コメント
歌舞伎の義経千本桜の「狐忠信」しか知らなかったので(笑)
(
yukariko
)
2016-05-06 22:53:04
佐藤兄弟は藤原秀衡の家臣で義経が頼朝のもとに駆けつける時、秀衡の命で義経に従い、数々の戦功をあげ兄の継信は屋島合戦で義経の身代わりとなり戦死し、弟忠信は頼朝に追われる身となった義経と苦楽を共にした…とこの四国シリーズで詳しく書かれているのを読んで本当に実在の人だったのかとびっくりしました(笑)
その碑として既に1195に十三重塔が作られて「兄弟の墓」と間違った伝承・言い伝えではあるにしても、この現代まで残っているのが凄い事ですね。
佐藤兄弟が後世までずっと有名人であったかの証拠ですね。
忠信のイメージは義経千本桜によるところが大きいです。
(
sakura
)
2016-05-07 10:25:13
頼朝の怒りをかった義経は吉野から北陸を経て平泉に
落ち延びたと見られています。
吉野で忠信は義経の身代わりとなって、散々に戦い
都に逃れますが、敵に襲われ自害します。
ここから「義経千本桜」4段目5段目の舞台へと展開します。
しかし、平家物語の枠組みを利用しながらも、物語から大きく離れた作品となっています。
そう言う塔が有るとも知らず
(
自閑
)
2016-05-10 05:11:04
sakura様
京都国立博物館は、法住寺の旧敷地の一部であり、式子内親王の別名、萱斎院の萱御所があったこともあり、何度か訪れましたが、そう言う塔があったとは、全く知りませんでした。
どちらかと言うと、館の南口の喫茶室の横の壁と新館の壁の大理石の化石に興味を持ってしまいました。
壁を見続けて、写真を撮っている変なオヤジがいると思われたのかと。(笑)
人が興味を示さない物に興味が湧く天の邪鬼の性格ですから。
壁の大理石の化石は知りません。
(
sakura
)
2016-05-10 15:17:43
今度見ておきますね。
京都国立博物館の庭園には、寄託されたさまざまな石造物が展示されています。
お時間のある時、ご覧になってください。
多子の君からの導きで
(
ジェード・ランジェイ
)
2016-05-31 09:04:25
二代の后多子の君(大宮)の御陵を検索していて
こちらのブログと巡り合いました。
二条天皇御陵は、近くまでipadの導きで行ったのですが
生来の方向音痴の為、遂に行きつけませんでした。
こちらのブログを知っていたらと「舌噛んでいます」(笑)
いつか、(定年後???)、1年間を京都に下宿して、自転車で、日々の催事に、式部のように少納言のように
平家物語ゆかりのように、日本史の「京」を体感したいと夢見ています。
お仲間入りをさせていただけたら、光栄です。
ご訪問ありがとうございます。
(
sakura
)
2016-06-01 11:12:00
遠くから来られたのに、二条天皇の御陵、本当に残念でしたね。
機会がございましたら、またお出でください。
定年後?の夢、すてきです。ぜひ実現なさってください。
私も知らない土地で史跡探しをする時、すぐ近くまで行っているのに
見つけることができず、残念な思いをしたことが何度かあります。
探す史跡がマイナーではないため、土地の人に聞いても、
大概「知らない」と言われますし…
近頃は、「もう一度いらっしゃいということなのだ。」と
前向きに考えるようにしています。
こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
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その碑として既に1195に十三重塔が作られて「兄弟の墓」と間違った伝承・言い伝えではあるにしても、この現代まで残っているのが凄い事ですね。
佐藤兄弟が後世までずっと有名人であったかの証拠ですね。
落ち延びたと見られています。
吉野で忠信は義経の身代わりとなって、散々に戦い
都に逃れますが、敵に襲われ自害します。
ここから「義経千本桜」4段目5段目の舞台へと展開します。
しかし、平家物語の枠組みを利用しながらも、物語から大きく離れた作品となっています。
京都国立博物館は、法住寺の旧敷地の一部であり、式子内親王の別名、萱斎院の萱御所があったこともあり、何度か訪れましたが、そう言う塔があったとは、全く知りませんでした。
どちらかと言うと、館の南口の喫茶室の横の壁と新館の壁の大理石の化石に興味を持ってしまいました。
壁を見続けて、写真を撮っている変なオヤジがいると思われたのかと。(笑)
人が興味を示さない物に興味が湧く天の邪鬼の性格ですから。
京都国立博物館の庭園には、寄託されたさまざまな石造物が展示されています。
お時間のある時、ご覧になってください。
こちらのブログと巡り合いました。
二条天皇御陵は、近くまでipadの導きで行ったのですが
生来の方向音痴の為、遂に行きつけませんでした。
こちらのブログを知っていたらと「舌噛んでいます」(笑)
いつか、(定年後???)、1年間を京都に下宿して、自転車で、日々の催事に、式部のように少納言のように
平家物語ゆかりのように、日本史の「京」を体感したいと夢見ています。
お仲間入りをさせていただけたら、光栄です。
機会がございましたら、またお出でください。
定年後?の夢、すてきです。ぜひ実現なさってください。
私も知らない土地で史跡探しをする時、すぐ近くまで行っているのに
見つけることができず、残念な思いをしたことが何度かあります。
探す史跡がマイナーではないため、土地の人に聞いても、
大概「知らない」と言われますし…
近頃は、「もう一度いらっしゃいということなのだ。」と
前向きに考えるようにしています。
こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。