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平氏の本拠地で勢力を立て直すはずがが追われ追われて… (yukariko)
2016-12-12 11:45:35
柳の御所には七箇日渡らせ給ひける…一週間しか滞在できずにまた船で海に浮かぶ生活へ。そこから屋島へ向かったのでしょうか?

都しか知らない平氏の公達には都落ち以後はずっと
辛い生活だった事でしょう。
都落ちした平家一門への喪失感と絶望感に苛まれた清経の入水の地はここの沖合なのですね。『能・清経』

 
 
 
九州から屋島へ (揚羽蝶)
2016-12-12 22:28:51
 柳の御所もすぐに追われる、いいところなしの平家ですが、まだまだ四国、山陽には平家を慕うものも大勢おられます。
幸い、源氏も例のごとく義仲と頼朝の仲も悪い。
捲土重来、反撃を期し屋島に向かいます。
 
 
 
Yukarikoさま (sakura)
2016-12-14 07:48:29
一行は柳ヶ浦から瀬戸内海に入り、屋島に上陸します。
平家物語には多くの諸本があり、九州での一門の足取りは
それぞれ異なることは以前、述べさせていただきました。
山鹿城から豊前国柳ヶ浦へ至るルートは、どれも一致しますが、
柳ヶ浦には、門司区大里と宇佐市のふたつあり、
史実としては門司の柳ヶ浦が妥当であろうとも書きました。
ところが「源平盛衰記」の記述によると、宇佐市とも考えられます。

清経入水の話は、平家物語の太宰府落ちを題材に「謡曲清経」にも取り上げられ、
この矛盾をうまく脚色しまとめてあります。

清経の墓もふたつあります。門司駅から宇佐方面に普通電車で
30分ほどのところにある福岡県京都郡苅田町、
もうひとつは大分県宇佐市です。

 
 
 
揚羽蝶さま (sakura)
2016-12-14 07:56:14
そうですね。
このあと、海上に漂う平家に長門国から援助の手が差しのべられますし、
落ち延びた四国では、阿波の田口重能の計らいで内裏を構え、
再び勢力を盛り返します。

都落ちの時、宗盛に九州の事情に明るい平貞能が九州は
一枚岩ではないと進言しましたが、その通りでしたね。
 
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