コメント
 
 
 
「9人を切り殺した」はオーバーでは? (yukariko)
2007-06-01 22:56:37
平氏の時代にその侍を9人も切り殺せば無事には済まないし、密かに都を下る遮那王達は「散々に打ち懲らした」ぐらいで9体の地蔵尊安置は粟田口刑場の供養説に一票!
日向大神宮と安養寺は紅葉の時期に訪れましたがお地蔵さんは覚えていません。
だからこれは勝手な意見です

以前読んだ蹴上の地名に関するコラムに

…辞典では「蹴上」は「一段と力を入れて蹴り上げていく処」、「人や馬などが蹴り上げた塵や泥、あるいは泥水を指す」とある。
蹴上は三条大橋から始まる旧東海道で、最初の上り坂で案外と急な坂、人や馬が上る時には、力を入れて蹴り上げた場所だろうと想像でき、雨の日などには泥水を飛ばした情景が目に浮かぶ。…
と書かれていました。

旧京津電車(三条→浜大津)で蹴上を何度も通りましたが横を走る国道の狭い道と急な坂とカーブが印象に残っています。

足で歩いての画像と詳しい説明に頭が下がります。
本当にありがとう!
 
 
 
意に反した「トラックバック」の処理は…。 (yukariko)
2007-06-01 23:13:44
意に反した「トラックバック」は「嫌!」「受け取りたくない」でしょう?
私は自分も「しない」ので「受け取らない」に設定しています。

「編集画面」→「メニュー・ブログ設定」→「トラックバックの設定」(真中ぐらい)
ここで「受け取る」「受け取らない」「事前に承認する」の三つから選べるので「受け取らない」か「事前に承認する」のどちらかに印を入れておけば安心です!


 
 
 
旧カーブ私も覚えています! (sakura)
2007-06-02 09:45:15
旧京津電車で立っている時
この辺りに差し掛かったらつり革を持ち直したのを覚えています。
今でも歩くと浄水場の辺りから日ノ岡にかけて
少し歩くペースが落ちてきます。
中世には日ノ岡は峠だったようです。
一部削ったようですね。

荷物を積んだ牛車が日ノ岡峠と逢坂の関辺りで
大変苦労したようです。

少しでも通りやすいようにと三条大橋から
大津まで牛車専用の車石が敷かれていたようです。

逢坂の関辺に車石の説明と車石が並べてあったので
次回お見せするつもりです。

義経については伝説が多くて…
あれこれ想像して私も楽しんでいます。

トラックバックの件詳しく書いていただいたので早速削除して「受け取らない」にしておきました。
ありがとうございました。

 
 
 
居ながらにして、蹴上を散策!! (フーミン)
2007-06-02 18:10:34
歩くのが苦手な?私ですが、急な蹴上の坂道もらくらく歩いて、いにしえのあしあとをたどってきました
画像がとても綺麗ですね
次回作を楽しみにしております
 
 
 
fumiさんへ (sakura)
2007-06-03 18:21:42
過分なコメントありがとうございました。
中々うまく撮影できないので、
画像の修正をいつもするのですが、

ああでもない、こうでもないと触っているうちに、
反って変になったりして、
時間ばかりかかっています。


これから日差しがきつくなると一層撮影するのも
難しくなりそうです。
 
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