイティな神様でもあるようなので、
仏教側でも積極的にこの信仰を取り込み、寺の鎮守として
境内に祀り広がっていったようです。
 
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