コメント
 
 
 
関東武者の直情径行な気性を代表しているのですね。 (yukariko)
2014-03-06 23:11:26
源氏の御家人として必死に生きぬいた武人の複雑な生き様ながら、その後の政治の世界での流れは単純すぎる直実の頭では理解できなかった。
その後所領に引きこもっていた彼が、法然の教えに納得したからこそ、出家し、法然に仕えて信仰に一途な僧として後世を生きた訳ですね。

敦盛の遺骸、衣装や笛に子細を記した書状を添えて父経盛の許に送るのはなかなか出来ないことですね。
でもだからと言って出家の大きな原因の一つに敦盛を討った事を数えるのは行き過ぎのような気もします。
戦いや所領争いに明け暮れた武人の神経はもっと荒縄のように太いと思うのです。
それは後世の読者が『こうあって欲しい』と思い描いた直実の姿ではないでしょうか?
 
 
 
戦功に命をかける小領主の悲哀 (sakura)
2014-03-07 11:26:03
熊谷直実は、合戦で手柄を立てて所領を増やし、少しでも一族の生活を楽にすること。
そのためには家と所領を命がけで守り、武芸で頼朝を支えてきたはずです。
しかし、時代が変わり、文官たちが活躍し、嫡男直家に幕府への奉公を任せられるようになると
直実は自らの役割が終わったことを自覚したのではないでしょうか。
直実は勇猛な武士にしては、意外なほど人間臭く、功を求める姿と
息子小次郎直家や敦盛に向けられた父親の姿が印象的です。
敦盛の遺骸、衣装や笛に子細を記した書状を添えて父経盛の許に送ったという過程や
出家の動機は、実際の直実の人柄があってこそ平家物語の作者も
そのように記したように思われます。読者も直実が後に出家したこと、
一心に仏道修行したことなどと結び付けて、
直実なら敦盛の菩提をきっと弔ってくれたであろう。とひそかに期待します。
 
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