コメント
 
 
 
敗因は幾つもあるでしょうけれど… (yukariko)
2013-11-08 19:21:15
…「法皇は和平の提案をしておきながら、
結果的に平氏を騙討ちにしたことになりました。」…
後白河法皇にすればどのような手を使ってでも平氏の力をそぎ、追い落としたいと思っていたでしょうし、一筋縄ではいかないお方だから、騙して相手を油断させるのも戦略だと言って、平気でやりかねないと思います。

行在所はそこにあったのでは(願望を込めて)との後の言い伝えだけで、実際には仮御所を設けるほどの余裕があったでしょうか?
三回忌の法要さえ海上で行ったのなら尚の事に思いますね。


 
 
 
和平の儀は実際にあったのですが… (sakura)
2013-11-10 11:30:08
お察しのように、法皇は平氏追討の意向でした。
しかし、法皇の周囲の人々は、平氏追討より神器が無事に返還される方を望む人が多く、
和平両論が鋭く対立し、法皇も随分と迷っておられたようです。
和平の使者の内命を受けていた静賢法印は、
追討使を派遣しながら、和平の使者をおくるという
法皇の日和見的な態度に憤慨して、使者を辞退しました。

この合戦後、「和平の話は平家を油断させるための謀略ではなかったのか。」と
宗盛が後白河に宛てた抗議の書状が『吾妻鏡』に記されています。
経過がどうであっても、この話を迂闊にも信じた総大将宗盛らの脇の甘さ。
これから先が思いやられます。
こんな事情で宗盛は上陸する間もなかったようです。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2021-11-24 09:26:39
 
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