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残念ながら打出の浜には… (yukariko)
2013-05-31 21:51:28
だいぶ以前に友人達となぎさ公園を通って大津プリンスホテルで昼食をとり、そのあと、湖岸道路18号を通って義仲時寺にお参りしました。

その頃は打出の浜を義仲の最後の場所と知らなかったので、どうしてこんな処に義仲のお墓があるのだろう?と不思議に思ったものでした。

義仲の墓と後世を弔った巴御前の物語や彼を慕った芭蕉の話などをお寺でも教えられて『ああ、そうだったのか!』…おかげで義仲に親しみが持てましたが、勢いを失うと側近も打たれて減り、朝日将軍と呼ばれた人でさえ数騎だけ。
義朝の辿った道もやはり同じ、哀れですね。
 
 
 
周辺は時代によって変化しています。 (sakura)
2013-06-01 10:42:39
昭和の時代までプリンスホテルのある「におの浜」は湖の中ということになりますが、
そこから当時の湖岸に沿って義仲寺へと歩かれたことになりますね。
平安時代末期、この寺の付近は粟津が原と呼ばれ義仲が討死したところとされています。

義仲と兼平主従の絆の固さと兼平の献身ぶりは、「平治物語」の
義朝と乳母子鎌田正清の仲に通じるものがありますね。
乳母子といっても高倉宮(以仁王)の乳母子のように臆病者もいますし、
平重衡の乳母子のように土壇場で裏切る者もいます。

義仲は歴史上の挫折者ですからその軍事、政治上の才など批判される点も多々ありますが、
「平家物語」は、木曽の最期をどの武将より深い感動をこめて語っています。
 
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