コメント
 
 
 
やはり義経は頼朝が恐れるほどに運が強いですね。 (yukariko)
2016-02-04 23:39:02
通常2日かかるといわれた讃岐への道を徹夜で騎馬を走らせ、阿波から讃岐への最短ルートを通り、
辺りの地理に詳しい親家の案内で深夜の難路を行軍。

また親家の情報で田内成良以下の主力軍が出払った後の残留部隊を散々に蹴散らし、勝ち戦で勢いを付けて、屋島まで駆け抜けたという事。
その動いた後には長い年月を経た後でも伝説が一杯残っているとはやはり義経はカリスマですね。


 
 
 
そうですね。 (sakura)
2016-02-05 09:23:06
頼朝も強運のもち主ですが、義経も兄に劣ることなく運が強いです。
強風の中、渡辺の津から阿波まで驚くほど短時間で辿りつき、
平氏方の桜間良遠の城を落としています。この時、落ち延びた
良遠が屋島の平氏に「義経が近づいている」と知らせたら状況は変わったでしょう。
のち頼朝に追われ大物浦から西海に船出した義経は、
嵐で遭難しています。完全に運に見放されてしまいました。

伝説・伝承の中には荒唐無稽なものや後世のかこつけもありますが、
義経が辿ったとみられるルートをうかがうことができます。

 
 
 
屋島に登りました。 (ひろ庵)
2016-02-06 12:10:43
四国八十八ヶ所第84番屋島寺には麓から歩いて登り頂上の屋島寺に着きました。昼食後に参拝しました。
源平合戦での血を洗った血の池もあり、なかなか眺望の良いところでした。
そして急な坂を下り第85番八栗寺へ向かう途中に讃岐33番観音第2番洲崎寺へより、源平合戦の情景を表わした庭園を拝見。このあたりはいろんな源平合戦の遺蹟らしいのが残っていますね。
 
 
 
すごいですね! (sakura)
2016-02-06 16:11:11
あの急坂を歩いて上られたのですね。
私が屋島寺へ始めて行ったのは、平成14年の春のことです。
お遍路さんのバスツァーにもぐりこみ、
白峯寺・善通寺・屋島寺などを参拝しました。
その時は屋島寺へは観光バスで、今回もむろんバスで上りました。
この前、金泉寺・源平志度合戦の志度寺などを拝見させていただきました。
先ほど改めて屋島寺・洲崎寺・白峯寺やその麓の天皇寺などを
見せていただき、長尾寺に静御前の剃髪塚があるのを知りました。
ひろ庵さまのサイトも源平屋島合戦史跡の宝庫です。
また訪問させていただきます。
YahooのIDを持ってないので、コメントできないのが残念です。

 
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