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何かある時は重用されても世を斜に見ていたような晴明 (yukariko)
2009-02-01 22:04:49
兼家道兼親子の謀略や詮子道長姉弟と一条天皇、伊周と道長の争い…時代が下がって鳥羽法皇と崇徳上皇や従う寵臣達のドロドロした恨みや呪詛、どの時代も同じですね。

前回「安倍晴明は式神と護法の両方を操っていた」と書いて下さっていましたが、晴明は現代と違い闇が濃く、人の力ではどうにも出来ない時代にあってのスーパーヒーローですね。
私の頭の中では晴明は野村萬斉の顔をしています(笑)
でも何かある時だけ重用され後は見ているより他ない身分の晴明は政争ばかりの世を斜に見て生き、どんな風に感じていたのでしょうね?

経典を読経させ神仏に縋るか、陰陽師に占わせて物忌みや穢れを避け、祟り神に祟られないように祭祀を行う事が唯一出来る事だったこの時代、人外の力を持つ陰陽師は名前は残っていなくても幾人もいて、伝えられる話の中で晴明(泰親)に一本化されたのでしょうか?

流動極まりない現代も細木さんのようにTVに出る人以外に、出ないけれどもきっと占う人が沢山おられるのでしょうね。
 
 
 
萬斉だったらスーパーヒーローのイメージにぴったりですが、 (sakura)
2009-02-02 16:22:30
平安時代になり天皇を中心とする律令国家が崩壊し、しばらく試行錯誤の状態が続きます。
皇族や貴族は目に見えないものの力
(天災、疫病、盗賊、秩序の乱れ等)を恐れ、
武士や陰陽師・宗教者を雇い武力、
呪力を抱えて精神的な支えにしていたようです。

鳥羽上皇の玉藻の前や一条天皇の酒呑童子伝説は、
京の帝を脅かす妖怪、鬼を退治して、
帝の権力の偉大さを褒め称えています。
このような物語を作って語ることで、帝の権威回復を図ったのです。

陰陽師には賀茂・安倍両家の流れをくむ陰陽師と
両家の支配を離れて民間で活躍した陰陽師がいます。
晴明伝説の中で晴明の術にやぶれ、
晴明の引き立て役になった人達です。

民間陰陽師には、聖神社を祀った尊敬する
安倍晴明を信田明神と結びつけた渡来系の陰陽師がいます。
(聖神社は碑炉庵さんが、少し前にウォーキングに行かれて
ブログに写真をUPされていました。)
この人達は、中世末位から土御門家の支配を受けるようになり、晴明を神格化させていった人々です。

玉藻の前伝説も陰陽師は晴明などと伝えられている物語もあり、
丁度、真言宗の僧が残した物語の多くが、今日まで弘法大師伝説として
伝えられているのと似ているのかも知れません。

少しがっかりされるかもしれませんが、
安倍晴明の実像は大器晩成型の優秀で実直な国家公務員だったのかも?


 
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