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平氏の功罪もいろいろあるでしょうが… (yukariko)
2012-06-29 14:27:48
罪の方ばかり謡われて功の方は今年の大河ドラマで清盛を取り上げなかったら素人の私達には知ることもなかったでしょうね。
こうしてブログでずっと連載して下さるので基礎知識のない人間もあちこちに旅して資料を見た時に理解が出来ます。

厳島神社の宝物殿で国宝の「平家納経」を見た時も『おおっ!』でしたが、今、京都で特別展「平清盛」が開かれていますね。
重要な文化財ですが詳しい解説なしでは私などには「猫に小判」で「歴史散策・清盛ゆかりの地を巡る」や「講演会・清盛と平安京」などは参加してみたいなとパンフレットを読みました。

兵庫の津(大輪田の泊)は江戸末期勝海舟や坂本竜馬が海軍操練所?を開くまで寒村の港で開国・開港によって開けたと司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にあった気がするのですが(うろ覚えなので違っているかも)
平安末期に清盛によって整備され日宋貿易の拠点となり繁栄していたのを知りました。
祇王・妓女の供養塔の解説を見て、その後の彼女たちの行方も分かって納得です。
 
 
 
清盛は悪の権化として (sakura)
2012-06-30 16:19:54
史実をゆがめて描かれている箇所があります。
平家物語は平家の滅亡を描き、滅びの美学ともいわれたりします。
平家一門の滅亡は清盛の悪行によって導かれたという物語構成のために清盛は単純化されています。
おごる平家の代表格である清盛の破格の出世は(巻1・鱸)によると熊野権現のご利益とされ清盛自身の優秀さを強調しないように書かれています。
確かに史実でも清盛は晩年の1、2年は集中して暴走しています。この暴走が平家物語の中では過度に強調され、優れた面は過度に隠されて描かれています。しかしこの物語にも清盛死去の後、「経の島の事」や「慈心坊の事」「祗園女御の事」と清盛賛美が続きます。その「経の島の事」は次回読もうと思っています。

幕末の兵庫の津については「神戸と平家」から引用、要約させていただきます。
「神戸開港以降、旧来の兵庫津市街東側の人口は急速に増大した。旧来の兵庫津、神戸村・二ツ茶屋村や開港場を中心としたその東部が一体となって行政単位として神戸区がつくられた。この年、神戸区全体で人口は五万人近くにも達し、開港後一万人近く増加した。こう書くと読者は、兵庫津東側は寒村であったかのようなイメージをもたれるかもしれない。実際、そのように記載した一般書も少なくない。」として具体的な人口数をあげ兵庫津に隣接する神戸村や二ツ茶屋村が大村であり両村の規模が江戸時代、格段に大きかったことを記しています。
 
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