コメント
 
 
 
静御前 (揚羽蝶)
2018-04-20 23:08:31
 静御前は、頼朝の前で堂々と舞い、立派でした。
福島県の郡山市に静御前堂が、あるのですね。
吉野山中で義経と別れた後は、もう会えなかったのでしょうか?少し可哀想なところもあります。
今でも人気があり、日立の洗濯機静御前や、ドラえもんの源しずかちゃんも、彼女からきているのでしょう。
 
 
 
都に帰った静御前は? (yukariko)
2018-04-21 12:41:55
母の磯禅師が元白拍子でその斡旋などもしていたのなら都に帰った後も技芸集団とのつながりで暮らしがあったのでは?
政子や大姫たちからの餞別でずっと暮らしてゆけるはずもなく、義経が討たれてしまえば鎌倉の監視もなくなり、静も元々お姫様ではないから都で細々と暮らし、体を壊して若く亡くなったのかな…と勝手に想像してます。
鎌倉初期に奥州まで舞を披露して宿を願う女の旅など簡単に出来るはずもないし、芭蕉などが旅したのは江戸時代に整備されてからでしょう?
伝説は後世の人の『こうであって欲しい』願望が形になった物では。
あの義経の奥州までの逃避行の跡があちこちで遺跡や神社になったりしてますが、これも同じではないかと。
それほどの同情を呼ぶ気持ちはとてもよく分かります。
 
 
 
Re:静御前 (sakura)
2018-04-21 17:49:46
静は勇気があります。本当に立派ですね。
奉納舞の舞台で、静に面目を丸つぶしにされた頼朝は
御簾を下ろさせて激怒していますから、
死を覚悟しての舞だったのでしょう。

雪の吉野山で別れて以来、運命のふたりが二度と会うことはありませんでしたが、
二人の物語は能や歌舞伎の演目となり、今も私たちを魅了し続けています。
洗濯機やドラえもんの登場人物の名も静からきているそうですね。
 
 
 
静は若くして亡くなったようです (sakura)
2018-04-21 17:53:40
頼朝の怒りをかい、義経は追われる身となって奥州へ落ち延びていきますが、
奥州平泉までの逃亡ルートははっきりしません。
そのため、各地に多くの伝説・伝承が生まれ、
それらの多くは静御前を登場させて悲劇性を盛り上げ、
判官ひいきの一因となっています。

室町時代に成立した「義経記」には、その後の静御前が描かれ、
「吾妻鏡」には、わずかな記述しかなかった静についても詳細に記されています。

史実では、都に帰ってから静がどのような生活を送ったかは不明ですが、
これに頼るしかなく「巻6鶴岡八幡宮の舞」より、静の最期をご紹介します。

「吾妻鏡」は、静が京へ旅立つ時、政子と大姫は憐み、
多くの宝物を持たせて帰した。と記述しています。
ところが、「義経記」では、静は政子から賜った数多くの引き出物を
ことごとく若宮の神前に奉納して、北白川の家に帰りつきました。
それからの静は、明け暮れ持仏堂に引きこもりお経を読んでいましたが、
19の時に髪をそり天竜寺の近くに小さな庵を構えて
ひたすら仏道修行に励みました。
そして翌年の秋の暮れには、思いが積もったためか、
念仏を唱えながら亡くなりました。とあります。




 
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