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反乱を鎮めるのに12年も苦労したなら… (yukariko)
2009-04-09 14:52:30
12年もかかった泥沼のような戦いで味方の武将も無傷とは行かず沢山大事な一族や家来たちをも失った事でしょう。
共に闘った部下に対する恩賞は身銭を切っても与えたかったでしょうし、せっかく奪った砦や領土が裏切りや敗戦で敵方の物になる悔しさ、情けなさを思うと敗者に対する残虐な仕打ちも、正当化できないまでも気持ちは分かります。

今から千年近く昔、慈悲を説く宗教など無縁でしょうし、キリスト教だって神の名の下で随分ひどい事をやっていますもの。

恐れられその威光に押されて荒えびす達が従順になるなら何でもやったのではないかと…。

ものすごい苦労をして平定して戻っても貴族達にはその苦労が評価されないと実感した時、都の勢力の及ばない東国の経営に力を注ごうと誓った?

院や貴族達は義家の勢力が大きくなりすぎて自分たちの支配が及ばなくなるのを恐れ、昇殿や位を与えることで懐柔したのでしょうね。

案外源氏の内紛も院や貴族がそう仕向けていたのではないでしょうか?

「源家の太刀」が勅命で頼義に賜り義家に相伝されたこの事も…主流だった摂津源氏から河内源氏が取って替わり主流となった?

五条というのは案外行きにくい所なので写真を見せて頂けてよかったです。
 
 
 
親兄弟も平気で殺す源氏はすごい! (sakura)
2009-04-09 17:35:57
源氏の内紛は義光が義家の嫡子を殺し、義綱を落としいれ直系になりたかったのが一因のようです。
頼義の前九年合戦、義家の後三年合戦の背後には奥州に進出したい河内源氏の陰謀があったのです。
煩雑になるのを恐れて私がこの辺を詳しく書いてないのでyukarikoさんのご意見はごもっともです。

「院や貴族達は義家の勢力が大きくなりすぎて自分たちの支配が及ばなくなるのを恐れというのはあるでしょう。」
白河院は以前も見たように、藤原氏への荘園の寄進も禁止し、天皇家の財政が豊かになるよう計っていました。

「平家物語」の剣の巻・下には源家相伝の太刀の行方が書かれているので、これからも必要に応じて見ていきます。
一昨日は平治の乱のあと父とはぐれ一騎落ち延びてきた頼朝を地侍が見つけ源氏の嫡子を討ち取ろうとして
逆に源家相伝の太刀で首をはねられた。
という森山の宿(守山)に史跡をたずねてきました。


 
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