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平氏一門が大宰府天満宮(安樂寺天満宮)に詣でているとは… (yukariko)
2016-09-30 21:24:07
昨年の正月はこちらも大雪であちこちで高速道路も通行止めになり撮影旅行に出ていた息子も東名から名神がストップ、走れたはずの西名阪も亀山でストップし下の雪道を必死に帰ってきましたが、心配したものでした。
あの時に日帰りではるばると初詣に大宰府まで行かれたとは驚きです。

大宰府は個人旅行で電車で行ったり、その後はツアーで何度も訪ねていますがどの時も3月(梅見月)かそれ以降なので雪の大宰府は初めて見せて頂きました。

九州に行きながら落ち着きも出来ずまた戻った平氏一門が安樂寺でひと時を過ごし、連歌や和歌を奉納した…その歌は一門の来し方と行く末を思う時、ぐっと胸にきますね。
 
 
 
九州ではこんな雪は中々見られません。 (sakura)
2016-10-01 12:49:36
電車の窓から見ていると、山口県に入った辺りから
雪が強く降り始めたので心配しました。

太宰府天満宮に着いた時が一番激しく、
遅めの昼食をとる頃には止みました。

Yukarikoさまが参拝された頃が太宰府天満宮が1 年で一番美しい時期ですね。

 
 
 
大宰府 (揚羽蝶)
2016-10-02 00:03:01
 九州の大宰府は、平家にすれば、ゆかりのあるところで、日宋貿易の関係で、経済人でもあった、清盛公が多くの富をいただくことになった拠点でもあり、また博多山笠も、清盛公にゆかりのあるお祭りだと聞いております。
また、道真公の、東風吹かば、匂いおこせよ、梅の花、主無しとて、春を忘るな。は、私の父の好きだった歌で、都を追われた平家の心情に重なるものが、あると思います。
 
 
 
博多祇園山笠と博多どんたく (sakura)
2016-10-03 05:10:52
博多祇園山笠は、櫛田(くしだ)神社の夏祭です。
清盛は日宋貿易を重視し神崎から櫛田神社を勧請、
博多の港などを整備しています。この貿易が政権の財源となったのですね。

博多を支配していた清盛に感謝し、博多どんたくが始まったといわれ、
博多祇園山笠とともに博多を代表するお祭です。

お父様がお好きだったという歌は、「源平盛衰記」にも記されています。
それによると「道真が故郷の空を見て
♪こち吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな 
と詠むと、都の道真の屋敷、紅梅殿の梅の枝が裂けて安楽寺に飛んできた。」
とあり通説と少し異なりますが、
いずれにしても道真の梅への思いの強さがうかがわれます。

 
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