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清盛にすれば『恩知らず』ですよね (yukariko)
2010-06-08 19:43:06
義母を始め色々な人から嘆願があって仕方なく助命、流罪にした源氏の跡取りが20年の雌伏の末挙兵したという知らせは清盛にとって怒り心頭に発した知らせだったでしょう。やはりあの時願いを聞くのではなかったという思いが胸に去来した事でしょう。
恩知らずですが武門の『臥薪嘗胆』は世の習いですものね。

安徳天皇を即位させ後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、思うがままの政治を行ってきた清盛にとって先の以仁王と源三位頼政の謀反に続いて源氏が反旗を翻したという知らせはこれから先を暗示する忌まわしい知らせとなって彼を悩ませた事でしょう。

柱と頼む大事な後継ぎ、重盛を失い、他の武将としては頼りない息子達や孫が各地の反平氏を標榜する源氏と法皇側近を始めとする貴族の中の反抗勢力をちゃんと抑え込んで宮廷を仕切ってゆけるか?と考えると、おちおち京の都に居座っていられなかったのかも。
 
 
 
栄華から没落へ (sakura)
2010-06-10 15:49:28
以仁王の謀反が起こり、清盛が強引に都遷りする頃から平家の運にも陰りが見えはじめます。

頼朝挙兵の知らせを聞いた清盛は池禅尼を深く恨み、頼朝を助けたことを後悔したことでしょう。
清盛が池禅尼の嘆願を固く退けていれば、平家はこんなに早く滅びなかったかも知れませんね。しかしこの時点で清盛は頼朝軍を甘く見ていたのでしょうか。
高倉上皇が9月に病をおして厳島神社に参詣、10月には代わって清盛が厳島神社・宇佐神宮参詣に出発。11月清盛が戻ると富士川合戦で維盛を大将とした平家軍が大敗北との情報が伝わってきた。
汚名を挽回しようと宗盛を大将として再び東国へ大軍を送ろうとしますが、その出陣直前に清盛は熱病におかされ死の床についてしまいます。

 
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