コメント
実定と小侍従まるで親子に驚き・・・
(
kazu
)
2008-12-03 22:50:06
42歳と60歳、これではまるで親子!
しかも小侍従の60歳はその年代では長生き、もうとっくに老婆の年代ではないですか?
夜中月を観て歌を交わし恋人のように語っていたとは本当に驚きです!
小侍従は歳を取っても可愛く元気な方だんたんですね!
和歌の教養が必須だった宮中で活躍した方たちにすれば…
(
yukariko
)
2008-12-04 10:30:44
常日頃嘆いていたに違いない気持ち…華やかだった都のさびれようを久しぶりに訪れた身分高い方に素晴らしい和歌の形で示されれば、感極まり一夜語らって過ごしたというのもよく分かりますね。
きっとその時聞いた話や実定の様子を後から大宮やお傍の人達にも話した事でしょう。
実定の傍に仕える「物かはの蔵人」も光源氏の惟光のように心きく気配りのできる腹心だったのでしょう。
主の気持ちになり替わってぴったりの和歌が読め、相手がそれに応えて返歌を読み返し、その報告を聞いた主がまた満足をする…その一部始終が世間に知れて言い伝えられる…これこそ、みな共通の教養があり、色々な出来事や和歌も知っているからこそ出来ることですね。
「待つ宵の小侍従」と呼ばれた人の元の歌だけでなく、それから繋がる出来事や交わされたお話を書いて下さったのでその哀愁の情景がよく分かります。
年齢の関係なく、歌の上手な機知に富んだ人は大事にされていたのですね。
kazuさんへ
(
sakura
)
2008-12-04 16:11:37
Kazuさんの町の小侍従は
「思ひやれ八十のの年の暮なれば いかばかりかは物はかなしき」と歌合で詠み、
すでに80歳だったことが分かります。
82歳位まで生きて天寿をまっとうしたようです。
小侍従の名は体が小さいことからつけられたそうですし、美人で小柄だったため年齢よりずっと若く見えたのかも知れません。
その上、才女ですから若い歌人によくもてたようです。
「平家物語」は歴史書ではないので、虚構の部分が多々あります。
一説にはこの時、小侍従70歳位?ともいわれていて、
実定との恋愛関係は、
作者が「月見」につけ加えて、「平家物語」名場面の一つにしたのかもしれませんね。
yukarikoさんへ
(
sakura
)
2008-12-04 16:13:38
そのようです!
紫式部が道長の娘一条天皇の中宮影子に、清少納言が一条天皇の中宮定子に、赤染衛門が影子の母や影子に仕えて活躍したように、
多子や実定も小侍従や「物かはの蔵人」のような和歌の教養があり、
才気あふれる人たちを近くにおかれ、公卿や殿上人との和歌の贈答や
機知を賭けたやりとりをうまく交わされていたようです。
蔵人の歌は「新拾遺集」に藤原経尹(つねただ)の離別の歌として小侍従の歌は「新古今集」「続詞花集」恋・題しらずとして入首しています。
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しかも小侍従の60歳はその年代では長生き、もうとっくに老婆の年代ではないですか?
夜中月を観て歌を交わし恋人のように語っていたとは本当に驚きです!
小侍従は歳を取っても可愛く元気な方だんたんですね!
きっとその時聞いた話や実定の様子を後から大宮やお傍の人達にも話した事でしょう。
実定の傍に仕える「物かはの蔵人」も光源氏の惟光のように心きく気配りのできる腹心だったのでしょう。
主の気持ちになり替わってぴったりの和歌が読め、相手がそれに応えて返歌を読み返し、その報告を聞いた主がまた満足をする…その一部始終が世間に知れて言い伝えられる…これこそ、みな共通の教養があり、色々な出来事や和歌も知っているからこそ出来ることですね。
「待つ宵の小侍従」と呼ばれた人の元の歌だけでなく、それから繋がる出来事や交わされたお話を書いて下さったのでその哀愁の情景がよく分かります。
年齢の関係なく、歌の上手な機知に富んだ人は大事にされていたのですね。
「思ひやれ八十のの年の暮なれば いかばかりかは物はかなしき」と歌合で詠み、
すでに80歳だったことが分かります。
82歳位まで生きて天寿をまっとうしたようです。
小侍従の名は体が小さいことからつけられたそうですし、美人で小柄だったため年齢よりずっと若く見えたのかも知れません。
その上、才女ですから若い歌人によくもてたようです。
「平家物語」は歴史書ではないので、虚構の部分が多々あります。
一説にはこの時、小侍従70歳位?ともいわれていて、
実定との恋愛関係は、
作者が「月見」につけ加えて、「平家物語」名場面の一つにしたのかもしれませんね。
紫式部が道長の娘一条天皇の中宮影子に、清少納言が一条天皇の中宮定子に、赤染衛門が影子の母や影子に仕えて活躍したように、
多子や実定も小侍従や「物かはの蔵人」のような和歌の教養があり、
才気あふれる人たちを近くにおかれ、公卿や殿上人との和歌の贈答や
機知を賭けたやりとりをうまく交わされていたようです。
蔵人の歌は「新拾遺集」に藤原経尹(つねただ)の離別の歌として小侍従の歌は「新古今集」「続詞花集」恋・題しらずとして入首しています。