コメント
 
 
 
丁寧な探索と克明な記事が素晴らしいですね! (yukariko)
2012-05-21 22:53:35
実地に赴いて遺跡や菩提寺、供養塔などの写真を解説と共に載せて下さるのでありがたいです。
今回の系図はすっきりときれいですね。

源氏の武者達はいかにも猪武者なのか、うんざりするぐらい内輪で争いますね。
欲望に忠実というのでしょうか(笑)

どちらを向いても伯父甥、親子骨肉の争いばかり。
日曜の大河ドラマでも忠盛に対して為義が自分たちの生きざまを言う場面がありました(その言葉がもうはっきりと思い出せません)、
一人一人の生き方というより一族の気性そのものが荒々しく、争いをこのみ、角立つ…武士そのものなのかも。
勢力を広げる為には骨肉の争いも平気な武士の一族は、雅を尊ぶ堂上の公卿からすれば、利用するだけして気に入らなければ破れ草履のように捨て去れる程度の小物達と見られていたのでしょう。
その上の公卿達も院の近臣や摂関家が争い別れて誰を信じて行けばいいのか分からない、実に恐ろしい時代ですね。
 
 
 
親兄弟でも容赦しない (sakura)
2012-05-22 11:25:16
恐ろしい時代です。大河ドラマは欠かさず見ていますが、何気なく見ているので
忠盛に対して為義が云った言葉、全く覚えていません。何といったのでしょうね?
系図はメールで教えていただいたお陰です。ありがとうございました。

鎌倉時代は我国中世の幕開けとよく云われますが、その裏には、
様々な激動の歴史があり、源氏には血を血で洗う闘争の歴史がありました。
その一つが大蔵合戦ですが、大河ドラマでは前々回でしたか、
義平が大蔵館を襲撃して義賢を殺害、源氏重代の髭切の太刀を奪い返すシーンを放映していました。
ほんの数場面だったのでつい見過ごしてしまうシーンです。
この合戦の一年後の保元の乱には天皇家、摂関家、源氏・平家が親兄弟、叔父甥と敵味方に分かれて、争いが繰広げられました。
のち後白河と結んだ頼朝と義仲、従兄弟同士が激突し
義仲は父子二代にわたって同族から滅ぼされることになります。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。