コメント
 
 
 
今回の「マウスON・CR」はちょっと変わっていますね。 (yukariko)
2009-10-15 10:14:10
写真が5枚しか並んでいないのに10枚ありますと書かれていたので気づきました。
又違うスタイルですね。

遠い岐阜まで朝長の墓を撮影しに行かれたのですね。草深い道も大変だったでしょう。

先日高槻現代劇場で行われる「高槻名月能」のポスターを見ました。
能・仕舞などは敷居が高すぎてとても無理ですが…(笑)仕舞「頼政」とあったのでお能の「頼政」とは違うのでしょうが、インターネットで「頼政」を探して筋を追いました。

この「朝長」のあらすじを読ませてもらっても思いますが、彼もあたら武門の家に生まれたばかりにかわいそうな青年(少年)ですね。

…乙若が「将来平家は、きっと左馬頭殿の敵に
なるでしょう。我らを助けておいたなら、いつかお役にたつこともございますのに。」と言った言葉が今こそしみじみと思い出され…

逆運の義朝にとってここで朝長を手にかけてやるのが思いやりだったのでしょう。
 
 
 
Yukarikoさんのお陰です! (sakura)
2009-10-15 14:39:56
いつも根気よくご指導下さいましてありがとうございます。
お陰でsakuraさんのサイトからタグをお借りできるようになりました。

はじめての土地青墓や赤坂を地図片手に周りましたが、
何度も道を間違えました。道を聞きたいのに誰もいない。

朝長は、兄義平のように剛の者ではありませんが、
武門の家に生まれた子としての誇りは
しっかりもっていたのだと思います。

「平家物語」と能は、関わりが深く特に源氏・平氏の武将などが
戦いに明けくれた罪で修羅道に落ちた苦しみを語る修羅能がよく知られています。

特に「忠度」「頼政」「敦盛」「経正」などのように和歌、笛、琵琶などを
たしなむ風雅な武将が多く取りあげられています。
世阿弥が完成したという修羅能には戦死した武将の「負け修羅」と
戦いで勝利する様を描いた「勝ち修羅」があります。

負け修羅の中でも「頼政」「朝長」「実盛」は特に重い
三修羅といわれています。物語を本で読むのも楽しいですが、
「能」の舞台で形を変えて登場する人物を見るのはまた別の楽しみがあります。
装束やお面を用いずに紋付袴で舞う仕舞よりお能の方が私は好きです。
一昨年の明月能の仕舞は「実盛」でした。

※平家物語巻七(実盛最期の事)
斉藤別当実盛は平治の乱で義朝と共に敗走しますが、
平治の乱後平氏に仕えます。
木曽義仲軍との戦いでは白い髪を黒く染めて戦場にでますが
討ち取られてしまい、義仲の家臣が首を洗ってみると白髪が現われ、
義仲の父義賢が悪源太義平に討ち取られた時、
幼少の駒王(義仲)を木曽まで送り届けた実盛と知られることとなった。
 
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