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安芸違い (揚羽蝶)
2018-11-17 23:40:02
ご無沙汰しております。
高知には、二十数年前、宿毛に出張に行った時、土佐黒潮鉄道に乗った記憶があります。遠流の地とあってかなり遠かったです。日本全国こんな所まで、平家と源氏の戦いが、あったのですね。
壇ノ浦で平教経公と組討して海中に没した安芸時家、実光兄弟は、広島の安芸に関係あると思っていましたが、土佐の安芸だったのですね。勉強になりました。
それではまた、よろしくお願いいたします。
 
 
 
こんにちは (sakura)
2018-11-18 09:57:40
揚羽蝶さま
土佐黒潮鉄道には、そんな思い出がおありなのですね。

西国は平家の地盤でしたから、四国には平家に味方する豪族が多くいましたね。
しかし土佐には、源氏に味方しようとした豪族もいたので、
頼朝は寿永3年(1184)に彼らに協力を求めています。

平教経と戦った安芸時家、実光兄弟は、
土佐国安芸郡の長官、安芸大領真康(さねやす)の子です。
このあと平教経は戦場を逃れて四国の山中に入り、
安芸郡の魚梁瀬(やなせ)(現、高知県安芸郡馬路村魚梁瀬)に落ち着き、
門脇氏の先祖になったという伝説があります。

平家伝説の地で知られたこの集落は、魚梁瀬ダムの建設で水没したようです。
こちらこそ、またよろしくお願いいたします。
 
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