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(
yukariko
)
2009-10-05 09:30:32
前に書いたコメントが個人的すぎるので修正しました。
いい季節に250ccバイクで琵琶湖一周をした事があります。
関ヶ原までの距離感は車と違って体で感じます。
だから旧暦の12月28日に吹雪で先も見えない逃避行は想像を絶する苦しさだった事でしょう。
京から討手と戦いながら途中越えし、その後も瀬田、守山、草津と数を減らしながら不破の関を迂回して美濃まで辿りついた…ほっとしたのに嫡子が行方不明!
どこまでもついていないと思った事でしょう。
逆に頼朝はここで義朝の悲運に別れるのですね。
でも地図で見ても関所を設けたくなるような狭い場所ですね。
関ヶ原といえば、何度も行きながら、総大将の石田光成が嫌いで(悲運の大谷吉継は可哀そうで好き)戦跡めぐりもしていないのです。
家康が好きなのではありませんが…。
小関は関所です
(
sakura
)
2009-10-05 14:24:07
小関について説明が足りなく、分かりにくかったようです。
少し説明させてください。
「岐阜県の地名」平凡社によると、
令集解(りょうしゅうげ)という注釈書を引用して
「小関も剗(せき)というべきなり。」としています。続いて
「京の古道」という本を開いてみると、「剗」というのは、脇道に柵を設けて作られた施設「剗」つまり「小関」からその名はきている。と書かれています。
逢坂関址近くにも小関越えがあり、関があったといわれています。
以前、北国脇往還(北国街道)の小関について「不破の関資料館」でたずねたところ
伊吹山の支脈の麓に関があったが詳細は分からず、
「小関」という地名が残っているので、その辺りにあったのだろう。
というお答えをいただきました。
不破の関でさえ「昭和49年~52年」にかけての発掘調査で規模や範囲などが
やっと分かったそうですから無理もありません。
また何かお気付きの点がありましたら教えてくださいね。
Yukarikoさんは、途中峠、琵琶湖一周、伊吹山も何度も登られているので、
義朝敗走ルートは、よく理解していただけると思いますし、
湖東の厳しい寒さもご存知の筈です。
六条河原からだと粟田口、日ノ岡峠、四ノ宮、逢坂山の逢坂の関を通り、
大津、瀬田と入るのが普通のルートですが、
義朝一行は、逢坂の関を避けたのだと思いますが、随分大廻りをして逃げましたね。
今回の大河で三成を演じている小栗旬は、中々評判がいいようですよ。
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いい季節に250ccバイクで琵琶湖一周をした事があります。
関ヶ原までの距離感は車と違って体で感じます。
だから旧暦の12月28日に吹雪で先も見えない逃避行は想像を絶する苦しさだった事でしょう。
京から討手と戦いながら途中越えし、その後も瀬田、守山、草津と数を減らしながら不破の関を迂回して美濃まで辿りついた…ほっとしたのに嫡子が行方不明!
どこまでもついていないと思った事でしょう。
逆に頼朝はここで義朝の悲運に別れるのですね。
でも地図で見ても関所を設けたくなるような狭い場所ですね。
関ヶ原といえば、何度も行きながら、総大将の石田光成が嫌いで(悲運の大谷吉継は可哀そうで好き)戦跡めぐりもしていないのです。
家康が好きなのではありませんが…。
小関について説明が足りなく、分かりにくかったようです。
少し説明させてください。
「岐阜県の地名」平凡社によると、
令集解(りょうしゅうげ)という注釈書を引用して
「小関も剗(せき)というべきなり。」としています。続いて
「京の古道」という本を開いてみると、「剗」というのは、脇道に柵を設けて作られた施設「剗」つまり「小関」からその名はきている。と書かれています。
逢坂関址近くにも小関越えがあり、関があったといわれています。
以前、北国脇往還(北国街道)の小関について「不破の関資料館」でたずねたところ
伊吹山の支脈の麓に関があったが詳細は分からず、
「小関」という地名が残っているので、その辺りにあったのだろう。
というお答えをいただきました。
不破の関でさえ「昭和49年~52年」にかけての発掘調査で規模や範囲などが
やっと分かったそうですから無理もありません。
また何かお気付きの点がありましたら教えてくださいね。
Yukarikoさんは、途中峠、琵琶湖一周、伊吹山も何度も登られているので、
義朝敗走ルートは、よく理解していただけると思いますし、
湖東の厳しい寒さもご存知の筈です。
六条河原からだと粟田口、日ノ岡峠、四ノ宮、逢坂山の逢坂の関を通り、
大津、瀬田と入るのが普通のルートですが、
義朝一行は、逢坂の関を避けたのだと思いますが、随分大廻りをして逃げましたね。
今回の大河で三成を演じている小栗旬は、中々評判がいいようですよ。