コメント
 
 
 
古戦場一帯は有名な場所なのですね。 (yukariko)
2010-06-23 10:08:15
現地は「源平盛衰記」に詳しく記述されているから一帯は整備されて歴史の好きな人が気軽に訪れられるコースなのですね。

「親の口から申すのも何でございますが、
息子の与一義忠は弓矢を取っては、誰にも決して引けをとりません。先陣を務めるに相応しいと思います。」
頼朝に先陣の武将として息子を推薦した岡崎四郎義実は自慢の息子がよもや逆に打ち取られるとは想像もしなかった事でしょう。
誰よりも一番に手柄をたてさせたいと親心で推挙したのが…。
「青地の錦の直垂」「赤糸縅の鎧」「白葦毛なる馬」という目につく華やかないでたちで25歳の若武者、闇夜で豪雨の中でも目立った事でしょう。
父親よりもずっと傍に付いて育てた郎党文三の誇らしさはどんなだったでしょうね。

それが組み合った相手に負けるならともかく別の人間に後ろから組みかかって首を掻き切られた…緒戦で命を落とし、勲功を上げられなかった口惜しい思いが残ったでしょうか?
後世を弔う立派なお堂も立てて貰い頼朝にも詣でて貰ってもその思いが「痰・咳・喘息止め」に効果がある社という評判がたった?
「ねじり畑」という言い伝えはありそうな気がして不思議ですね?
 
 
 
小田原市観光協会 (sakura)
2010-06-24 13:28:29
この辺は不案内な地なので、小田原市観光協会にお願いして小田原・真鶴辺のパンフレットを送っていただきました。
早川駅の西南辺(山中)に豊臣秀吉が小田原北条氏を包囲したときの、「石垣山一夜城址」が現在歴史公園として整備されていて、早川駅~石垣山一夜城址~石橋山古戦場~根府川駅(一駅真鶴より)のハイキングコース(12K)もあります。
ハイキングコース一帯は石橋山合戦で惨敗した頼朝が、真鶴から舟で脱出するまで逃げ惑った山のはずです。秀吉、頼朝の時代を偲んでウォーキングする人も多いのかも知れませんね。
石橋山合戦の十年後の文治6年(1190)与一、文三の墓参りをした頼朝は「御落涙、数行に及ぶ。」とあり、また与一の菩提を弔うため文治5年~建久8年(1197)にかけて証菩提寺(横浜市)を建立しています。
頼朝にとっても死を覚悟するところまで追い込まれた石橋山合戦は生涯忘れられないものだったのでしょう。
証菩提寺が建つ山内庄(鎌倉市山内・横浜市戸塚区)は、代々源氏の従者であった頼朝の乳母子山内経俊の本拠地でしたが、経俊は頼朝挙兵の際、平氏側につきこの地を没収されています。

 
 
 
topの海がきれい! (kazu)
2010-06-27 11:12:30
海と空のグラデーションがきれいです!

来月の定例会課題をUPしました。

大分悩みましたが、又ワードでお絵描きです。

今の季節の紫陽花と蛙と虹のコラボです。
お手本はUPした画像とは違いますのでご自分でアレンジされればと思います。
よろしくお願いします。
 
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