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全国の住吉神社の総元締めは、 (yukariko)
2019-04-14 18:33:29
特定の氏族の氏神ではなく、この日本を守る海の神、古事記や日本書紀に神話を載せる神格の高い神様は土地豪族が代々神官を努めたから、その氏族の神も摂社として同じ境内に祀られているのですか?
20年毎に建て替えられるだけあって本殿などの装飾も立派ですね。
 
 
 
なにか神々しい感じさえしました (sakura)
2019-04-15 16:39:40
本殿は江戸中期の造営だそうですが、
内部は金箔が貼り直され、住吉鳥居も塗り直されていました。

神功皇后が三韓征伐からの帰途、住吉三神が現れて
「大津 渟中倉 長峡(おおつ ぬなくら ながお)に居さしむべし。
よって往来(ゆきかよ)う船を看ん(みそなわん)。」と告げたことが神話に見えます。

そして神功皇后の帰国後、現在の住吉大社の地に住吉三神が祀られました。
実はこの物語は住吉周辺、住吉社の神職たちがつくり上げた
鎮座の縁起であろうと推定されています。

住吉社は地域の神としての性格はほとんど見られず、
王権と密接に関わる特殊な神社だったので、
政権の祭祀を司っていた津守氏の氏神が境内に祀られているのでしょうね。

住吉社とヤマト政権との結びつきは、政権が大阪平野南部の南河内に基盤を置き、
倭の統一政権として確立する5C頃にあったと考えられています。
5Cといえば、海外との交渉が盛んに行われた倭の五王の時代です。
 
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