コメント
 
 
 
いよいよこれから前九年・後三年の役のややこしい所ですね。 (yukariko)
2009-03-16 22:39:02
武士団の台頭のきっかけになる前九年・後三年の役の始まりでようやく聞き覚えのある名前が出始めますね。
でもこの辺からは敵味方とも枝分かれした一族が一杯出てきて何度読んでもよく分からなくなります。
確か平泉の藤原三代の清衡もこのへんでしょう?

そして八幡太郎義家の墓はここにあったのですね。

以前9/27「頼政道」で以仁王が新羅明神に再拝されたと書いて下さったっけと思いだしてもう一度読み直しました。
新羅三郎義光の墓は三井寺新羅善神堂近く。
彼の末裔は武田氏・北条氏…どの人の末裔も凄いですね。
この先が待たれます。

余談ですが…(笑)
河内国古市郡壺井里という地名は当たり前ですが、その後の「香炉峯」という名前に『おおっ!』

清少納言の「香炉峯の雪」を思い出したのですがこんな地名を誰が名づけたのかしら…と。
 
 
 
もう十数年前になるかも知れません… (sakura)
2009-03-17 15:12:28
NHKの大河ドラマ「炎(ほむら)立つ」で奥州藤原氏の歴史にスポットを当て
放映されたので、Yukarikoさんもこのドラマをご覧になったかもしれません。

義経が奥州藤原氏を頼って下向する辺は別にして、それ以前の東北の歴史は
埋もれていた感があったので、タイトルだけ印象深く覚えています。
ところがドラマの筋書きはすっかり忘れてしまいました。
藤原房前が北家をつくり次の魚名が奥州藤原氏の祖です。
魚名の三代あとに藤原秀郷(俵藤太)が出て、西行法師(佐藤家)はこの流れです、まだまだ複雑になります。

新羅三郎義光を覚えていてくださってありがとうございます。
義光の墓は三井寺新羅善神堂近くにあって義家と同じように円い墳です。
彼の末裔は武田氏・佐竹氏と河内源氏の家系はおっしゃるように次々有名人が出てきます。

義光は後三年の役で兄義家が苦戦しているのを知り、駆けつけ兄を勝利に導きます。

「香炉峯」については地名事典でも引けば出てくるのかもしれませんが、
「河内名所図会」によると香炉峯は壺井の山峯をいい、
通法寺の釣鐘の銘も香炉峯とありますが、これらを誰が名づけられたかは分かりません。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。