コメント
 
 
 
どうして胴塚(首塚)なのでしょうか? (yukariko)
2014-01-03 17:57:44
首は恩賞にあずかるために切り取って持ち帰り、主君に披露したのでしょうか?
戦国時代になると敗軍の将の首を晒したとかいいますが、
普通は首実検の後は丁重に葬られたと思いたいですが、戦況が錯綜しているときはそれどころじゃなかったのかも。
従者さえも傍に生き残れなかった状況では首も胴も本当に忠度のものかも霧の中?
同じ忠度のものなら腕と一緒に祀ってやればいいと思いますけれど、ここも本家ごっこ?
それぞれにでも言い伝え、語り伝えて永く永く供養する気持ちが大事なのかもしれません。
忠度の事はその二首の歌によって語り伝えられ、感激は消えることはないでしょうから。
 
 
 
首の行方 (sakura)
2014-01-04 08:07:13
一ノ谷で討たれた平氏の首は都におくられ、
都大路を引き廻されたと「巻十・首渡しの事」にあります。
忠度の腕と胴を一緒にしてやりたい思いにかられますね。

腕塚、胴塚を証明する史料はありませんが、長田区に二つの塚が祀られ、
地域で供養され管理されてきた長い歴史は大切に
しなければならないのかも知れませんね。

 
 
 
明けましておめでとうございます! (kazu)
2014-01-04 12:55:08
今年もパソコン活動宜しくお願いします!
温かな正月で今年は穏やかな良い年で有りますように!
 
 
 
明けましておめでとうございます。 (sakura)
2014-01-05 14:14:33
本年もよろしくご指導のほどお願いいたします。

春には、息子さんのお嫁さんをお迎えになり、
幸せ一杯の年になりそうですね。
 
 
 
ゆきくれて (自閑)
2015-10-04 18:19:50
胴塚に来ました。
貴ブログの懇切丁寧な案内で行き暮れず無事到着致しました。7m程通りすぎましたが。(笑)
次は腕塚へ。
 
 
 
よかった! (sakura)
2015-10-05 14:47:39
こちらは鷹取駅から行くとわかりやすいですね。

自閑さまは、記事の情景にあった俳句や短歌を上手くお作りになりますね。

忠度の首は都で晒されましたね。
埼玉の腕塚は、岡部忠澄が忠度を悼みつくったという塚だそうですが、
こちらも未見です。平家物語ゆかりの史跡はあちこちにありますね。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。