コメント
 
 
 
その頃の世相や出来事でよく分かります。 (yukariko)
2007-10-19 10:05:13
巧みな政略で朝廷権威の存続を図り1158年から5代34年院政を続けた後白河法皇は自分の引き立てて隆盛した平氏が、自分の意向さえ無視するのを見て、今度はそれを牽制する勢力を育てようとしたのですね。
それが後に源三位頼政→頼朝に繋がる!

自分の意のままにならぬものは鴨川の水と比叡山の僧兵と賽の目だけという「法皇」との壮絶な戦いが裏で繰り広げられ、その間で知らずに踊らされ悲惨な最期を遂げる成親・俊寛!

世情の詳しい描写で現代と同じく不穏で人が信じられない時代と騒乱の流れがよく分かります。

「示現山満願寺」の写真と地図で『あっ、岡崎のあそこのお寺だっ…!』

平家物語の世界と自分が実際に知っている場所が繋がってきました。ありがとう!

 
 
 
そうあそこです! (sakura)
2007-10-19 17:27:49
平家物語ゆかりの地は京都へよく行かれる方なら
ご存知の所が多いですね。
満願寺の辺りも何度も歩いてますものね。

鹿ケ谷事件は反平家の動きが表面化した最初の出来事ですが、
事件発覚後関係が悪化していた清盛と後白河院も
翌年の徳子懐妊・皇子誕生で一時小康状態。
後白河院自ら安産の祈祷を行っています。

ところが事件二年後には後白河院の側にたち父・清盛をいつも諌めていた重盛が亡くなり、清盛、後白河院両者の関係は一気に悪化。
(Yukarikoさんのおっしゃる壮絶な戦いの続編です。)
またこの辺の事は記事にしたいと思います。

頼政から頼朝へ
頼政ゆかりの地が京都や京都近辺に沢山残っています。
人気者なのでしょう、どこを訪ねても大切にお祀りされています。

コメントありがとうございました。
 
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