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西国は平氏の拠点と思っていましたが… (yukariko)
2013-03-14 23:52:46
どうして九州にまで下って天皇を柱に拠点を定めなかったのだろうと思っていたのですが、法皇方の攻勢でそうさせてもらえなかったのですね。

平氏でなければ人でないと思い上がっていたのに、都から付き従っていた家人にまで「昔は昔、今は今」といわれ、追われて徒裸足で海の上に逃げざるを得なかったとは悲惨すぎて、堂上の公達育ちの若者にとっては自殺もしたくなりますね。
屋島の六万寺の堂塔伽藍は行在所としては立派でもそれまでの漂白で一族もお互いを疑い、先を思ってくたびれ果てていた事でしょう。
 
 
 
清経の入水について (sakura)
2013-03-17 10:36:47
平家物語には、清経は日頃から思いつめる性格であったと記されています。
小松殿の公達は、武門の家に生まれながら和歌や管弦の道にいそしむ
優雅な生活をしていたと思われます。
清経も名目上の大将にかつがれて園城寺攻めや東国攻めに加わっていますが、
大した働きはしていません。戦場や都落ち後の定まらない生活は
彼にとって大変辛いものだったと思われます。

平治の乱後、頼朝の助命を池禅尼が清盛に嘆願した時、
重盛の口ぞえもあったため頼朝は池禅尼の子・頼盛や重盛には
好感をもっていたと云われています。頼盛が都落ちの途中から
都に戻ったことはご存知だと思いますが、
小松殿の公達も主流派の時子や宗盛たちから疑惑の目を向けられています。
こういった疑惑を払拭する意味でも、何としても緒方を説得したかったのではないでしょうか。
やはり緒方との交渉が上手くいかなかったことが、重盛の腹心・貞能の立場を悪くし、
小松殿の公達にとって精神的な重圧になったのではないでしょうか。
 
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