コメント
 
 
 
変わった難しい地名の元を教えて頂きました! (Unknown)
2012-12-22 23:48:49
昔から変わった地名で講談本を読んで一体どこにあるのだろうと思いました。
長い歴史の中で仏様の名前がお寺の名前になり、地名にもなっているのですね。

敗戦には必ず原因があるものですが、平氏は戦う前に軍における統率権の争いで意思の統一が取れていなかったとは。
でも重盛が早く亡くなってしまったのだから時子が生んだ宗盛が棟梁とされるのは仕方ないし。
彼が生きて平氏の家人を掌握していれば、こんな情けない争いはなかった筈と古兵達が嘆いた事でしょうね。
 
 
 
地名とともに倶利伽羅不動尊も大変珍しいものです。 (sakura)
2012-12-24 11:10:04
重盛が長く生きていれば歴史は大きく変わっていたかも知れませんね。
清盛の悪、凡庸な宗盛と対比して彼は多少美化されて描かれている部分がありますが、
頼朝に謀反を勧めた文覚でさえ「あれだけ人間的に優れ、大将にふさわしい人物はいない」とその死を悼んでいます。

義仲追討軍の人選をしたのは宗盛なのでしょうが、なぜ富士川合戦でみじめに逃げ帰った維盛を大将軍に再び起用したのでしょうか?
この疑問に『平家の群像』の中で高橋先生が次のように答えてくださっています。

「平家一門の中でも勇将のほまれ高く、主流派である清盛の息子知盛・重衡が追討軍に入ってないのは
頼朝らとの決戦にという名目で動員対象からはずされたのではないだろうか。」

 
 
 
倶利伽羅龍王 (吉原 満里子)
2019-02-23 12:27:05
倶利伽羅龍王様の真言パソコン探しても解らなかったもので真言教えて頂ければ幸いです。
 
 
 
Re:倶利伽羅龍王 (sakura)
2019-02-23 17:03:23
吉原 満里子さま
ご訪問ありがとうございます。

お尋ねいただいた倶利伽羅龍王の真言について、
手元の仏教関係の本を調べてみました。
不動明王の真言は、あちこちに載っているのですが、
倶利伽羅龍王の真言を唱えるときの文句は見当たりません。

そこでネットで検索してみました。
「龍楊 中国伝統気功・大阪」のサイトに次のように書かれています。

「不動明王の剣に、まきついている龍を、倶利伽羅龍王といいますが、
そのマントラが、ノウマク・シッチ・シッチ・ソ・シッチ・シッチ・キャララヤ・クエンサンマンマ・シッリ・アジャマ・シッチ・ソワカ
37回、となえるのが基本ですが、この回数は、このマントラ特有のものですね。」

 
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