コメント
今も亀高線と略称され抜け道に利用されていますが…
(
yukariko
)
2013-08-21 15:32:44
古来から京から摂津、また丹波へと抜ける重要な街道だったのがよく分かります。
高槻から京都を経ることなく亀岡の先へ車で30分で抜けられるから、逆にいえば京から北摂、川西、池田、箕面方面を目指すのも、山中の間道を馬などを手段に使えば
思いがけないほど早くに到達できたでしょうから、平安、鎌倉の時代よりずっと、この街道の重要さは大きかったことでしょう。
この府道はよく利用する道ですね。
(
sakura
)
2013-08-23 12:58:35
亀岡ばかりでなく、鞍馬や花背に行くのにも近道になりますね。
義経が京の七条口から篠山へと向かった道は、所々離れたり重なったりしながら、
おおよそ現在のR9からR372に沿っています。
義経軍には東国の武士だけでなく京都周辺の武士も加わっているので、
彼らが山中の間道を上手に案内したのでしょう。
京から篠山を経て丹波と播磨の国境にある三草山まで
普通なら二日かかるところを一日で走破した。と
平家物語に書かれています。
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高槻から京都を経ることなく亀岡の先へ車で30分で抜けられるから、逆にいえば京から北摂、川西、池田、箕面方面を目指すのも、山中の間道を馬などを手段に使えば
思いがけないほど早くに到達できたでしょうから、平安、鎌倉の時代よりずっと、この街道の重要さは大きかったことでしょう。
義経が京の七条口から篠山へと向かった道は、所々離れたり重なったりしながら、
おおよそ現在のR9からR372に沿っています。
義経軍には東国の武士だけでなく京都周辺の武士も加わっているので、
彼らが山中の間道を上手に案内したのでしょう。
京から篠山を経て丹波と播磨の国境にある三草山まで
普通なら二日かかるところを一日で走破した。と
平家物語に書かれています。