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似雲法師と高槻に関係があるとは…! (yukariko)
2008-03-21 16:35:57
富田の造り酒屋紅屋の当主との交流から日本各地の文人との交流が始まり、各地に点在する有力者を訪ねて遠い地方へも歌を作りながら、西行の後を辿りつつ旅したとは…急に西行と似雲とが身近く感じられました(笑)

…北斎と小布施の豪商(豪農?)との交流なども似た話ですね…

高槻市「大王の国から」のアドレス「キャッシュ」をクリックしてついでに高槻の情報も読んできました。

ご紹介ありがとうございました!

城内公民館に月1通っていてもお隣の「しろあと歴史館」には立ち寄った事も無いのですが、インターネットとは便利なものですね。
高槻市広報の囲み記事は時々読みましたが、「大王の国から」というテーマ名には気付いていませんでした。
今回まとめて読んで「ああ、確かにこれだった!」
 
 
 
本当にインターネットは便利ですね! (sakura)
2008-03-23 08:15:17
「広報切り抜き」の写真の文字では読みにくいので、
「似雲法師と高槻」で検索してみました。

「しろあと歴史館」は時々利用しています。
昨年11月頃?芥川山城に入城していた「三好長慶特別展」がありました。
四国(三好長慶出身地)から子孫(直系ではない)だという人が「展示を見るため訪ねて来た」とおっしゃっていました。
やはりインターネットで展示をお知りになったのでしょうか。

旅案内の冊子で時々目にする「小布施と北斎」どういうゆかりがあるのか気になっていました。
よく旅をされるのでyukarikoさんは小布施に行かれたのでしょう。
このお返事を書き終えたら「小布施」を検索してみます。教えて頂いてありがとうございました。

前回頂いたコメントに書き忘れていた「西行を慕う人々」yukarikoさんのおっしゃる「西行フリーク」でしょうか。

弘川寺御住職のお話にも出てきました。
よく知られているのが「芭蕉」西行500年忌に奥の細道の旅に出ています。
その外、良寛さん、後深草二条(女西行)高杉晋作(東行)、小林秀夫、川田順、佐々木信綱…
でもやはりあいつぐ戦乱で分からなくなっていた西行の墓を見つけた似雲の業績は素晴しいですね。
 
 
 
似雲がおられたからこそフリークが後に続けたのかも (yukariko)
2008-03-24 09:56:15
後深草二条(女西行)だけは少し後の鎌倉時代…とわずがたり…ですが、他の方々はずっと後になってからの方ですね。

西行の歌が時代を超えて心の琴線に触れるのだと思います。
世の中が落ち着き文化が円熟した江戸時代のフリークが多いのはその書き記されたものが今に残っているからかも。
それにしても墓の発見を始め似雲の功績が大だと思います。

小布施は20年近く前に実母の善光寺参詣に付き合い湯田中に一泊した折に訪れました。
以前から「浮世絵・漫画」の北斎が好きだったのですが、折悪しく北斎館は休館日で、北斎の天井絵のある岩松院と高井鴻山記念館を見学し、そこで北斎の旧宅や豪商でこの地方の文化人だった鴻山の後援と交誼を知りました。
(昔の事で記憶が頼りないです。)
 
 
 
ご実家のお母様との思い出の地だったのですね! (sakura)
2008-03-24 16:55:20
一度訪ねた所は写真位しかなくても、割と記憶に残ってるものですね。(細かい事は別にして)
丁度いい機会だったので、私も昨日インターネットで検索して少し勉強させて頂きました。

後深草院二条については白洲正子がその著書「西行」の中で後深草院二条は「女西行」と呼ばれたほどの心酔者であったが西行の修行行脚の足跡を辿ったというだけで西行自身からは何も貰ってはいない。云々と酷評していますが、修行行脚の足跡を辿ったというだけでも中々できることではないですね。
佐々木信綱筆による歌碑も境内にありました。

もう一人忘れてならないのが、弘川寺のご住職です。
先代が西行記念館を私費でお建てになり、
ご自身も「境内の裏山を吉野山のように全山桜の花で埋めよう」と頑張ってらっしゃいます。
桜を愛した西行にはそれが一番の供養になるのかも知れません。
 
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