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この戦で手柄を立てたい!という気持ちが勝っていたのですね、 (yukariko)
2013-11-04 22:38:42
決戦の舞台の持ち場が決まって山の中を進んで、眼下で戦いたけなわなのが遠望されたとしたら、義経は当然この勝機を逃さず断崖を駆け下りるよう下知しますよね。

でもあまりに急峻な断崖の有様に率いた武将たちが下知に従い難い様子を見せた時、この戦で手柄を立てたい!と思っていた義経は、決戦に間に合わなかったら兄頼朝に顔を合わせられないと真っ先に飛び込んだのでしょうね。
三浦一族の佐原十郎義連が躊躇する他の武将をしり目に飛び込んでくれたので他の武将もそれにつられて賭けに出た結果、平氏は総崩れになった訳ですが、この鵯越をうまく下れずに大けがをして手柄どころではなかった武士も多くいたのではないかと思いました。
 
 
 
途中で転倒した者もいたかも知れませんね。 (sakura)
2013-11-05 12:52:25
ご存知のように、義経は幼少の頃は、鞍馬山で武術を磨き、
奥州では、馬の手綱さばきを学んでいます。
義経精鋭隊も、三浦や伊豆の山育ちの馬術に熟練した面々ですが、
鉢伏山からの崖は先に駆け下りた人の鎧に後から下りた人の鐙が
当たりそうな急な断崖だったとありますから、
崖を滑るようにして降りた者もあったかも知れません。

須磨浦公園駅の西、敦盛塚の上の道から急な山道を鉢伏山へ上り、
そこから旗振山、尾根道を鉄拐山(義経が通って来たという)に向かい、
鉢伏山麓の安徳天皇内裏跡へ下りたことがあります。
山から南に下りる谷(斜面)には、細い道がつけられ、
所々には階段や、手すりがあり、須磨の海や町並みを眺めながら降りてきました。

 
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